それからの私は、何ひとつわからないままに旅に出るようになった。
生きてはいるが、まるで存在感のない私に、家族は沈黙するのみであった。
私は憑(つ)かれたように旅に出た。
北海道の二週間の旅は、大自然というものに、生まれてはじめて触れたような気が
した。北の国の自然は、あるがままの姿で、私を迎えてくれた。
知床の真っ赤な夕日。美幌峠の景観、摩周湖の霧と、そのはれゆくみごとな湖のたたずまい。
そして、牧場とサイロとポプラ並木。羅臼の漁船、大沼の駒ケ岳。旭川のアイヌ。
牛乳とラーメンと、とうもろこし。そしてカニとじゃがいも。
自然と味覚と人情が、よじれた糸になって、すばらしい思い出が私の心の中で、
織りあがっていく。(ここだけみれば、私は余裕ある、のんきな旅人に見えるだろう)
人と、自然・・・何かある。
大自然の中に立って、おのれを見つめるとき、こんなにちっぽけな人間が、大自然にも
匹敵するような内容が、密んでいる気がしてくる。
知床の夕日を見た。夏の終わりの日であった。私は体が震えて、涙が止まらなかった。
理論じゃない、理屈じゃない。どこからかつきあげてくるものに、心ゆさぶられ、体が
熱くなってふるえるのだ。
ああ、直接この生命に与える何かが、ある。やさしさか、はげましか、それとも厳しい
諌めか。言葉を介さずして、直接魂に呼びかける「声なき声」を知る。
何かがある。大自然の中に、宇宙の中に、人間の生命と共鳴して触れ合える、何かがある。
私は嬉しかった。この自然は、この宇宙は、何の縁もゆかりもないと思っていた。
こんなものは、ただの「環境」にすぎないと、思っていた。
しかし・・・・何かが、・・・。
そうだ、この広大な自然の中に、ともしたら私の「ふるさと」のようなものが、あるかも
しれないと思った。
夜汽車に乗って旅をした。
凍てつく寒い冬の日、真夜中の駅が修行の場となる。
私はひたすら、人々の話を聞いた。まきストーブに燃える火をみつめながら、乞食の老人の
話を聞く。「人間なんて、空しいよ・・・」と、愛する息子に捨てられたうさを、ぼそぼそ
とつぶやく。
南へと向かう列車で、向かい合わせの人の話を聞く。東京に住むその社長は、明日の
ことで燃えている。死ぬことなど、思ったこともないと、言う。それが、普通なのだ。
しかし、私はいつも忘れない。いや、忘れることが出来ないのだ。
死は、あのときのように、何の前触れもなく、予告なしにやってくるのだ。
家族を暗黒の中に落とし込みながら、私の旅は続いた。
真冬の十和田湖で、自殺志願の青年と会った。
片道切符しか持たないというその青年は、よほどの覚悟とみた。
神奈川の鶴見で、ボイラーマンをしていたというその彼のいきさつを、わたしはいっさい
聞かなかった。
ただ、ひたすら死ぬことが目的である者に、何を言ってもはじまりっこない。
一度死んでみるしかない。私の態度は冷たかった。
本当に死ねるんならば、死んでみれば・・・・。
青年は何を思ったのか、もう一度生きてみるといって、鶴見へ帰っていった。
自殺志願の青年ではあったが、「死」という共通のものをみつめての旅人であった
一人の相棒を失って、私はなぜか一人、そこに取り残された思いがした。
やはり、「死」と向かい合うのに、相棒は許されないのだ。おのれ一人で「死」を
見つめ、向かい合うしかない。
松江城と宍道湖。大山と砂丘、そして出雲大社。
私の旅は続く。
そして・・・・。
ついに、私の足は釘づけになった・・・ある場所で。
日本三景の一つ、あの天橋立は、秋の陽に映えて、美しく輝いていた。
そのほとりに、小さな堂があった。たしか、「文殊堂」といった。
その中は、経文や写経などが並び、資料館のようになっていた。堂の隅の壁に、一枚の
掛け軸があった。
それは、・・・・何と、十二単衣の美しい女御の死にゆく様の、刻一刻と移りゆく
無情な姿を描いた「絵巻」であった。
美しい衣は、次第に剥がれ落ち、死体は驚くほどふくれていく。
裸同然となった体からは、水がジクジクと流れ出し、あちらこちらにウジがわく。
肉が崩れ、骨がさらけ出てくると、頭髪はわずかばかりを残して、ほとんど抜け落ちる。
かすかに残った髪がからまりつくドクロは、もはやかつて、十二単衣の女御であったこと
など、どこにもその跡を残していない。そしてその絵からは、いまにも死臭に満ち満ちた
悪臭が、漂ってくるようである。
あまりにも生々しい醜態に、息をのむ思いがする。
さらに、屍は風雨にさらされて、骨も崩れ、もはや原形さえもとどめていない。
そして次第に、土と化していく。
無言であることが、かえって重みをもってせまりくるこの一枚の絵巻は、天橋立の美しさと
対座して、今も人々の魂に「宿命」を訴え続けていることであろう。
無惨・・・か、はたまた無情か・・・、いや、無常なる世のつねであった。
そしてこれが、古今変わりなく続いてきた、自然の理なのだ。
こうして。
私は何かに操られるようにして、心と体の旅を続けていったのである。
そして何とかして早く、死と無常観の向こうに「何か」を見出さなければ・・・。
時は私を待ってはくれないのだ。
