社会現象化している小林多喜二の「蟹工船」ブームとあわせて、映画「蟹工船」の再上映がすすんでいる。
この映画は、山村聰氏の第一回監督作品として一九五三年に製作された。この映画をつくるにあたっては、コミュ
ニストでない山村氏にとって俳優として監督として誤解を受けるのではないか、当時とは違って「蟹工船」には芸術的
価値はないなどの反対論があったという。
ニストでない山村氏にとって俳優として監督として誤解を受けるのではないか、当時とは違って「蟹工船」には芸術的
価値はないなどの反対論があったという。
多喜二・百合子研究会の機関誌『多喜二と百合子』№1(一九五四年)をひもとくと、蔵原惟人(評論家)、山田典吾
(映画「蟹工船」製作者)、壺井繁治(詩人)、間宮茂輔(作家)による「映画〝蟹工船〟をめぐって」という座談会が企
画されていて興味深い。
(映画「蟹工船」製作者)、壺井繁治(詩人)、間宮茂輔(作家)による「映画〝蟹工船〟をめぐって」という座談会が企
画されていて興味深い。
原作と映画の決定的違いは、結末である。映画を見ていない人のために紹介は避けるが、公開当時から議論があ
ったようだ。
ったようだ。
この座談会でも山田氏が原作の付記をどう生かすかで監督と論争したこと、その上で戦争反対、再軍備反対という
太い線で貫きたいという監督の意向によって結末を変えたことを紹介している。
太い線で貫きたいという監督の意向によって結末を変えたことを紹介している。
蔵原氏が「不成功だとはおもわない」といいながら、歴史的・芸術的真実からいってどうなのかという問題を提起し
ているのも考えさせる。 (聳) ( 2008年11月04日,「赤旗」)
ているのも考えさせる。 (聳) ( 2008年11月04日,「赤旗」)
映画「蟹工船」へ思いを馳せて/嵐圭史
世の〝蟹工船ブーム〟をみるにつけ、それを呼び起こした現今の社会状況への憤りと共に、一方で言い難き嬉しさ
もあって、何やら複雑な心境です。
もあって、何やら複雑な心境です。
小林多喜二の『蟹工船』が多くの人々に読まれている! 当然の喜びです。しかし私にはもう一つ、私自身の、映
画『蟹工船』撮影時の微かな追憶も重なって、ブームに付随した形でのその上映活動がいま全国に拡がって、やは
り多くの人々にこの秀作を見ていただける機会を得たことへの喜びがあります。
画『蟹工船』撮影時の微かな追憶も重なって、ブームに付随した形でのその上映活動がいま全国に拡がって、やは
り多くの人々にこの秀作を見ていただける機会を得たことへの喜びがあります。
三本の映画
映画『蟹工船』は一九五三年に公開されましたから、撮影はその前年、私の中学一年生の時でした。当時劇団前
進座の子供部(座員の子弟)は、独立プロダクション系の映画では〝子役〟の供給源として結構重宝された存在で
した。もっとも子役といっても様々で、演技感鋭く名子役といわれた子(例えば松山政路『にごりえ』『どぶ』『狼』、河
原崎建三『足摺岬』『しいのみ学園』)がいる一方、さして目立たぬ普通の〝その他大勢〟子役もいて、私はもちろん
後者だったのですが……。
進座の子供部(座員の子弟)は、独立プロダクション系の映画では〝子役〟の供給源として結構重宝された存在で
した。もっとも子役といっても様々で、演技感鋭く名子役といわれた子(例えば松山政路『にごりえ』『どぶ』『狼』、河
原崎建三『足摺岬』『しいのみ学園』)がいる一方、さして目立たぬ普通の〝その他大勢〟子役もいて、私はもちろん
後者だったのですが……。
そんな私でも中学生時には三本の映画に出ています。利根川沿いの貧村で、農業の未来に夢を托す中学生の群
像を描いた、慈父のように優しかった家城巳代治監督の『ともしび』。下手なヴァイオリンをギーコと鳴らしながらも、や
がて交響楽団の一員に加わっていく少年役の、今井正監督『ここに泉あり』。いまも旺盛に演奏活動を続けている〝
群馬交響楽団〟創成期をモデルとした映画です。
像を描いた、慈父のように優しかった家城巳代治監督の『ともしび』。下手なヴァイオリンをギーコと鳴らしながらも、や
がて交響楽団の一員に加わっていく少年役の、今井正監督『ここに泉あり』。いまも旺盛に演奏活動を続けている〝
群馬交響楽団〟創成期をモデルとした映画です。
雑夫役で出演
そして『蟹工船』。座の男児(十代)ほとんどが、船底の缶詰工場で働く雑夫・少年工役で出演、私もその中の一人
でした。缶詰作業のシーンは静岡県清水港の、本当の缶詰工場を使っての撮影で、実際に動くベルトコンベアーに
目を丸くしたものです。
でした。缶詰作業のシーンは静岡県清水港の、本当の缶詰工場を使っての撮影で、実際に動くベルトコンベアーに
目を丸くしたものです。
何よりもびっくりしたのは〝蟹工船〟の巨大なオープンセットで、千葉県勝浦の港にそれは組まれていました。暴
風雨のシーンでは激しい放水のなか、出演者もスタッフもずぶ濡れになっての撮影、メガホンを手に奮闘していた山
村聡監督の姿が忘れられません。
風雨のシーンでは激しい放水のなか、出演者もスタッフもずぶ濡れになっての撮影、メガホンを手に奮闘していた山
村聡監督の姿が忘れられません。
ちなみに、船のすべてを支配する監督・浅川役を見事な存在感で、冷酷かつ荒っぽく演じたのは、実は素人さんで
現地勝山漁協の組合長さんだったとか。花沢徳衛、河野秋武、浜村純といった、独立プロ作品には欠かせなかった
名脇役が雲霞の如く揃った労働者群像に対峙して、一歩もひけをとらぬまことに堂々たる演技でした。
現地勝山漁協の組合長さんだったとか。花沢徳衛、河野秋武、浜村純といった、独立プロ作品には欠かせなかった
名脇役が雲霞の如く揃った労働者群像に対峙して、一歩もひけをとらぬまことに堂々たる演技でした。
この映画には私の兄(故・六代目嵐芳三郎)も出演しています。子役では唯一人目立った役の、作業現場を逃げ出
して捕えられる宮口少年を演じていました。閉じこめられた便所を俯瞰した映像が、未だ私の眼に焼きついて離れま
せん。名ショットでした。
して捕えられる宮口少年を演じていました。閉じこめられた便所を俯瞰した映像が、未だ私の眼に焼きついて離れま
せん。名ショットでした。
原作の本質
それにしても名優山村聡が何故『蟹工船』を撮る決意をしたのか。その動機、プロセスも定かではないように思われ
ます。独立プロ映画史上からも非常に興味のあるテーマで是非とも知りたいところです。
ます。独立プロ映画史上からも非常に興味のあるテーマで是非とも知りたいところです。
「そして、彼等は、立ち上った。――もう一度!」このとても重要な原作のメッセージは、当然ですが映画にはありま
せん。明らかに活字と映像の機能、その特性によるところであることは言をまたないでしょう。
せん。明らかに活字と映像の機能、その特性によるところであることは言をまたないでしょう。
しかし原作の本質が、それによって少しも損なわれていないところに、山村聡監督の凄さを私はいま、あらためて感
じています。 (あらし・けいし 俳優)( 2009年02月03日,「赤旗」)
じています。 (あらし・けいし 俳優)( 2009年02月03日,「赤旗」)