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鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

人口減の中でのリフレッシュプラザ鷹泊

2016年09月10日 | Weblog

リフレッシュプラザ鷹泊ができた当初の開館日は受付の方が常駐されていたようで、実際9年前には旧深名線資料館を見せてもらったが、ここ数年は訪れても、開いていないことが続いた。昨今は鉄道ブームであり、鉄道マニアにとっては何回見ても飽きない旧深名線に関する資料であるが、普通の人にとっては一回見てしまえばそれでよくて、リピーターにはならないのではと思う。訪れる人も多くはなく、地元の人も少なくなったのだから係員常駐でないのはやむを得ない。
この日は入植120年関連の行事開催ということでしっかりと開いていた。正面のふすま戸の部屋には創造と書いてあった。部屋名からして研修ルームなのだろう。リフレッシュプラザ鷹泊の説明には、「地域住民のコミュニティー活動の中心施設として多目的研修室・交流ホール・体験工房・浴室等の設備を持った施設で、旧新名線資料室の展示室もある。」と書いてある。

写真上はリフレッシュプラザ鷹泊の外観、写真下はその玄関入り口。
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旧鷹泊小中学校校庭は、子供の多かった昭和の夏休みを思い出させる

2016年09月08日 | Weblog

写真はリフレッシュプラザ鷹泊前の公園

リフレッシュプラザ鷹泊の公園は、旧鷹泊小中学校校庭の北側半分であった所に造られている。9年間通った学校の校庭であったゆえ、その頃を思い出すと、懐かしい気持ちが湧いてくる。
この8月の夏休み時期には、朝は連日ラジオ体操に集まり、盆踊りの時期には子供達の踊りの輪が二重、三重になっていた。
♪そよろそよ風、牧場に街に〜♪
この北海道限定の盆踊り唄、いわゆるシャンコシャンコおどりの歌(昭和27年にレコード化された歌とのこと)は60年経った今でも盆踊りの時期にはあちこちから聞こえてくる。この唄を聞くと当時の鷹泊小中学校グラウンドでの子供盆踊りの光景を思い出す。


写真は旧鷹泊小中学校(80周年記念誌から転載)
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リフレッシュプラザ鷹泊の千本桜は順調に生育中

2016年09月06日 | Weblog


右折した道を進んだ奥に鷹泊小学校の跡地利用で開設された、リフレッシュプラザ鷹泊がある。
この道の先には旧鷹泊小中学校があった。その時から二代目の鷹泊小学校を挟み約60年が経過しているが、その60年前すなわち120年前はこの場所も未開の原始林だったのだろうか。
このリフレッシュプラザ鷹泊の建物の前の花壇は、何時もきれいな花が植わっている。だれが花壇を管理しているのだろう。


花壇だけでなく、桜の記念植樹(千本桜と銘打たれている)されている場所も下の芝を含め、きれいに整地されている。今は桜の季節ではないが、植樹された千本桜の木々は順調に大きく育ち来訪者を癒してくれる。残念ながらこの場所に一時設置されていたパークゴルフ場は撤去されたままのようであった。
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樹木も半世紀経過すと様相を変える

2016年09月04日 | Weblog



学校への曲がりかど、その昔に宮部商店があったところ(正確には学校寄り)には大きな樹が立っていた。たしか昔は背の高い普通のポプラの木(北大のポプラ並木みたいな)だったと思っていたが、ずいぶん横にもひろがりポプラとは違うような樹形で存在感があった。半世紀も経過すると樹もずいぶんと成長するものだ。ポプラについて調べると、「明治期に導入された外来種で寿命は比較的短く、数十年から100年程度で老木となり、台風などで倒れやすい。」とある。この木が何時植えられたかはわからないが、この木がポプラで間違いなければ、入植後に植えられたことになる。

 
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学校に向かう曲がりかどの今

2016年09月02日 | Weblog

入植120年の看板が設置されていた場所は、半世紀前には学校へ通じる道の交差部、宮部商店があった位置にあたる。学校に近いお店だったので学用品は宮部商店でよく買った。
写真では右手奥にリフレッシュプラザ鷹泊前の公園にある東屋が見える。左手に小さく鷹泊神社の鳥居が写り、わかりづらいがバス停も真ん中に存在する(鷹泊自然公園バス停)。このあたりには民家も数軒存在しているので、リフレッシュプラザ鷹泊を含めたこの近辺が今の鷹泊では中心部のように思えた。昭和30年代は中鷹から上鷹にかけてのお店が並んでいた部分が鷹泊市街地の中心部分だった


国道を渡るための歩行者用の手押し式信号機があったが、鷹泊にある唯一の信号機である。交通量の少なさから判断すると信号機は不要に思えるが、小学校があった時代の名残なのだろう。
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