霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

わたしが死んだ日  2

2011年12月19日 | 心霊現象
何度でも繰り返して、もとの位置に帰ろうとは思う。
しかし、結果として、どうなっているのだろう。この瞬間にも、
私の死は、もはや決定されているのだろうか。
もしそうなら、ヘビの生殺しのように、生と死の間を、何度も繰り返すことはない。
いっそひと思いに、自ら谷底へ飛び込んだほうが、早く楽になれる・・・・。
一瞬、死の誘惑が、頭をよぎった。しかし、・・・やはり、生きたい!
最後に心が叫ぶ。よし、もう一度だけやろう。いや、生命ある限り、繰り返し
続けるのだ。そして、体力が尽きた時、その時はその時だ。
「よくやった。でも仕方なかったね」って、納得して三途の川を渡れるだろう。
雨の冷たさと決意で、全身がブルブル震えて止まらなかった。
そしてもう一つは、失敗する度に失望し、絶望していくことが恐かった。
斜面は、四十五度以上はあると思われた。ただひたすら、にらみ続けて試みた。
二度目も、無情なことに失敗した。
三度目を試みる。

そして、気が付くと、登り切っていた。落ちたもとのところにいた。
助かった!・・・・生きれる。
腰が抜けて立てない。ガクガクと全身が震え続けていた。
雪道にうずくまったまま、時間がたっていく。雪の中に顔を埋めて、泣き続けていた。


そして今、はっきりと思いだす。あのときの「死神」との対話を。
私をあざ笑った、あの声。
確かに聞こえたあの声は、外からなのか、それとも私の心の中からのものだったのだろうか。
しかし、はっきりと思い出す。生きることが出来た今、あれは錯覚だったと、いや、幻聴だった
と、ごまかすことの出来なくなった約束。死神との約束は、守らなければならない。


その時私は、谷の斜面で、「死神」を見たと思った。

『若いから死なないと、誰が決めた。
 正しい行いをしていれば、死が遠のくと、誰が言った。
 死は予告なしに、突然おそってきて、一刻の猶予も与えずに、黄泉の国へと
 連れていく。
 待ったなしの今が、オマエの番だ!』

 
 待って!お願い、待ってください!
 少しだけでいい、ほんの少しだけ、待って。
 一年、二年、いやもっと短くていい。せめて、何のために人間は生きていたのか。
 何の意味をもって人間は死んでいくのか。
 私は知らない。いまこそ私は知りたい。
 いま、私がこの瞬間にはっきりと、残酷にも思い知らされたことは、
 「私は何一つやってこなかった」ということだ。
 何を?・・・わからない。わからないけれど、何かをやらなければならなかったにも
 かかわらず、知ろうともせず、やることもなく、今に至ったということ。
 それが何だったのか、どうしたらいいのかがわかるまで、命をください。

 やさしく常識あふれる父母に育まれ、大勢の友人に囲まれて、楽しくすごしてきた。
 まがりなりにも、上の学校へいき、就職も出来た。そして今、二十二歳。
 結局、いままでのことは、何一つとして、死の前には何の支えにもなっていなかった。
 ただうろたえ、取り乱し、驚愕する無様な姿が、この二十二年間、何をして生きてきたのか
 の、私の結果となったのである。
 死神のせせら笑いは、私個人に対してか、それとも人間すべてに対してか・・・。
 また、これ以上生かしてやったところで、同じことだと思うゆえか。

 死神よ!
 私は今限りで、人生を変えよう。
 死を前にして、これほどまですべての事柄が、色あせてしまおうとは思ってもみなかった。
 人がやっているから、自分もやるでは、もはやすまされなくなった。
 価値観が違うのだ。そうなのだ。
 いままで生きて、世間一般の価値観や常識の中で、自分を磨こうと思ってもみた。
 しかし、根本から変えずして、再び死に直面することは、もはや許されなくなった。
 人間って、本当は何だったんだろう。
 今思う。それをわからずして、よくも生きてきたものだ。
 二十二年間を死神よ、すべて無駄だったというのか。そしてこれからも、どうせ
 無駄だと、それで私の命を取り上げに来たのか・・・。
 
 どうだ、死神よ、賭けてみないかこの私に。
 もし、今後私が何一つ見いだせないとわかった時は、即刻生命をとるがいい。
 いつ、どこで、どんな手段でもいい。
 しかし、今後は必死で探すから、求めるから、人の道に出会えた時、生きること
 死ぬことがはっきりとわかったら、その時こそ、必ず、必ず報いよう・・・・。


私は変わった。自他ともに認めるほど、変わった。
仕事はやめた。人生の何たるかは、片手間に、余暇で学ぶことは出来なかった。
これからの日々を全部、このことに向けるのが、死から脱し、約束事を残して
きた私の仕事でもあった。
仕事を途中で投げ出した私は、このうえない無責任者となり、家族にとっては、勝手放題の
放蕩人間と化した。
友人は、私のあまりの変化をいぶかり、一人去り、また一人と去っていった。
いままで育み合った信頼と愛情の、すべてを失って、二十二歳の春、私はたった一人
になって、「一個の人間」として立ち上がった。
私から奪えるものは、もはや生命以外には、何もなかった。
しかし、何を惜しむことがあろう。
「人間」というこの不可解な、しかしいとおしいものを求めての旅が始まるのだ。
親の驚きと戸惑いは、失意に代わっていく。半狂いになった我が子をかかえての生活
が、始まってしまったのだ。
私はといえば、「生きること」を、そして「死ぬ意味」を教えてくれない親は、その時の
私にとっては、もはや親の意味をなさなかった。
「子供一人が、親に先だって死んだと思って」と、親が私を完全にあきらめてくれる事を
勝手にも本気で願っていた。
そして、「この世」からおのれ自身を、自他ともに葬り去った。
この日をもって、私は死んだ。

誰ひとり見届ける者のなかった冬山での「孤独の戴冠」は、新たな出発の為の儀式となった
のである。

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