慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

「人事」「一次安倍内閣」「二次安倍内閣」

2023年04月25日 | 安倍晋三
🌸長期政権が実現できた理由(1)

 ☆最大の理由として安倍氏が挙げたのは
 *第1次内閣で挫折を経験したことだった
 *ともに苦悩した仲間たちとともに第2次内閣に臨み
 *有権者の最大のニーズである経済政策を優先した
 ☆党内の結束を引き締めための施策
 *政策決定の舞台裏、煩悶と孤独の日々を振り返り
 *長期政権を実現した理由を自ら総括した

第1次内閣の挫折こそが最大の糧と安倍氏語る
 ☆人事の巧妙な配置や、野党が求めていた政策を実現して
 *支持のウイングを広げた
 ☆特定秘密保護法、安全保障関連法やテロ等準備罪の創設等
 *批判がある施策でも、必要ならば断固とした姿勢で実現した
 ☆長期政権となった一番大きな理由、第1次内閣での失敗経験である
 ☆私は第1次内閣で首相に就任するまで
 *官房副長官、官房長官をやり
 *首相官邸の役割や中央省庁との関係
 *政策決定の仕組みなどをある程度分かっているつもりでした
 *官邸を十分に経験しているから
 *首相になってもやっていけると思っていた
 ☆そうした考え方は、うぬぼれでした
 *総理大臣となって見る景色は、官房長官時代と全く別だった
 *首相の決断は、国の最終判断ですから、すべての国民に影響します
 *首相と官房長官の重圧の差は計りしれません
 ☆私は第1次内閣当時、首相の職を担うには未熟すぎた
 *例えば、閣僚未経験の塩崎恭久さんいきなり官房長官に据えました
 *私の初入閣が官房長官で、塩崎さんもこなせるだろうと考えていた
 *塩崎さんには相当苦労をかけた
 ☆自民党総裁選で争った谷垣元総裁へは
 *ハト派、財政再建を主張していたので、谷垣さんの入閣を見送る
 *谷垣派にも閣僚ポストを割り振りませんでした
 ☆自分でやりたいようにやるという考えで
 *党内に配慮や目配りができなかった
 ☆振り返ると、経験不足、準備不足は甚だしかったと思う
 *力が入りすぎていた側面もありました
 *戦後最年少首相だったので、期待に応えるという思いが強すぎた
 ☆あの1年間は、普通の政治家人生の15年分くらいに当たる
 *その経験があったからこそ
 *第2次内閣以降、政権を安定させることができた

長期政権は、ともに挫折を経験した人たちとと安倍氏語る
 ☆第2次内閣の人事は、安定感を優先させた
 *経験を積んでいたのは、私だけではありません
 ☆2次内閣をつくる時
 *1次内閣のメンバーにもう一度、私を支えて欲しいとお願いした
 ☆必ずあの時の失敗、挫折の経験を活かしてくれるだろうとの思いで
 *菅さんは1次内閣で総務相
 *第二次内閣で、経済再生相や党税調会長で、私を支えてくれた甘利明さん
 (第一次内閣で経済産業相)
 *麻生太郎副総裁兼財務相も、1次内閣で外相
 *高村正彦元副総裁には、防衛相をお願いした
 ☆1次内閣の下村博文官房副長官、世耕弘成首相補佐官も含め
 *2次内閣以降の主要なメンバー
 *皆、1次内閣で私と苦しい時間を共有してくれた仲間
 ☆メンバーの配置が、2次安倍内閣ではうまくいく
 *アベノミクスの司令塔役として甘利さん
 *内閣の要として菅さん、麻生さん
 *党内を抑える役割が高村さん
 *この配置に成功したことが政権を安定させ
 *戦略的に政策を遂行することにつながった

第1次内閣の時の首相官邸のスタッフに関して安倍氏語る
 ☆第1次内閣の時の首相官邸のスタッフ
 *再び一緒に仕事をしてはしいと呼びかけた
 ☆今井尚哉首相補佐官兼政務秘書官
 *第1次内閣では広報担当の秘書官
 ☆北村滋国家安全保障局長
 *第1次内閣では、危機管理・防衛などを担当する秘書官
 ☆長谷川榮一首相補佐官兼内閣広報官
 *第1次内閣でも内閣広報官
 ☆官邸スタンフの中には、出身省庁の省益ばかり考え
 *首相と距離を置く秘書官などもいると思います
 *私の官邸チームは、日本の針路に携わる仕事に
 *やりがいを感じてくれていたスタッフと思います
 *官邸チームは、一体感があり、皆が私を支えてくれようとした
 ☆第2次内閣は、官邸スタッフに経済産業省出身者が多かった
 ☆中心にいたのが今井政務秘書官でした
 *今井氏とは、何となく気が合うのです
 *私が総裁選に再びチャレンジする時
 *今井さんには、政策のアドバイスをもらった
 *彼は内政・外交のオールラウンドプレーヤーで、情熱もある
 *今井さんは耳障りなことでも、話してくれる
 *その様な人そばに置いておくのが人事です
 *今井さんは平気で私に厳しいことを言い続けました
 ☆今井さんは、首脳会談で紙を読んでばかりいてはダメ
 *相手の反応を見なきゃ等と言ってくる
 *私も嫌になり、大概にしてくれよ、と思ったことが何度もあった
 ☆ただ、そういう今井さんをはじめ
 *多くのスタッフ、私のために身を粉にして働いてくれた
                      (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『安倍晋三回顧録』






「人事」「一次安倍内閣」「二次安倍内閣」
(ネットより画像引用)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 創価学会・ポスト池田巡る争... | トップ | 台東区橋場散策 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

安倍晋三」カテゴリの最新記事