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モロッコ王国アウトライン

2017年12月04日 | 観光
モロッコ王国アウトライン

モロッコ王国(KINGDOM MOROCCO)
 ☆立憲君主制国家で、通称マグリブ王国(日の没する地を意味する)
 ☆首都 ラバト(最大の都市カサブランカ)、国土は、日本の約1,2倍、人口約3千5百万人
 ☆政府、国王(ムハンマド6世)、GDP 約16兆円
モロッコの世界遺産
 ☆ボリビリス遺跡(モロッコ最大のローマ遺跡)
 ☆フェズの旧市街(世界最大の迷路と言われている旧市街)
 ☆アイス・ベン・ハッドウー(7世紀先住民が造った要塞) 
 ☆ジャマ・エル・フナ広場(大道芸人や屋台などで賑やかな旧市街)
モロッコの宗教&人口比率
 ☆国民のほぼ全員がスンニ派のイスラム教徒
 ☆人口比率(アラブ人65%、ベルベル人30%、その他5%)
先史時代
 ☆ベルベル人がモロッコに現れ、カルタゴのフェニキア人の港湾都市が栄えた
 ☆カルタゴが滅亡すると、モロッコローマ帝国の属国となる
 ☆ローマ帝国→東ローマ帝国→ウマイヤ朝と変遷
イスラム化時代
 ☆アラブ人が、西ゴート王国を滅ぼしイスラーム化を進めた
 ☆後ウマイヤ朝→ムワッヒド朝→マリーン朝→ワッタース朝→サアド朝→アラウィー朝と変遷
西欧諸国(19世紀~20世紀)時代
 ☆アフリカ分割の中で、モロッコもヨーロッパ列強の標的となる
 ☆フランスがモロッコにおける優越権を獲得しフランスの保護領となる
 ☆反乱より、リーフ共和国の建国したが、スペイン軍とフランス軍に敗れリーフ共和国は崩壊
第二次世界大戦後の独立時代
 ☆ゲリラ闘争とスルターン働きでフランスから独立、スペインもスペイン領の領有権を放棄
 ☆スルターン・ムハンマド5世が国王となり、ハサン2世は、親西側政策でモロッコを統治
 ☆ハサン皇太子がムハマンド6世として国王に即位し、立憲君主制国家に移行
 ☆西サハラ問題は現在に至るまで未解決
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、(地球の歩き方(モロッコ)、JTBパンフレット記事)










モロッコ旅行1(WIKIPEDIA、地球の歩き方(モロッコ)、JTBパンフレット記事より画像引用)

町の仕組み&食事
7世紀にアラブ人が侵入してきたときに造られたメディナ(旧市街)
19世紀にその周辺に発達した新市街に分かれている
食事(イステムの戒律に注意)

気候(日没後は涼しくなる)
内陸から地中海沿岸にかけては四季があり、気温は温和で過ごしやすい
降水量は全体的に極めて少ない(4-5月、10-11月雨季)


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