慶喜

心意気
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「秀吉と女性」「秀吉の子ども」3

2024年02月17日 | 歴史
🌸「三英傑」の知られざる女性観3

秀吉は無類のお姫様好きだった
 ☆豊臣秀吉は、女性関係が非常に派手
 *趣味趣向は偏っており、秀吉はお姫様が大好き
 *秀吉が、妻にした女性は大名の娘など身分の高い女性ばかり
 ☆秀吉は、織田家につながるお姫様が大好き
 *信長の娘を側室にしたかと思えば
 *秀吉の側室の淀殿、通称・茶々も、信長の姪っ子
 ☆秀吉が「お姫様が好き」といっても
 *好きなのは武家の娘、公家の娘には興味がなかった
 *彼の甥である秀次の正室は公家の娘
 *秀吉が公家の娘を側室に迎えようと思えば簡単に実現できたはず
 ☆秀吉が公家の娘を側室にしなかった
 *興味があるのは武家のお姫様だった
 *秀吉は関白職にはそこまで深い思いなかった
 ☆秀吉は、関白という官職を手に入れることで
 *朝廷を巻き込み、政権運営ができたのは事実だ
 *しかし、彼は公家には興味がなかった

甥の秀次に「女遊びはするな」と忠告
 ☆秀吉は自分の女癖の悪さを、よくよく理解していた
 ☆秀吉は淀殿との間に生まれた
 *長男と鶴丸を2歳で亡くし深く落ち込む
 *天は自分に子どもを授けてはくれない
 ☆甥っ子にもう自分の地位を譲つてしまおうと考えた
 *甥の秀次を自分の後継者に指名し、関白職を譲る
 ☆秀吉が秀次に与えた訓戒状
 *「自分の真似をしてはいけないこと」という注意書き
 *鷹狩、茶の湯、女性遊びです
 *外で女性を作ってはいけない
 *屋敷の中に五人くらい女性を置くのは問題ない
 ☆秀吉の女性関係の特徴
 *純然たる女好きで、男性には興味がなかった
 *この時代は男色も武士のたしなみとされていた
 *信長は両刀使いで有名
 ☆秀吉は、どんな美少年をあてがっても
 *心を動かさなかった生粋の女好きであった
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
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⛳出典、『愛憎の日本史』


                           (寧々)


「秀吉と女性」「秀吉の子ども」3
(ネットより画像引用)

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