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石田三成の娘・辰姫を愛した弘前大名、信枚

2021年07月22日 | 歴史
🌸津軽 信枚(のぶひら)(日本異人伝)

 ☆石田三成の娘・辰姫を愛した弘前大名
 ☆関ヶ原の戦い後、家康の養女・満天姫を送り込まれた
 ☆津軽家は、辰姫の子・信義を跡継ぎにした


東照大権現とし家康が描かれる家康の画像、弘前東照宮にあった
 ☆中央に家康、左右には僧形の天海僧正と藤堂高虎が描かれている
 ☆儒教学者外崎は津軽の人
 *外崎の論文に拠ると家康の画像は、弘前の東照宮に納められていた
 *弘前の東照宮は、幕末大きな借金を抱えた
 *神社は丸ごとなくなってしまった
 ☆3人が描かれた絵の原図がどこにいったか不明

⛳秀吉に従属し津軽家、南部家から独立
 ☆絵がなぜ弘前にあったか
 *二代藩主の信枚は天海の熱心な仏弟子であった
 *その縁で、弘前東照宮は「家康―天海―高虎」の絵を所蔵していた
 *津軽信枚、キリスト教を捨て、天海に教えを請うたのだ
 *津軽信枚は、家督相続で揉めたが天海が信枚を支援してくれた
 ☆元々弘前の津軽家は盛岡の南部家の家臣だった
 *信枚の父の為信、豊臣秀吉に従属し南部からの独立をかちとった
 *津軽家の独立に世話を焼いてくれたのが石田三成だった
 ☆三成の娘・辰姫が信枚の正室に迎えられた
 ☆関ヶ原の戦いで、信枚は東軍につき、弘前5万石は安堵された
 *結果、幕府は家康の養女の満天姫を津軽家に送り込んだ

⛳まるで「織姫と彦星」のように
 ☆お家の存続を考えるなら、辰姫は離縁、満天姫を大切にする
 ☆信枚は辰姫と別れず、満天姫が正室になる
 *辰姫は側室に格下げするに留められた
 ☆辰姫は、津軽家の飛び地がある上野国の大館に移住する
 *信枚は参勤交代の折に、大館に滞在し、辰姫と会った
 *まるで、織姫と彦星である
 ☆満天姫と辰姫、二人はほぼ同時に子どもを産んだ
 *幕府の威光から、当然満天姫の子を跡継ぎにするはず
 *信枚は、辰姫が生んだ子に、藩主の座を譲る
 *三成の血を引く信義を後継者にする

信枚はなぜこんな選択をした理由
 ☆江戸幕府はそれほど三成を忌み嫌っていなかった
 *三成の嫡男、重家は命を助けられ、僧籍に入った
 *三成が西軍の絶対的な主将ならあり得ない措置
 ☆信枚は、よほど三成に恩義を感じていたのか
 *三成の遺児の一人が、信枚に召し抱えられている
 *信枚は幕府内で力のあった天海、藤堂高虎の支援を受けていた
 *三成の血を引く男児を藩主となし得たのだ
 ☆一枚の画からは、そんな推測が読み取れる
                      (敬称略)
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『THEMIS7月号』






石田三成の娘・辰姫を愛した弘前大名、信枚
(ネットより画像引用)

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