特にこれと言ったコンセプトのないブログ 2015年10月意識低い系を宣言。

私の辞書に努力と継続と言う文字は無い。
1999年人類滅亡を信じて生きてきたが
その後も惰性で日々を送っている。

フィリピン日記 21日から24日

2012年05月01日 | フィリピン
旅20日以降
この街Tandagにも安ホテルがあった。かなりくたびれた外観だが料金はBacolodのペンションと変わらなかった。部屋の中は見ていないので何とも言えない。

誰も知り合いがいない鄙びた街にでも行って、こんな寂れた宿で人と深く関わらず、これといった目的もなしにひっそりと隠れたように暮らすのも悪くないような気がする。まあ生きながらにして死んでいるような生き方ではあるが。


NSO 正式な訳は知らないが国家統計局としておこう。TandagのNSO事務所が火災で焼け落ちていた。今日市役所で訊いたら10日後に再開するということなのでそれまで待つことにする。

実は今不思議なことが起きている、時間の歩みがスローダウンしているのだ。もちろん感覚的なものだが、旅を始めてからようやく20日が経過した感じだ。

21日目
寸前の豚の断末魔の叫びを聞くとそこまでして肉を食べる意味があるのだろうかと首をかしげざるを得なくなる。魚やイカならいいのかと反論されても「そうですよね。」
としかいえないが。

今朝マーケットで買ったもの地場産の1kgP40の鰯と1kgP60の小型のイカをそれぞれ半キロずつ。

22日目
市場の火事の被害者の話を聞けた。時間はこご4時頃で街に1台しかない消防車も役に立たなかったようだ。市場は建物自体が老朽化しているので保険の対象外になっているので全ての店が大損したということだ。

運悪くDavaoから仕入れたばかりのP150,000分の在庫が文字通り灰となったのだ。市役所の非正規労働者の賃金が1日僅かP250の国ではこの被害額はかなりの大金で店の主人も眠れぬ日々を過ごしたということだ。

23日目
日曜日というのは毎日休みの生活を送っている人にはあまり意味がない。フィリピン人のように教会に通う訳でもないし。生きていることと生きることの違いは、状態を表すか意思を表すかの違いだ。

どうやら今日はまだ土曜日のようだ。

24日目
ネットカフェてネットに繋いでも誰も連絡する人がいない。日本にも驚くべき大ニュースがないようだ。トラフィック制限をしているので動画を観て暇潰しもできない。