🌸生と死が重なる時3
☆読むの面倒な内容ですが、『なるほど!』と思わせる内容です
☆現代医療に欠如している「魂」の概念
⛳「中有」という仏教の知恵
☆心と身体が離れる時
*存在本来の姿が光と色彩に満ちで現出するが、恐れてはならない
☆意識は雷鳴のような雷鳴や光明と色彩を経験する
*既に死んでいるので音響や色彩で死ぬことはない
*恐れるべきではなく3日半かかり「バルドゥ」が始まる
☆バルドゥ1日目から14日目まで
*日々出会うだろう神々や神聖なお王(閻魔大王)の裁きを経て
*恐れず惑わずいれば、次に転生を欲望し
*次なる生としてふたたび地上に生まれ戻る
☆仏教では、亡くなってから次の命に生まれ変わるまでを「中有」と呼ぶ
☆仏教では、亡くなってから次の命に生まれ変わるまでを「中有」と呼ぶ
*チベット語ではこの中有がバルドゥである
*中有、日本では「中陰」と呼ばれ、中陰供養とは49日忌を指す
*「魂」を実証主義的に検証することは今後も不可能だと思う
☆2ヶ月間、故人を偲ぶ側の体調に動揺があるとすれば
*故人の「魂」が生者に話しかけては失望したり
*おののいたり、姿を見せてくれてもいいと思った.りすることである
☆故人がそうした惑いに苦しまないよう
☆故人がそうした惑いに苦しまないよう
*生者はそれぞれの祈りを捧げて静かに過ごす時間設定として
*バルドゥは実に適切な対応だと思われる
⛳ヒトの生と死は重複している
☆「魂」は、現代医学ではその存在が想定されていない
*医学が真正面から取り扱っている「生死」
*生も死も存在することは確かだ
*確固たる存在なのに、生死の境においては
*どちらであるかを明示できるような明白さは持っていない
☆心肺機能補助医療の発展で
☆心肺機能補助医療の発展で
*死を規定するものが「心臓の停止」一つだった時代が終わり
*脳機能の停止の場合もあるなど多様化してきている
☆人生の最終段階で生と死
*条件の違いによって同時に存在することになった
☆「魂」があるかないか分からないとしても
☆「魂」があるかないか分からないとしても
*死がこんなにあいまいなものでよいのか
☆魂の始まりはいつからなのか、いつから私は私であったのだろうか
☆魂の始まりはいつからなのか、いつから私は私であったのだろうか
*生死の中で「ヒトの生命の始まり」は
*死の定義以前からもとよりあいまいなものである
⛳胎児をヒトの生命の始まりとする場合の違い
☆ヒトの生命の始まり、宗教や政治、国家で異なる
☆日本では、妊娠22週日以降に胎児が亡くなった場合「死産届」提出
☆日本では、妊娠22週日以降に胎児が亡くなった場合「死産届」提出
*戸籍への登録や相続の権利は「出生」以降に初めて成立する
*一人の人となるのは出生後
☆キリスト教、特にカトリック、受精卵から一人の魂を有する
*人間としての権利を持つと考えられている
☆日本でも、胎児をどう受け止めるかは状況によって異なる
*授かりたくとも流産となった妊娠と
*授かりたくとも流産となった妊娠と
*母体保護法に基づいて経済的理由などから中絶された妊娠
*胎児を生命の始まりと捉えるか異なる
☆日本では受精卵でも
☆日本では受精卵でも
*不妊治療で子宮に着床されるのを待つ受精卵と
*疾患の治療開発のために受精卵から作ったES細胞とでは
*ヒトの生命の始まりと捉えられているかどうかは異なる.
☆現在iPS細胞からヒトを生み出そうとしてはいけない
☆現在iPS細胞からヒトを生み出そうとしてはいけない
*受精卵と同等の能力を持つ細胞がiPS細胞から偶然にできた場合
*一人の人間に発生させることは禁じられている
*そのような細胞は廃棄される
☆人間一個人の生命の始まりはいつなのか
☆人間一個人の生命の始まりはいつなのか
*あらゆる状況や立場をひっくるめていずれか一つ
*唯一無二の正解にまとめ束ねることはできない
☆死の場合の境界線もまた同じで、生と死は重複している
☆死の場合の境界線もまた同じで、生と死は重複している
*定義はケースごとに異なり、明確な線引きはできない
*今後、医療技術が進んでも、正解は複数であり続けるだろう
☆生命として維持されたかもしれない可能性
☆生命として維持されたかもしれない可能性
*喪失させる対極には、「生かす別の生命」の存在が想定されている
*医学的な操作は、誰かを生かすためにのみ許されるものである
*医療倫理はこのように規定されている
⛳現代医療に欠如している「魂」の概念
☆私たち人間は、物体から始まり、いつの間にか自我を持つのか
*いつ生命になりいつ死んだのかは恣意的で
*いつの間にか物体に帰るのか、身体は仮の入れ物で
*本体は魂だという感覚は、世界中に普遍的に存在する
☆魂は古来、心臓に宿ると考えられていた
*その後、脳室に宿ると言われたこともある
☆現代の医療倫理や方法論、魂の存在は想定されていない
*臓器移植の可否の場や妊娠継続の選択の場で
*魂がどこにあるのかは問いかけてはいけない問いである
☆我々の本体が魂だとして
☆我々の本体が魂だとして
*それはあるかないか分からない
*そんなつかみどころのないものでよいのだろうか
☆臓器移植や妊娠継続の場はもちろん、医療全体に存在する
*「生」「死」、始まりと終わりでとでもグレーである
☆どこに魂を位置付ければよいか分からな医療
☆どこに魂を位置付ければよいか分からな医療
*「魂」の概念が明確に欠けている
☆将来的にはアドバンス・ケア・プランニング等で
*死の後、看取りの後のケアも
*提供できる環境や思想を整備することが望まれる
(敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『死の医学』
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『中有(バルドゥ・中陰)』『生と死の境界』『体は魂の乗り物』
(ネットより画像引用)
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