生きてはいるが、まるで存在感のない私に、家族は沈黙するのみであった。
私は憑(つ)かれたように旅に出た。
北海道の二週間の旅は、大自然というものに、生まれてはじめて触れたような気が
した。北の国の自然は、あるがままの姿で、私を迎えてくれた。
知床の真っ赤な夕日。美幌峠の景観、摩周湖の霧と、そのはれゆくみごとな湖のたたずまい。
そして、牧場とサイロとポプラ並木。羅臼の漁船、大沼の駒ケ岳。旭川のアイヌ。
牛乳とラーメンと、とうもろこし。そしてカニとじゃがいも。
自然と味覚と人情が、よじれた糸になって、すばらしい思い出が私の心の中で、
織りあがっていく。(ここだけみれば、私は余裕ある、のんきな旅人に見えるだろう)
人と、自然・・・何かある。
大自然の中に立って、おのれを見つめるとき、こんなにちっぽけな人間が、大自然にも
匹敵するような内容が、密んでいる気がしてくる。
知床の夕日を見た。夏の終わりの日であった。私は体が震えて、涙が止まらなかった。
理論じゃない、理屈じゃない。どこからかつきあげてくるものに、心ゆさぶられ、体が
熱くなってふるえるのだ。
ああ、直接この生命に与える何かが、ある。やさしさか、はげましか、それとも厳しい
諌めか。言葉を介さずして、直接魂に呼びかける「声なき声」を知る。
何かがある。大自然の中に、宇宙の中に、人間の生命と共鳴して触れ合える、何かがある。
私は嬉しかった。この自然は、この宇宙は、何の縁もゆかりもないと思っていた。
こんなものは、ただの「環境」にすぎないと、思っていた。
しかし・・・・何かが、・・・。
そうだ、この広大な自然の中に、ともしたら私の「ふるさと」のようなものが、あるかも
しれないと思った。
夜汽車に乗って旅をした。
凍てつく寒い冬の日、真夜中の駅が修行の場となる。
私はひたすら、人々の話を聞いた。まきストーブに燃える火をみつめながら、乞食の老人の
話を聞く。「人間なんて、空しいよ・・・」と、愛する息子に捨てられたうさを、ぼそぼそ
とつぶやく。
南へと向かう列車で、向かい合わせの人の話を聞く。東京に住むその社長は、明日の
ことで燃えている。死ぬことなど、思ったこともないと、言う。それが、普通なのだ。
しかし、私はいつも忘れない。いや、忘れることが出来ないのだ。
死は、あのときのように、何の前触れもなく、予告なしにやってくるのだ。
家族を暗黒の中に落とし込みながら、私の旅は続いた。
真冬の十和田湖で、自殺志願の青年と会った。
片道切符しか持たないというその青年は、よほどの覚悟とみた。
神奈川の鶴見で、ボイラーマンをしていたというその彼のいきさつを、わたしはいっさい
聞かなかった。
ただ、ひたすら死ぬことが目的である者に、何を言ってもはじまりっこない。
一度死んでみるしかない。私の態度は冷たかった。
本当に死ねるんならば、死んでみれば・・・・。
青年は何を思ったのか、もう一度生きてみるといって、鶴見へ帰っていった。
自殺志願の青年ではあったが、「死」という共通のものをみつめての旅人であった
一人の相棒を失って、私はなぜか一人、そこに取り残された思いがした。
やはり、「死」と向かい合うのに、相棒は許されないのだ。おのれ一人で「死」を
見つめ、向かい合うしかない。
松江城と宍道湖。大山と砂丘、そして出雲大社。
私の旅は続く。
そして・・・・。
ついに、私の足は釘づけになった・・・ある場所で。
日本三景の一つ、あの天橋立は、秋の陽に映えて、美しく輝いていた。
そのほとりに、小さな堂があった。たしか、「文殊堂」といった。
その中は、経文や写経などが並び、資料館のようになっていた。堂の隅の壁に、一枚の
掛け軸があった。
それは、・・・・何と、十二単衣の美しい女御の死にゆく様の、刻一刻と移りゆく
無情な姿を描いた「絵巻」であった。
美しい衣は、次第に剥がれ落ち、死体は驚くほどふくれていく。
裸同然となった体からは、水がジクジクと流れ出し、あちらこちらにウジがわく。
肉が崩れ、骨がさらけ出てくると、頭髪はわずかばかりを残して、ほとんど抜け落ちる。
かすかに残った髪がからまりつくドクロは、もはやかつて、十二単衣の女御であったこと
など、どこにもその跡を残していない。そしてその絵からは、いまにも死臭に満ち満ちた
悪臭が、漂ってくるようである。
あまりにも生々しい醜態に、息をのむ思いがする。
さらに、屍は風雨にさらされて、骨も崩れ、もはや原形さえもとどめていない。
そして次第に、土と化していく。
無言であることが、かえって重みをもってせまりくるこの一枚の絵巻は、天橋立の美しさと
対座して、今も人々の魂に「宿命」を訴え続けていることであろう。
無惨・・・か、はたまた無情か・・・、いや、無常なる世のつねであった。
そしてこれが、古今変わりなく続いてきた、自然の理なのだ。
こうして。
私は何かに操られるようにして、心と体の旅を続けていったのである。
そして何とかして早く、死と無常観の向こうに「何か」を見出さなければ・・・。
時は私を待ってはくれないのだ。
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