慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

神仏習合2(日本の宗教で避けがたい出来事)

2022年03月13日 | 宗教

🌸神仏習合2(日本宗教で避けがたい出来事)

天武・持統天皇期(「日本」と「天皇」の呼称の始まり)

 ☆「日本」の国号、「天皇」の呼称

 *7世紀末の天武・持統天皇期に形成された

 *古事記・日本書紀の「国史」の編纂もこの時期に始まった

 ☆背景には古代史最大の内乱たる壬申の乱がある

 ☆天智天皇の後継で、天智の弟たる大海人皇子(後の天武天皇)

 *天智の子、大友皇子の近江朝に対して決起

 *1ヵ月に及ぶ戦に勝利して、飛鳥浄御原官に入った

 *壬申の乱を制して新政権をスタートした天武天皇、決意に満ち溢れていた

 ☆天智の時代に白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗

 *国家としての未成熟を自覚した日本、令国家体制の樹立に邁進する

 ☆天皇という称号、対内的に天武・持統朝以降である

天武・持統天皇期(歴史書の編纂にも着手)

 ☆『古事記』『日本書紀』となって完成、日本創生の神話誕生させた

 *天皇中心の国家体制の正統性を確立しようとした

 ☆しかし天武・持統朝は神祗だけを尊重したわけではない

 *天武天皇は皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願

 *天武天皇が崩御したため、持統・文武天皇が引き継ぎ藤原京に完成した

 *仏教を敬う気持も大きかった

 ☆天武朝「神祗重視」の律令国家体制が整備される中でも

 *仏教伝来を主導した実家・蘇我氏の影響で深く

 *仏教に帰依していた皇后、持統のために薬師寺建立を発願した天武

仏教と天皇が最も接近した時

 ☆聖武天皇が仏教興隆に尽くし

 *国分尼寺の詔、東大寺度舎那仏建立を発願した

 ☆仏教と天皇が最も接近したのは称徳天皇の時代

 *このとき起こったのが「道鏡事件」、この時代は仏教、国家鎮護の仏教であった

 ☆日本の仏教といえるのは平安から鎌倉にかけて

 *教的宇宙観を展開した空海、最澄

 *民衆の仏教へのパラダイム転換を図った法然、親鸞、日蓮の登場以降である

 ☆仏教の加上、深化によって刺激される形で神道も動いた

 *中世における神道の形成と「神仏習合」の新たな局面へ

                   (敬称略)                                     
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『人間と宗教』
 
 
神仏習合2(日本宗教で避けがたい出来事)
(ネットより画像引用)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「国民&都ファ」合流、主導... | トップ | 生物はどのように死ぬのか1... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

宗教」カテゴリの最新記事