湘南シーレックスが本拠地最終戦。地元ファンが「別れ」惜しむ
==記事全文===
プロ野球・横浜ベイスターズの2軍「湘南シーレックス」の本拠地最終戦が19日、横須賀スタジアムで行われた。球団は今季終了後にチーム名とユニホームを1軍と同じ横浜ベイスターズに統一することを決めており、地元ファンが「湘南」との別れを惜しんだ。
「ありがとう」「ずっと応援するから」。試合後に行われたセレモニー。マウンド付近に並んだ選手たちに、温かい声援が降り注いだ。同スタジアムには3千人を超えるファンが詰め掛け、普段は開放していない右翼の芝生席もびっしり埋まった。
「湘南」を冠したチーム名は、地元ファンの誇りでもあった。藤沢市の会社員浦田求さん(45)は「地元のチームという感じがして愛着があった」と3年間、同スタジアムに通ったという。別の男性ファンは「チーム名もユニホームも、海をイメージできて神奈川らしい」と気に入っていただけに、チーム名変更が残念な様子だ。
もっとも、本拠地を移転するわけではなく、球団は横須賀市内の小学校訪問や地域イベントへの参加などを引き続き行っていく考え。応援に駆け付けた吉田雄人横須賀市長も「今まで培ってきたきずなをもとに、地域一丸となって応援していきたい」と、変わらぬ支援を約束した。
試合は2―1で日本ハムを下し、イースタン・リーグの優勝戦線に踏みとどまった。今季は、期待の新人・筒香嘉智選手(横浜高)の活躍など、話題もあった。横浜市青葉区の会社員、葛西一さん(32)は、「湘南の名前を歴史に刻んでほしい」と逆転優勝を願っていた。
=========
いい話だ。
というか、うらやましい話だと感じた。
地域密着と言う新しいスタイルを提唱して10年。
追浜の「湘南」の存在意義を見せつけた結果だと思う。
追浜は「湘南」である程度の独立採算を目指していたものの、さすがに黒字をたたき出すことは出来ず、結局はこうした結果になってしまったわけだが、それでもやはり地元「日産」とのプロアマ戦を確立して独自の話題性を見出したり、独立リーグ立ち上げ→「地域密着のローカルカテゴリづくり」という定義の布石を作り出したのかもしれない。
と思います。
以前
ボクはやはり湘南消滅と言う話を聞いて、これもひとつの進化の一歩。
NPB「湘南」の役割は終わったのかもしれない。
と感想を書きました。
「湘南」の成功は、今後のクラブチームや独立リーグのスキルに生きてくれば、、、
それにしても、
「湘南」消滅の反響の大きさたるや!!
ボクは感動ものです。
やっぱ
応援しているチーム名やチームカラーってものが、地域に根ざすということは、その土地の血となり歴史となり、文化になっていっているんです。
だから
親会社、経営方針など「政治的」な理由で簡単に変えてほしくない。
ファンとしては、
そのカラーを誇りに、励まし、励まされてきたのだから。
そこにきて思えば、、、
「サーパス」
みごとなフェードアウトでした。
オリックスの場合は「ネーミングライツ=(スポンサー)」という観点でチーム名を区別し、独立採算を狙ったにすぎなかった。
ここに、「湘南」と違う大きな”違い”があったと思う。
ボクは、ファンとしてあえて”間違い”と声を大にしていってもいいものかも。。。
前述に触れますが、、、
ネーミングライツでしか成り立ってないチームカラーなんです。
割り切ったもんです。
「湘南」のような「地元の血」になるようなチームカラーとその意図ではなかったということです。
それでも、
2回の契約満了期で、そのたびに穴吹社長の判断でサーパスと言う名前が存続した。
だから、
ボクは穴吹社長のことを悪く言えないんです。
穴吹とオリックスの間には「宣伝と言うビジネス」しかなかったと思いますが、
サーパスを持っているという存在意義と誇りが穴吹社長のなかにあったから、高松ファイブアローズも誕生したとボクは今でも思ってますから。
ま
それはちょっと脱線話として、
要は、
「湘南」消滅も時代なのか、世情なのか、
と、惜しむばかりですが、、、
それでも本当に、何千人と言うファンがそのチームカラーの消滅に「惜しむ」という、この湘南ののこした「軌跡」。
かたや、
