鈴鹿サーキット、2007年F1開催を断念
また寂しい話です。
一時代が終わるのか…という感じですね。
富士(トヨタ)という新しい時代が来るんですね。
GS神戸といい、鈴鹿といい、素晴らしい実績と環境を持つ場所がこうして衰退していっている。
とくに自分にとっても思い出深い場所ですから、よけいに寂しさを感じます。
”もったいない”
鈴鹿ではいろんな歴史が作られましたね。
1・セナとプロストのスタート直後の接触(90年)。
2・マンセルのコースアウト(91年)。
3・セナ、ホンダラストイヤーでのリタイア(92年)。
など、やはりセナに関わる事柄がまず出てきます。
セナを取り巻くドライバー(マンセル、プロスト、ベルガーなど)もまた、鈴鹿の歴史に大きく名を刻んでいます。
他には、中嶋悟引退の91年、最後の鈴鹿での走り。
1コーナーでアウトからオーバーテイクしたときは感動しました。
そのあと急なトラブルでリタイアしてしまいましたが。。。
ラストランといえば、片山右京の最後の鈴鹿(97年)は生で観戦できたのはとても嬉しかったです。
あのときはアーバインがカッコよく見えたなぁ(笑)。
生観戦といえば、F1はその97年が最初で最後となりそうですが…、Fニッポンを見に行ったことがあって、高木虎之助、ラルフ・シューマッハー、近藤真彦の走りを間近で見ることができたのも良い思い出です。
そう、日本のF3000出身者がハイレベルなのも、鈴鹿で鍛えられた功績が大きな力になってるのではないでしょうか。
個人的にはサーキットカートといって、レース開催日以外の日にサーキットをゴーカートで走れるのがあるんですが、生まれて初めての”車の運転”が鈴鹿のそれだったので(笑)その感動たるや、いまでも鮮明に覚えています。
「セナや中嶋が走った同じところを走ってるんだ」って感動がありました。
なにより世界のセナが愛した世界随一のサーキット。
F1の舞台は変われど、その功績と、最高のサーキットである自負は忘れずにいたいものです。
写っ
は、鈴鹿サーキットをGoogle Earthで見たものです。
道路地図や航空写真でも、ついついその”カタチ”を探してしまいます。。。
また寂しい話です。
一時代が終わるのか…という感じですね。
富士(トヨタ)という新しい時代が来るんですね。
GS神戸といい、鈴鹿といい、素晴らしい実績と環境を持つ場所がこうして衰退していっている。
とくに自分にとっても思い出深い場所ですから、よけいに寂しさを感じます。
”もったいない”
鈴鹿ではいろんな歴史が作られましたね。
1・セナとプロストのスタート直後の接触(90年)。
2・マンセルのコースアウト(91年)。
3・セナ、ホンダラストイヤーでのリタイア(92年)。
など、やはりセナに関わる事柄がまず出てきます。
セナを取り巻くドライバー(マンセル、プロスト、ベルガーなど)もまた、鈴鹿の歴史に大きく名を刻んでいます。
他には、中嶋悟引退の91年、最後の鈴鹿での走り。
1コーナーでアウトからオーバーテイクしたときは感動しました。
そのあと急なトラブルでリタイアしてしまいましたが。。。
ラストランといえば、片山右京の最後の鈴鹿(97年)は生で観戦できたのはとても嬉しかったです。
あのときはアーバインがカッコよく見えたなぁ(笑)。
生観戦といえば、F1はその97年が最初で最後となりそうですが…、Fニッポンを見に行ったことがあって、高木虎之助、ラルフ・シューマッハー、近藤真彦の走りを間近で見ることができたのも良い思い出です。
そう、日本のF3000出身者がハイレベルなのも、鈴鹿で鍛えられた功績が大きな力になってるのではないでしょうか。
個人的にはサーキットカートといって、レース開催日以外の日にサーキットをゴーカートで走れるのがあるんですが、生まれて初めての”車の運転”が鈴鹿のそれだったので(笑)その感動たるや、いまでも鮮明に覚えています。
「セナや中嶋が走った同じところを走ってるんだ」って感動がありました。
なにより世界のセナが愛した世界随一のサーキット。
F1の舞台は変われど、その功績と、最高のサーキットである自負は忘れずにいたいものです。
写っ
は、鈴鹿サーキットをGoogle Earthで見たものです。
道路地図や航空写真でも、ついついその”カタチ”を探してしまいます。。。