鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

中鷹地域を歩いてみた。

2020年09月22日 | Weblog

人家は少ない。家はあっても、窓が目張りされているとかで明らかに住人がいなさそうな家もある。道を歩いていても誰にも遭遇しなかった。

店はなし。鷹泊で最後まで残っていた松澤商店も自動販売機は置いてあったが、店はやめた状態。

お寺跡はずっと空地であったが、重機が入った建物が出来ていた。看板はなかったが、富岡産業のものと思われた。

写真はお寺跡の空地にできていた施設。

中鷹地域には、松澤商店、三浦鮮魚店兼自転車屋、弘田商店兼精米所、萩浦鉄工所、農協、高岩商店と今思い出しただけでも多くの店があった。消防番屋の2階に広間があったが、子どもたちにも使わせてくれたので、そこで百人一首などをしたことが思い出された。

昭和36年のデータで中鷹だけで世帯数29戸、人口140人であった。

細○さんの家の横から、堤防へ行ける道があった。堤防の向こう側にゴミ捨て場があったが、フナ、ウグイの釣れる沼もあった。第三水泳場へ行く道でもあり、この道はよく通った。今は堤防の上が工事中のようで行けなかった。

写真は中鷹の堤防へ続く道