サーパスはそんな2度の契約満了も乗り越え、合併しても残ったチーム名だったのに、
最後の消滅の仕方のはかなさ。。。
すでに「存続」を願うファンも、「惜しむ」ファンもフェードアウト気味で、、
オリックス的には「去る者は追わず」
しかも穴吹の情勢がああでしたから、「過去を葬る」かのような仕打ち。
ここだけは声を大にして言わせてください。
珍しくオリックス批判なんですけど、、
オリックスファームに名前が戻ったある試合で、
試合に見に来た人にだけ「抽選会」と称したサーパスグッズの大処分大会があったのです。
これは、
球団公報には一切載っていなかった話で、
しかもそこでは
サーパスのグッズに限らず、実使用のユニフォームやヘルメットまでがファンの手に渡ったという抽選会だったのです。
球団的には
「サーパスの歴史と思い出を、応援に来てくれたファンに大切にしてほしい」
とでも大義名分があったのでしょう。
でも
選手の実使用品を「流出」させるに等しい安売りざま。
しかも
「こっそり」
オークションとか、ホームページなどで大々的に広報したものではないんです。
「サーパス」=商権
の問題で、広報が出来なかったのかもしれません。
だったら、
お蔵入りするべきと思うし。
だから
友人知人から、この抽選会のことは聞いていたのですが、
ボクはそこでグッズをもらう気にはなれなかった!!
サーパスの価値をなんだと思ってるんだ!?
って
腹が立ったんです。
このとき道具をもらった人を悪く言うつもりはないけれど、
ちょっと
「気が知れない」
と思った。
そして
サーパスでやってきた地域密着と言う観点と存在意義って、オリックス的には「その程度」のことだったのか。。
と、
落胆した気持ちになりました。
そういえば、、
さいきん北神戸に行こうとあまり思えなくなってしまったのも、これが大きいのかもしれないなぁ。。
ファームは好きだし、
若手選手のがんばりを応援したいし、
知り合いのコーチや関係者もいっぱいいるのに、
ご周知でしょうが、、、
ボクはサーパス立ち上げのときに新しいファームのあり方として期待し、おぐり君を誘ってサーパス応援団を立ち上げたほどでした。
合併時には
「サーパスもなくなるだろう」
と、
よさこいリーグに乗り込んでサーパスの”最後”の試合を惜しんだ。
よくよく考えれば、
このときの衝動は,今回の湘南最終戦に詰めかけたファンの方と同じだったと思う。
このときは
地元高知新聞にも記事になったんですよ!
大きく、記事の読めるサイズをご覧になりたい方はこちら
この年は、
レギュラーシーズンでもサーパスは中日と優勝争いを展開。
忘れもしない2004年9月11日
ナゴヤ球場の中日戦は大勝負の一番!
「宮崎(この年のファーム選手権の会場)に連れてって!」
と横断幕を作って掲げたら、当時の加藤英司監督が、のちの球団広報誌に「あのときのサーパス応援団に感動した!」とコメントも残してくれた。
サーパスファン冥利に尽きる、サーパス愛をさらけだした時期でした。
それが、、
サーパスからBsになったとたんに応援するテンションが変わったのは、サーパス消滅の経緯があまりにも悲しすぎたからでしょう。。。
「湘南」と同じ方向を向いてたら、、、
もし
サーパスではなく「湘南」を応援していたなら、、、
昨日の試合にボクも足を運び、、
大いに消滅を惜しんでいたのだろうな。
そして
来年は「横浜ファーム」になっても、ちゃんと応援できると思う。
ファンを大切にしているよ。
そして、チームを愛してくれているよ。
ずっと支えて来てくれた町なんだもん。
と、
聞こえるような気がする。
本当の地域密着。
マイナーカテゴリに光を差す運営理念。
マネジメントというなかの新しいカタチが、ひとつの役目を終えて、新たに継承されていってほしい。
湘南が、ただの横浜になっても、
追浜の誇りであってほしい。
っていうか
なるでしょ。
いま状態の良くない独立リーグもしかりで、
「球団が大切にすべきもの」
「守るべきもの」
が、
ぶれることなく、間違えることなく
「明確なビジョン」
をもって構えてほしいな。
そう思う一件でした。
チームの「誇り」って何か。
チームの「価値」って何か?
