富岡八幡宮事件2
日本一の黄金神輿
☆事件から半月後、境内では初詣客を迎えるための準備が行われていた
*その日参詣に訪れる人はほとんどいなかった
☆それは、初詣客の激減を予告していたのかもしれない
☆境内に入ってまず目を引くのが神興庫である
*神輿庫は基本的に神興を保護するための建物
*たいがいの神社では普段扉が閉められている
*富岡八幡宮の神興庫はつねに開かれている
*ガラス越しにではあるが二基の神輿の姿を拝むことができる
☆二つの神輿が並外れて豪華なもので、神社の誇りでもあるから
☆冨岡八幡宮の手水舎の水盤の両端には二羽の金色の鳳凰が据えつけられている
*参拝者が近づくと、センサーが感知して、鳳凰の日から水が出る
*他の神社にはない最新鋭のものである
*最新鋭の手水合にいくらかかつたかは分からない
*脇には、「手水舎改修奉賛者芳名」を掲示した鋼板が建てられている
*どれだけの額が寄進されたのか、数えてみると二千五百万円を超した
☆富岡八幡官がいかに地域に根差しているかの証なのかもしれない
直近の例大祭、ニカ所に分かれて掲示されている
☆平成二十九年例大祭各町奉納金
*六十六の町の名前があげられている
*深川八幡祭りでは、全部で五十四の町から神興が出る
*たいがいは十万円を超えていて、 一番多い町では百二十二万円とある
☆「平成二十九年例大祭奉納者芳名」
*鹿島神官をはじめとするいくつかの神社の名前があげられている
(「金一封」と額は公にされていない)
*個人については額も示されていて、三十五万円がもっとも高い
☆例大祭は毎年のことなので、額は低いのかもしれない
☆多額の奉賛金が集まるのは、社殿を改築するようなとき
*富岡八幡官の境内には、社殿が復興されたときの奉賛者の芳名と金額を記したものも掲示されている
(町の名前があがっているが、百万円以上が多い)
(最も多い町で六百八十八万円である)
*個人でも、百万円以上の額を寄進している人物もいる
*社殿の復興だけに相当な金額が集まっている
☆境内には七渡神社という小祠が祀られている
*七渡神社は、富岡八幡宮が創建される以前からある地主神で、七波弁天を祀つている
*額の多い寄進者の名前と金額が記された小さな木の制札が建てられている
(その額は一千万円とある)
☆七渡神社の手前は弁天池
*長子氏が自慢した一千万円の錦鯉が棲息しているようだ
一般の神社でも、寄進者の名前を金額とともに掲示することは一般的である
☆それはそのときだけのことで、祭りが終われば撤去される
☆富岡八幡宮のように、例大祭が終わっても、それが掲示されているところは珍しい
☆手水舎の寄進者の碑のように
*寄進者の名前が金額とともにずっと掲示されるというのも、あまり見かけないやり方
☆神社は信仰活動の場であって、生産活動を行うところではない
☆日常的にはお賽銭や御札や御守の代金が入り、祈蒔料も入ってくる
☆それで神社を運営していく費用をすべて賄うことは難しい
☆大口の寄進者や、例大祭のときの寄進者が求められるわけだ
☆富岡八幡宮は、他の神社とは比べられないほど豊かな神社
*金満神社と言っても間違いではない
莫大な不動産収入
☆神社全般にあてはまることだが、お賽銭などがもっとも集まるの
*正月三箇日の初詣のときである
☆お賽銭や御札、御守などの収入は、「社頭収入」と呼ばれる。
☆富岡八幡宮の場合、東京都内にある神社仏閣のなかではこの年の七位にあたる
☆富岡八幡宮の収入として大きいと思われるのが不動産収入
☆週刊新潮に紹介されている内容
*富岡八幡宮は周辺の商業地を所有している
*近隣住民いう
(ここいら周辺は富岡八幡官の所有地ばかり
(うちも借地権という形で5,000万円(期間20年)を払っている
(他に毎月5万円の地代を払っている)
*八幡様の周りにはマンションが立ち並んでいます
*地面は八幡様のものというところが多いんですよという声も
☆社頭収入の方は天候などに左右され、必ずしも安定的なものではない
☆不動産収入となれば、安定した形で入ってくる
☆富岡八幡官がいったいどれだけの土地を周囲に所有しているのか明らかになってはいない
☆神社は門前仲町駅からすぐ近くの一等地にある
*その周辺の地代は相当な額にのぼるはず
☆不動産収入が、茂永容疑者、長子氏や興永氏の散財に結びついたものと推測される
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『神社崩壊』
神社崩壊2(富岡八幡宮事件)(ネットより画像引用)
