慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

「フーコーとデリダ」「ポストモダン思想」「応用ポストモダンニズム」

2024年03月17日 | 社会
🌸社会正義の奇妙な理論

《理論》の源流はフーコーとデリダ
 ☆「デタラメ論文」
 *①筋肉ムキムキの身体を賞賛するのは、文化的な差別で
 *ボディビルディングの基準に脂肪も加えるべきだという 
 *➁異性愛の男が性具を自分で肛門に挿入でのマスターベーション
 *同性愛嫌悪やトランスフォビアを減少させることができるとした
 ☆「デタラメ論文」が高い評価を得たことで
 *著者たちは、他の研究者が書いた4本(デタラメでない)論文
 *その査読者になることを要請された
 ☆「学術スキャングル」
 *ウォールストリート・ジャーナル等が大きく報じ
 *著者たちの「実験(いたずら)」にひっかかった学術誌
 *相次いでデタラメ論文を撤回した
 *その余波は著者たちにも及んだ
 ☆著者たちは左派から
 *「右翼」「極右」「差別主義者」と攻撃・罵倒されている
 *しかし、キャンセルカルチャーに批判的なリベラル知識人
 *この「実験」と著作を絶賛した
 ☆フランスのポストモダン思想
 *流行に敏感な若者たちのあいだで広まり
 *空前の「現代思想ブーム」が起きた
 *その後はサブカル批評などに引き継がれた
 ☆ポストモダン思想のなかで
 *権力論と「脱構築」の思想がアメリカに移植され
 *批判的人種理論(CRT)などの《理論〉に影響を与えた

ポストモダン思想の二度の転回
 ☆応用ポストモダンニズムがアメリカで始まった
 *ポストモダン思想に社会正義を結びつけた
 *フランスの(元祖)ポストモダン思想に馴染んだひとは、違和感を覚える
 ☆ポストモダン思想とは
 *モダン(西洋近代)が強要する真理や正義を拒絶して
 *確固たるものなどどこにもないとした
 *相対主義を徹底する思想運動だった
 ☆応用ポストモダニズムでは、「正義」が導入された
 *なぜこんな″曲芸″が可能になるかというと
 *それが「マイノリティの正義」だからだ
 ☆ミシェル・フーコーは
 *国家や警察・軍隊のような権力が民衆を抑圧しているという
 *シンプルな物語を否定し
 ☆わたしたちはみな権力の網の目を構成している
 *権力関係は、政治だけでなく文化、言説に埋め込まれている
 *誰一人として権力性から自由になることなどできない
 *革命を目指して「権力」と闘う無垢な主体などないとしている

「応用ポストモダニズム」
 ☆ポストモダンの一度目の転回
 *フーコーとデリダの思想をさまざまな文化現象に当てはめて
 *植民地主義、人種差別、性差別、LGBT差別などの痕跡を暴き出し
 *それを「脱構築」して「差別」と闘うことができると解釈した
 *ポストモダン思想では、人種や性差などは「社会的構築物」だとした
 ☆ポストモダンの二度目の転回
 *物象化ポストモダニズムになると
 *実在するのは生物学的な「人種」や「性差」ではなく
 *社会的構築物であるとした
 ☆二度目の「転回」によって
 *ポストモダン思想は、文化批評から「社会正義」の運動になった

ポストモダン思想変化⇒応用ポストモダンニズム
 ☆政治家や知識人、芸能人など著名人の言動から見つけ出し
 *それを糾弾・解体するアクティビズムが広まる
 *この二度の思想的転回(アクロバット)によって
 ☆「絶対的な正義」を否定したはずのポストモダン思想
 *マイノリティを「絶対的な正義」とする思想へと反転した
 (それが、プラックローズとリンゼイの主張である)
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『読み解く世界史の深層』『CHATGPT』







「フーコーとデリダ」「ポストモダン思想」「応用ポストモダンニズム」
(『CHATGPT』ネットより画像引用)
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「直系家族」「長男の嫁」「戦後の復興」

2024年03月17日 | 社会
🌸世界史の謎3

 ☆第二次大戦後、ドイツと日本が復興出来た理由

長男の嫁に付けられた厳しい条件
 ☆ドイツと日本が、戦後急速に国力を回復できた理由
 *直系家族のなかの「知」のキーパーソン「長男の嫁」にある

 *直系家族の長男と結婚する女性には厳しい条件が付けられる
 *直系家族の長男は家を背負っています
 *親から引き継いだ財産を守らなくてはなりません
 ☆同居する複数の世代との人間関係があり、財政管理がある
 *次の長男を再生産して、家系を連続させていかなければならない

 ☆伴侶となる女性には
 *ビジネス・パートナーとしての手腕こそが求められる

長男の嫁、夫との年齢差は接近しているほうがよい
 ☆結婚した段階では、独身の次男、三男、女の姉妹たちと同居する
 *義姉となった人が自分たちより年下だったりすれば
 *弟たち妹たちは軽く扱ってしまう
 ☆ 一家の主となる夫自身の威厳も下がる
 *必然的に、結婚年齢は高い人が望まれる

長男の嫁、夫とほぼ同等の知識持つのが必要
 ☆夫の役割の第一義は、直系家族の主としての威信を保つこと
 ☆実務的な内政は妻が担う
 *お金・食糧。家財の管理、家風の維持、家事、家業の手助け、 
 *いずれも、知力が不可欠の仕事
 *人さばきが巧みでなければならない
 ☆以上を総合すれば、「インテリジェンス」が必要
 *直系家族社会では、女性の結婚年齢が高く、識字率も高い
 ☆長男の嫁、直系の連続性を考えるならば、「教育熱心」になる

