慶喜

心意気
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大和朝廷の「危機感」の強さ

2014年06月24日 | 散歩
唐・新羅連合軍に備え北部九州に防衛線を張り巡らせた大和朝廷の〝危機感〟

百済は、唐・新羅連合軍が百済を攻撃してきたため、日本に援軍を要請してきました
日本は、救援軍を派遣しましたが、白村江の戦い大敗を喫しました
唐・新羅連合軍が、日本本土まで侵攻してくる危機感から、国土防衛の態勢強化に取り組みました














白村江の戦いとその後の防御(引用)

白村江敗戦後の大和朝廷の対処
対馬、壱岐、筑紫国に防人を置き、大宰府政庁には、土塁と濠を築きました
筑前に大野城、肥前に基肄城、肥後に鞠智城等、朝鮮式山城各県にを築きました
都も、難波から内陸の大津に移しました

対馬や壱岐を含む北部九州の整備強化
防人として男子を徴兵し、3年交代で任務に就き、最高で3千人の規模でした
昼間は煙、夜間は火をあげて、敵の侵攻とその規模を伝えるための連絡網も整備しました
最前線の金田城は、総延長6キロにおよぶ石塁を築きました
国土防衛の防衛態勢を強化しながら、平衡して遣唐使の派遣は継続しました

現在の、緊迫の度合いを深める東アジア情勢
中国による防空識別圏設定、北朝鮮の核問題などをめぐる東アジア情勢
日本人は海の向こうからの危機にどう対応し、克服してきたのか?今のリーダーも学ぶのが必要です

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