慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

旧堺県庁散策(12/9/29)

2012年10月01日 | 知識取得

堺東駅

堺市走るちんちん電車(一両編成)
政令指定都市旧堺市散策
昔金持ちが多かった為か、神社仏閣が多いのに驚きます、14寺院・16神社 
 旧堺市内の狭い場所に、30以上神社仏閣が有ります
鉄砲製造住居(現在人が住んでおり、概観しか見学できません)


山口家住宅

炊事場

太い骨組み(400年↑持つ木造建築)

山口住宅

山口家の屋号である「越前屋」と記されている町人の住宅です
建立は、江戸時代初めで、一部手直ししていますが、築400年の住宅です
江戸時代には「京の着倒れ大坂の食い倒れ」「堺の建て倒れ」と言われました
 堺では、建物に贅を凝らしますが、この建物はその名残りを示すひとつです
最近まで、山口家の一族が住んでいましたが、市に寄贈され現在見学できます


清学院

清学院

江戸後期から明治初期にかけて「清光堂」という寺子屋が営まれていました。
河口慧海が、1870年に、清学院が教師をつとめていました

河口 慧海

黄檗宗の僧侶で、仏教学者の探検家です
日本に伝承されている漢語に音訳された仏典に疑問を感じ、仏陀本来の教えを求め
 梵語の原典とチベット語訳の仏典入手を決意し、日本人として初めてチベットへ入国をしました
帰国後 “Three Years in Tibet”をロンドンの出版社から刊行しました
経典の翻訳や研究し、僧侶を辞職し、在家仏教を提唱しましたある意味では、
 仏教会のマルチンルターの一人と思います


妙国寺

妙國寺

ソテツは大変珍しがられ、織田信長が権力をもって安土城へ移植させてしまいました。
そのソテツは毎夜毎夜「堺へ帰ろう」とすすり泣くので、ソテツを妙國寺に返し届けました
堺事件で、土佐藩士が切腹した場所でも有名です
 *フランス水兵100人が上陸し、市内を闊歩し傍若無人の振舞いに、堺警備隊の土佐藩士が応対する
 *フランス兵13名の死傷者を出す結果になり国際問題となる
 *フランスに賠償金を払うと共に、箕浦猪之吉他土佐藩士20名の切腹


本願寺堺別院本堂

堺県の表示

本願寺堺別院

本堂は、廃藩置県後10年間堺県庁として使用後、浄土真宗本願寺派へ返還されました
廃藩置県後、奈良県は無く、現在の堺市が堺県として、『堺市+奈良県』を治めていました


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