⛳文部科学省軽視で進む日本の教育「改悪」
 ☆ドイツや日本のような直系家族国家
 *ゼロからの出発だったにもかかわらず
 *経済振興力、復興力を持っていたのも
 *知的地力がベースとなっているから
 ☆日本は、教育熱心だけが発展の支えだった直系家族の国
 *経済格差の広がりゆえに格差のついた階級では
 *教育投資が不可能になりつつある
 ☆国家が文科省を軽視していたツケがたまっている
 *文科省に二級の役人しかいなく、教育改革はうまく行かない
 *改革は常に改悪となる
 ☆日本は、直系家族であることを正しく認識して
 *日本の国力を支え、経済でなく教育であるのを認識するのが必要
                       (敬称略)
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「直系家族」「長男の嫁」「戦後の復興」
(『読み解く世界史の深層』記事他より画像引用)
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「奈良仏教系宗旅」「南都六宗」「学派」

2024年03月17日 | 宗教
🌸奈良仏教系宗旅

 ☆奈良の都で開花した「学派」の性格が強い宗派

「南都六宗」が奈良仏教系の各宗派
 ☆日本に仏教が伝来し、聖徳太子による仏教推進政策が本格化する
 *奈良の平城京には東大寺や薬師寺、興福寺などが建立された
 *そこで、多くの僧が仏教の教えについて学究を深め、研鑽を積んだ
 ☆南都六宗」と呼ばれる奈良仏教系の各宗派
 *法相宗、倶舎宗、華厳宗、三論宗、成実宗、律宗の宗派
 *六宗派は。仏教の「学派」のようなものだった
 ☆東大寺、薬師寺、大安寺の三つの寺院
 *六宗をすべて教えていた

⛳「南都六宗」の概略と歴史
 ☆法相宗は唯識思想を研究する宗派
 *倶舎宗も唯識思想をめぐる宗派
 ☆華厳宗は、東大寺が拠点で根本経典『華厳経』を学ぶ 
 ☆律宗は、戒律を研究する、中国僧の鑑真が開祖
 ☆三論宗は中国の高僧・龍樹三つの経典を研究する
 ☆成実宗は上座部仏教系の論書を学ぶ
 ☆六宗はのちに独自の教団を組織した
 *倶舎宗、三論宗、成実宗は衰退した
 *現在も宗派としてあるのは、法相宗、華厳宗、律宗の三宗派

                          (敬称略)
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⛳出典、『比べてわかる!日本の仏教宗派』



「奈良仏教系宗旅」「南都六宗」「学派」
『比べてわかる!日本の仏教宗派』記事より画像引用)
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「岡崎功」「松江騒擾事件」

2024年03月17日 | 歴史
🌸岡崎功、市庁舎を焼き払った男

終戦直後に起こったクーデター
 ☆松江騒擾事件 、「皇国義勇軍」を名乗る青年グループ
 *島根県庁を襲撃したために庁舎は全焼
 *付近の約3000平方メートルが火の海になった
 *事件の主役ともいえる人物が、岡崎功である
 ☆岡崎は、日本の敗戦と降伏に抵抗して
 *「降伏は死なり」「戦えば必ず勝つ―」と
 *本土決戦のための一斉決起を全国に呼びかける
 ☆岡崎は、20歳前後の男女50人あまりを集めた
 *彼らと共に手相弾や短銃などを準備して
 *島根県内の主要施設を襲った
 ☆岡崎はグループの中で
 *最も重い無期懲役の判決を受けたものの
 *一度の恩赦で刑が軽減され6年ほどで釈放されている.

執行猶予中の事件
 ☆岡崎功は、20歳の頃から革命運動に参加し始め
 *政府要人の暗殺計画に加わり、未遂に終わったが
 *執行猶予付きの判決を下されている
 ☆憲兵隊の間では要注意人物としてすでにマークされていた
 *松江騒擾事件 は、岡崎が執行猶予中に帰郷して起こした事件
 *日本が無条件降伏をしたことが国民に告げられたとき
 *岡崎は徹底抗戦の一斉蜂起があるものと信じて疑わなかった
 ☆岡崎は、以前から一部の海軍航空隊や陸軍飛行隊、憲兵隊などと
 *連携をとって、共に立ち上がるという計画を練っていた
 *玉音放送から一週間も経つと軍も憲兵隊も熱は冷めてしまい
 *蜂起当日にはどこからの協力も得られなかった
 ☆参加者は岡崎より年下の民間人ばかり
 *間に合わせの武器を手に事件は決行された
 *最後にメンバーが放送局に集結した頃
 *武装警察官と松江連隊に包囲されていた
 ☆事件は報道管制が敷かれ
 *岡崎らの蜂起が全国的に知られなかった

岡崎は、事件後は静かに過ごす
 ☆岡崎は取り押さえられてすぐに
 *「自分が死ぬ代わりに若者たちを釈放してほしい」と願い
 *隠し持っていた刃物を取り出すと、その場で自殺を図っている
 *病院に運ばれて命を取り留めた
 ☆その後は刑に服し間もなく出所、86歳で他界している
 ☆岡崎の大望だった日本国民による一斉蜂起
 *現実のものとはならなかったが、彼が起こした凶悪な事件
 *何の罪もない人の市民を死に追いやり
 *県庁舎の全焼という甚大な被害を出した
 ☆日本の敗戦をにわかに信じられないままに事件を起こした岡崎
 *戦争の傷跡から復興した日本を見ながら、何を思っていたことだろう
                       (敬称略)
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「岡崎功」「松江騒擾事件」
(『日本史の黒幕』記事より画像引用)
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