経営者にもファンの方にも、もう一度考えて頂きたいテーマであると思います。
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プロ野球・横浜ベイスターズの2軍「湘南シーレックス」の本拠地最終戦が19日、横須賀スタジアムで行われた。球団は今季終了後にチーム名とユニホームを1軍と同じ横浜ベイスターズに統一することを決めており、地元ファンが「湘南」との別れを惜しんだ。
「ありがとう」「ずっと応援するから」。試合後に行われたセレモニー。マウンド付近に並んだ選手たちに、温かい声援が降り注いだ。同スタジアムには3千人を超えるファンが詰め掛け、普段は開放していない右翼の芝生席もびっしり埋まった。
「湘南」を冠したチーム名は、地元ファンの誇りでもあった。藤沢市の会社員浦田求さん(45)は「地元のチームという感じがして愛着があった」と3年間、同スタジアムに通ったという。別の男性ファンは「チーム名もユニホームも、海をイメージできて神奈川らしい」と気に入っていただけに、チーム名変更が残念な様子だ。
もっとも、本拠地を移転するわけではなく、球団は横須賀市内の小学校訪問や地域イベントへの参加などを引き続き行っていく考え。応援に駆け付けた吉田雄人横須賀市長も「今まで培ってきたきずなをもとに、地域一丸となって応援していきたい」と、変わらぬ支援を約束した。
試合は2―1で日本ハムを下し、イースタン・リーグの優勝戦線に踏みとどまった。今季は、期待の新人・筒香嘉智選手(横浜高)の活躍など、話題もあった。横浜市青葉区の会社員、葛西一さん(32)は、「湘南の名前を歴史に刻んでほしい」と逆転優勝を願っていた。
=========
いい話だ。
というか、うらやましい話だと感じた。
地域密着と言う新しいスタイルを提唱して10年。
追浜の「湘南」の存在意義を見せつけた結果だと思う。
追浜は「湘南」である程度の独立採算を目指していたものの、さすがに黒字をたたき出すことは出来ず、結局はこうした結果になってしまったわけだが、それでもやはり地元「日産」とのプロアマ戦を確立して独自の話題性を見出したり、独立リーグ立ち上げ→「地域密着のローカルカテゴリづくり」という定義の布石を作り出したのかもしれない。
と思います。
以前
ボクはやはり湘南消滅と言う話を聞いて、これもひとつの進化の一歩。
NPB「湘南」の役割は終わったのかもしれない。
と感想を書きました。
「湘南」の成功は、今後のクラブチームや独立リーグのスキルに生きてくれば、、、
それにしても、
「湘南」消滅の反響の大きさたるや!!
ボクは感動ものです。
やっぱ
応援しているチーム名やチームカラーってものが、地域に根ざすということは、その土地の血となり歴史となり、文化になっていっているんです。
だから
親会社、経営方針など「政治的」な理由で簡単に変えてほしくない。
ファンとしては、
そのカラーを誇りに、励まし、励まされてきたのだから。
そこにきて思えば、、、
「サーパス」
みごとなフェードアウトでした。
オリックスの場合は「ネーミングライツ=(スポンサー)」という観点でチーム名を区別し、独立採算を狙ったにすぎなかった。
ここに、「湘南」と違う大きな”違い”があったと思う。
ボクは、ファンとしてあえて”間違い”と声を大にしていってもいいものかも。。。
前述に触れますが、、、
ネーミングライツでしか成り立ってないチームカラーなんです。
割り切ったもんです。
「湘南」のような「地元の血」になるようなチームカラーとその意図ではなかったということです。
それでも、
2回の契約満了期で、そのたびに穴吹社長の判断でサーパスと言う名前が存続した。
だから、
ボクは穴吹社長のことを悪く言えないんです。
穴吹とオリックスの間には「宣伝と言うビジネス」しかなかったと思いますが、
サーパスを持っているという存在意義と誇りが穴吹社長のなかにあったから、高松ファイブアローズも誕生したとボクは今でも思ってますから。
ま
それはちょっと脱線話として、
要は、
「湘南」消滅も時代なのか、世情なのか、
と、惜しむばかりですが、、、
それでも本当に、何千人と言うファンがそのチームカラーの消滅に「惜しむ」という、この湘南ののこした「軌跡」。
かたや、
サーパスはそんな2度の契約満了も乗り越え、合併しても残ったチーム名だったのに、
最後の消滅の仕方のはかなさ。。。
すでに「存続」を願うファンも、「惜しむ」ファンもフェードアウト気味で、、
オリックス的には「去る者は追わず」
しかも穴吹の情勢がああでしたから、「過去を葬る」かのような仕打ち。
ここだけは声を大にして言わせてください。
珍しくオリックス批判なんですけど、、
オリックスファームに名前が戻ったある試合で、
試合に見に来た人にだけ「抽選会」と称したサーパスグッズの大処分大会があったのです。
これは、
球団公報には一切載っていなかった話で、
しかもそこでは
サーパスのグッズに限らず、実使用のユニフォームやヘルメットまでがファンの手に渡ったという抽選会だったのです。
球団的には
「サーパスの歴史と思い出を、応援に来てくれたファンに大切にしてほしい」
とでも大義名分があったのでしょう。
でも
選手の実使用品を「流出」させるに等しい安売りざま。
しかも
「こっそり」
オークションとか、ホームページなどで大々的に広報したものではないんです。
「サーパス」=商権
の問題で、広報が出来なかったのかもしれません。
だったら、
お蔵入りするべきと思うし。
だから
友人知人から、この抽選会のことは聞いていたのですが、
ボクはそこでグッズをもらう気にはなれなかった!!
