特にこれと言ったコンセプトのないブログ 2015年10月意識低い系を宣言。

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1999年人類滅亡を信じて生きてきたが
その後も惰性で日々を送っている。

過酷な労働環境 外国人研修生

2014年12月22日 | ワーキングプア 働いても貧困な人

フィリピンから来た研修生が九州にある鶏肉関連の工場で今日は朝の6時から夜の9時まで仕事をするといっていた。

いまはクリスマス年末年始で鶏の需要が多いので特に長時間労働を強いられているのだろうが、過酷な労働条件である。

研修制度は日本社会を持続するための超安価な3K労働力確保に他ならない。すべての研修先が過酷とは限らないがそういう環境が多いことは間違いないだろう。そもそも過酷でない勤務場所なら普通に日本人を雇用すればよいだけの話だ。

 

 

最近忘れそうになっていた。小学生の頃に想像していた未来の社会の様子のことを思いだした。幸か不幸かは別として予想は当たらなかった。

 

当時カシオの電子計算機のテレビCMを見て、これからは算数を勉強する必要がないと決意。更にそこから発展させロボットによる自動化が進めばこの世の仕事はロボット任せで人間は持て余した時間を趣味芸術娯楽に費やし放題。多分SF小説に描かれていた未来社会を参照にしたのだろう。

ところが想定していた労働力のロボット化によるメリットは機械の所有者である資本家が独占してしまった。今そんな自由な暮らしをしているのはこの世の富を自己の支配下に置いた超大金持ちだけだ。結局資本家はロボット化と安価な労働力を使い分けて、外国人研修生、派遣社員制度などを合法化し更なる低賃金労働力を増強しているようにしか見えない。

 

 

それでは資本家以外は奴隷のような存在であり続けなければならないのだろうか。

SF的未来社会とは正反対の方法でそれとは別次元の自由を謳歌している人もいる。拝金主義の呪縛から自らの精神を解放し独立した一個人として生きる人間だ。

搾取されることに抵抗を感じるものは雇用契約を結ぶことを拒み、資本主義を否定するような自由なスローライフを歩み始めている。ここでは親の脛を齧って生きる日本的解釈のニートは含んでいない。

 

あまりにも具体例がなく、曖昧すぎるのでなんのことかわからないかもしれないが、そうするのが当たり前と思っていることをもう一度なぜそれが当たり前なのかを考えてほしい。かなり飛躍してしまうのだが、あなたを含む大多数がその当たり前のことを当たり前として何の疑問もなく、またはうすうす感じる違和感を否定して受け入れて行動している結果が今の社会の歪の一因になっていないだろうか。

 

こういうこと書くと社会不適合人間が自己正当化しているよう思われそうだ。まあそういう部分もあるのも事実だろう。

外国人研修生として日本で働いている人たちもどうかよいお年をお迎えください。

 

 

 


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