日本一の黄金神輿
☆事件から半月後、境内では初詣客を迎えるための準備が行われていた
*その日参詣に訪れる人はほとんどいなかった
☆それは、初詣客の激減を予告していたのかもしれない
☆境内に入ってまず目を引くのが神興庫である
*神輿庫は基本的に神興を保護するための建物
*たいがいの神社では普段扉が閉められている
*富岡八幡宮の神興庫はつねに開かれている
*ガラス越しにではあるが二基の神輿の姿を拝むことができる
☆二つの神輿が並外れて豪華なもので、神社の誇りでもあるから
☆冨岡八幡宮の手水舎の水盤の両端には二羽の金色の鳳凰が据えつけられている
*参拝者が近づくと、センサーが感知して、鳳凰の日から水が出る
*他の神社にはない最新鋭のものである
*最新鋭の手水合にいくらかかつたかは分からない
*脇には、「手水舎改修奉賛者芳名」を掲示した鋼板が建てられている
*どれだけの額が寄進されたのか、数えてみると二千五百万円を超した
☆富岡八幡官がいかに地域に根差しているかの証なのかもしれない
直近の例大祭、ニカ所に分かれて掲示されている
☆平成二十九年例大祭各町奉納金
*六十六の町の名前があげられている
*深川八幡祭りでは、全部で五十四の町から神興が出る
*たいがいは十万円を超えていて、 一番多い町では百二十二万円とある
☆「平成二十九年例大祭奉納者芳名」
*鹿島神官をはじめとするいくつかの神社の名前があげられている
(「金一封」と額は公にされていない)
*個人については額も示されていて、三十五万円がもっとも高い
☆例大祭は毎年のことなので、額は低いのかもしれない
☆多額の奉賛金が集まるのは、社殿を改築するようなとき
*富岡八幡官の境内には、社殿が復興されたときの奉賛者の芳名と金額を記したものも掲示されている
(町の名前があがっているが、百万円以上が多い)
(最も多い町で六百八十八万円である)
*個人でも、百万円以上の額を寄進している人物もいる
*社殿の復興だけに相当な金額が集まっている
☆境内には七渡神社という小祠が祀られている
*七渡神社は、富岡八幡宮が創建される以前からある地主神で、七波弁天を祀つている
*額の多い寄進者の名前と金額が記された小さな木の制札が建てられている
(その額は一千万円とある)
☆七渡神社の手前は弁天池
*長子氏が自慢した一千万円の錦鯉が棲息しているようだ
一般の神社でも、寄進者の名前を金額とともに掲示することは一般的である
☆それはそのときだけのことで、祭りが終われば撤去される
☆富岡八幡宮のように、例大祭が終わっても、それが掲示されているところは珍しい
☆手水舎の寄進者の碑のように
*寄進者の名前が金額とともにずっと掲示されるというのも、あまり見かけないやり方
☆神社は信仰活動の場であって、生産活動を行うところではない
☆日常的にはお賽銭や御札や御守の代金が入り、祈蒔料も入ってくる
☆それで神社を運営していく費用をすべて賄うことは難しい
☆大口の寄進者や、例大祭のときの寄進者が求められるわけだ
☆富岡八幡宮は、他の神社とは比べられないほど豊かな神社
*金満神社と言っても間違いではない
莫大な不動産収入
☆神社全般にあてはまることだが、お賽銭などがもっとも集まるの
*正月三箇日の初詣のときである
☆お賽銭や御札、御守などの収入は、「社頭収入」と呼ばれる。
☆富岡八幡宮の場合、東京都内にある神社仏閣のなかではこの年の七位にあたる
☆富岡八幡宮の収入として大きいと思われるのが不動産収入
☆週刊新潮に紹介されている内容
*富岡八幡宮は周辺の商業地を所有している
*近隣住民いう
(ここいら周辺は富岡八幡官の所有地ばかり
(うちも借地権という形で5,000万円(期間20年)を払っている
(他に毎月5万円の地代を払っている)
*八幡様の周りにはマンションが立ち並んでいます
*地面は八幡様のものというところが多いんですよという声も
☆社頭収入の方は天候などに左右され、必ずしも安定的なものではない
☆不動産収入となれば、安定した形で入ってくる
☆富岡八幡官がいったいどれだけの土地を周囲に所有しているのか明らかになってはいない
☆神社は門前仲町駅からすぐ近くの一等地にある
*その周辺の地代は相当な額にのぼるはず
☆不動産収入が、茂永容疑者、長子氏や興永氏の散財に結びついたものと推測される
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『神社崩壊』
神社崩壊2(富岡八幡宮事件)(ネットより画像引用)