鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

深名線廃止前の鷹泊駅

2007年12月10日 | Weblog
昭和30年代は深名線沿線の人口も多く、深川の高校へ列車通学する生徒が多かったので、 すし詰めの満員通学列車は深名線か国電かと揶揄されたものだ。人口も減り続けて、鷹泊駅は昭和59年(1984年)無人化駅となり、平成7年(1995年)9月4日深名線は廃止となった。国鉄時代、国鉄営業係数(100円の収入を得るのにどれだけの費用を要するかの数値)が2000とか3000以上とか信じられない数値で全国ランキング常に上位に位置していた。ワースト記録ではあるが、全国上位と報道されるたびに深名線の住人であることを誇らしく思ったりもした。深川-朱鞠内という長い路線で豪雪地帯のため除雪など保線がたいへんで乗客も多くないことが原因であった。しかし国鉄民営化後、道路整備を進めてJR北海道バスによる冬場の代替輸送が可能になったことで鉄路の廃止となってしまった。 写真は廃止前の駅舎(鷹泊小学校90周年記念誌より)