今回ペンケに注目した理由は、鷹泊の歴史の中で、最盛期には、ペンケ地域に1000人を超える砂金掘りの人達が集まったという記述を眼にし、ペンケにそんなに住めるはずがないと思ったので、それを自分の目で確認するためでもあった。
明治35年頃に鷹泊の雨竜川とその右岸にある支流に砂金が発見されたことで、ペンケに1000人以上の人達(あるいは3000人とも言われている)が集まった。ペンケから坊主山の近くまで砂金掘りの人達の草小屋が連なっていたなどと、にわかには信じられないような記載であった。しかしペンケに立ってみて周囲を見渡すと、思っていた以上に広く、それだけの人達が集まっていたのは間違いでないと納得できた。
ペンケから雨竜川に沿って、上流の採取現場へでかけたのだろうか。
写真はペンケ中央部から北の方角を写している。中央やや左、はるか遠くに坊主山が映っている。
雨竜川の左岸にあたるペンケから、どこかで雨竜川を渡って右岸の採取現場へ行ったと思われる。川の対岸へ簡単に歩いて渡れたのだろうかと想像はふくらむ。
写真は鷹泊ダムのすぐ下流の位置から、ペンケの少し上流にあたる雨竜川の左岸を写したもの。木々が繁茂している。