サーパスの価値をなんだと思ってるんだ!?
って
腹が立ったんです。
このとき道具をもらった人を悪く言うつもりはないけれど、
ちょっと
「気が知れない」
と思った。
そして
サーパスでやってきた地域密着と言う観点と存在意義って、オリックス的には「その程度」のことだったのか。。
と、
落胆した気持ちになりました。
そういえば、、
さいきん北神戸に行こうとあまり思えなくなってしまったのも、これが大きいのかもしれないなぁ。。
ファームは好きだし、
若手選手のがんばりを応援したいし、
知り合いのコーチや関係者もいっぱいいるのに、
ご周知でしょうが、、、
ボクはサーパス立ち上げのときに新しいファームのあり方として期待し、おぐり君を誘ってサーパス応援団を立ち上げたほどでした。
合併時には
「サーパスもなくなるだろう」
と、
よさこいリーグに乗り込んでサーパスの”最後”の試合を惜しんだ。
よくよく考えれば、
このときの衝動は,今回の湘南最終戦に詰めかけたファンの方と同じだったと思う。
このときは
地元高知新聞にも記事になったんですよ!
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この年は、
レギュラーシーズンでもサーパスは中日と優勝争いを展開。
忘れもしない2004年9月11日
ナゴヤ球場の中日戦は大勝負の一番!
「宮崎(この年のファーム選手権の会場)に連れてって!」
と横断幕を作って掲げたら、当時の加藤英司監督が、のちの球団広報誌に「あのときのサーパス応援団に感動した!」とコメントも残してくれた。
サーパスファン冥利に尽きる、サーパス愛をさらけだした時期でした。
それが、、
サーパスからBsになったとたんに応援するテンションが変わったのは、サーパス消滅の経緯があまりにも悲しすぎたからでしょう。。。
「湘南」と同じ方向を向いてたら、、、
もし
サーパスではなく「湘南」を応援していたなら、、、
昨日の試合にボクも足を運び、、
大いに消滅を惜しんでいたのだろうな。
そして
来年は「横浜ファーム」になっても、ちゃんと応援できると思う。
ファンを大切にしているよ。
そして、チームを愛してくれているよ。
ずっと支えて来てくれた町なんだもん。
と、
聞こえるような気がする。
本当の地域密着。
マイナーカテゴリに光を差す運営理念。
マネジメントというなかの新しいカタチが、ひとつの役目を終えて、新たに継承されていってほしい。
湘南が、ただの横浜になっても、
追浜の誇りであってほしい。
っていうか
なるでしょ。
いま状態の良くない独立リーグもしかりで、
「球団が大切にすべきもの」
「守るべきもの」
が、
ぶれることなく、間違えることなく
「明確なビジョン」
をもって構えてほしいな。
そう思う一件でした。
チームの「誇り」って何か。
チームの「価値」って何か?
経営者にもファンの方にも、もう一度考えて頂きたいテーマであると思います。
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ホンマ懐かしい
悲しみ、不安など色々と渦巻いていた高知
我々も東部に乗り込みダイエー球団最後の試合を応援したのを覚えてます
あの頃ホンマみんなが輝いていたなぁ・・・