🌸神仏習合2(日本宗教で避けがたい出来事)
⛳天武・持統天皇期(「日本」と「天皇」の呼称の始まり)
☆「日本」の国号、「天皇」の呼称
*7世紀末の天武・持統天皇期に形成された
*古事記・日本書紀の「国史」の編纂もこの時期に始まった
☆背景には古代史最大の内乱たる壬申の乱がある
☆天智天皇の後継で、天智の弟たる大海人皇子(後の天武天皇)
*天智の子、大友皇子の近江朝に対して決起
*1ヵ月に及ぶ戦に勝利して、飛鳥浄御原官に入った
*壬申の乱を制して新政権をスタートした天武天皇、決意に満ち溢れていた
☆天智の時代に白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗
*国家としての未成熟を自覚した日本、令国家体制の樹立に邁進する
☆天皇という称号、対内的に天武・持統朝以降である
⛳天武・持統天皇期(歴史書の編纂にも着手)
☆『古事記』『日本書紀』となって完成、日本創生の神話誕生させた
*天皇中心の国家体制の正統性を確立しようとした
☆しかし天武・持統朝は神祗だけを尊重したわけではない
*天武天皇は皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願
*天武天皇が崩御したため、持統・文武天皇が引き継ぎ藤原京に完成した
*仏教を敬う気持も大きかった
☆天武朝「神祗重視」の律令国家体制が整備される中でも
*仏教伝来を主導した実家・蘇我氏の影響で深く
*仏教に帰依していた皇后、持統のために薬師寺建立を発願した天武
⛳仏教と天皇が最も接近した時
☆聖武天皇が仏教興隆に尽くし
*国分尼寺の詔、東大寺度舎那仏建立を発願した
☆仏教と天皇が最も接近したのは称徳天皇の時代
*このとき起こったのが「道鏡事件」、この時代は仏教、国家鎮護の仏教であった
☆日本の仏教といえるのは平安から鎌倉にかけて
*教的宇宙観を展開した空海、最澄
*民衆の仏教へのパラダイム転換を図った法然、親鸞、日蓮の登場以降である
☆仏教の加上、深化によって刺激される形で神道も動いた
*中世における神道の形成と「神仏習合」の新たな局面へ
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