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間宮林蔵と樺太島

2018年05月12日 | 歴史上の人物
間宮林蔵(江戸時代後期の徳川将軍家御庭番、探検家)

☆元武家の帰農した農民出身で、幕府で御庭番をつとめた役人
 ☆樺太が島である事を確認し間宮海峡を発見した事で知られる
 ☆間宮林蔵は伊能忠敬の邸に出入りし測量技能の向上を学んだ

間宮 林蔵プロフィール
 ☆現在のつくばみらい市小貝川のほとりに、農民の子として生まれる
 ☆林蔵は幕臣・村上に地理や算術の才能を見込まれ幕府の下役人となった
 ☆国後場所(国後島、択捉島、得撫島)に派遣された
 ☆西蝦夷地を測量し、ウルップ島までの地図を作製した
通商の要求を断られたロシアニコライ・レザノフ
 ☆復讐のため部下に同島(文化露寇)襲撃行わせ林蔵も巻き込まれた
 ☆林蔵は徹底抗戦を主張するが、受け入れられず一時撤退する
 ☆再度、幕府の命により松田伝十郎に従って樺太を探索するこ
 ☆樺太南端でアイヌの従者を雇い、松田は西岸から、林蔵は東岸から樺太の探索を進めた
 ☆樺太北部にはアイヌ語が通じないオロッコと呼ばれる民族がいることを発見
 ☆林蔵らは、樺太が島であるという推測を得て「大日本国国境」の標柱を建てた
 ☆調査の報告書を提出した林蔵は、再度単身樺太へ向かった
 ☆北樺太西岸ナニオーまで到達し、樺太が半島でなく島である事を確認した
 (シーボルトは、日本地図作成で、樺太・大陸間の海峡を「マミアノセト」と命名した)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、NHK番組(知恵泉)、WIKIPEDIA








間宮林蔵と樺太島(NHK番組(知恵泉)テレビ画面より画像引用)



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