写真は 2008年の 「ボージョレ・ヌーヴォ」 のボトルです。
( 注 : 2009年の新酒案内でも、残り物ワインの安売り案内でもございません。 )
「誕生!」
実は昨夜、このエチケット(ワインラベル)の図柄を考案している K女史(人妻)に、
第一子(男の子)が誕生したと今朝早く連絡が入りました。数年に亘り、K女史には
私の仕事を色々と助けてもらいました。今も税理士の旦那さんを巻き込み?家族
ぐるみでお世話になっています。
そんな御夫婦のことですので常に気になって、予定日に旦那さんにメールで問い
合せをしたあと、数日経っても連絡がないので心配になり、もう一度連絡してみよう
かと思っていた時に、K女史と旦那さんから相次いで誕生しましたというメールが
入り、母子ともに元気だということが確認できて安心しました。
おめでとう!
本当におめでとうございます。
「孝行息子に感心」
予定日(3/9)からちょうど一週間(3/16誕生)でした。
旦那さんやご家族はヤキモキしたと思いますが、無事に生まれたことでホッとした
のではないでしょうか。それにしても、相当に親孝行な息子かもしれません ・・・ 。
それは、旦那さん(お父さん)は税理士です。個人や商店主相手に一番忙しい
確定申告の追い込みの時期に予定日 ・・・ そこそこ晩婚でできた最初のお子なので、
万全の体制?で立ち会いたい ・・・ といった父親の気持ちを察したのか、仕事が
一段落した後で元気に生まれてくれた ・・・ いきなり、親孝行な息子だと私は感心
させられたわけです。
「大人にしかできない仕事」
今は、K女史も仕事を離れているのですが、このボージョレ・ヌーヴォの仕事だけは
今年も受けるつもりかもしれません。昔、この仕事の依頼があった時、K女史から
相談がありました。“やってみたら!” と私は即座に軽くエールを送りました。
それは、世の中に仕事は色々あるでしょうが、新たに生まれた生命(新酒)に表情
を与え、世の中に送り出すというような大事な仕事はそう多くはありません。そうした
仕事に関われるのであれば、喜んで受けるべきですよという意味でのエールでした。
要は、誕生した生命(新酒)を世の中に送り出すのは、“大人にしかできない仕事”
だということです。ある意味、責任があるということでもあるのです。
「誕生、そして世に出す仕事」
“生まれてきてくれてありがとう!”
今、そういう気持ちではないでしょうか。ただ、遅くても20年後には、その子どもを
世の中に送り出し、一人の大人として認めなければなりません。しかしそれは、
親として子どもと、いや、人として人との最大の関わりになるものだろうと私は思って
います。そして、その関わりこそ、非常に大変ではあるのですが、とても素晴らしい
ことだとも考えています。大きな関わり(仕事?)が始まりましたね。
頑を張らず、気張ってくださいよ!
■ こんたく堵 ■
わが家では昨夜
上娘が独り暮らしを宣言!
世の中に飛び出すことに
親父として反対する理由もなく
しかし、支援する余裕もなく ・・・
母親は戸惑うばかり。。。
第五大成丸
「わが家の掟?」
わが家では、基本的に子どもの進路は本人に決めさせるようにしています。要は、
進路(幼稚園から就職先まで)を本人が考えて責任を持つということです。裏を
返せば、親の目線や勝手な意見は入れないということです。もちろん、本人から
相談があったり、余りにも無謀だと客観的に判断した場合は、親ではなく先輩として
意見しますが ・・・
( 息子は高校卒業時、この “親と先輩の取り違い” があり凹んでしまいました。 )
「卒業したようです。」
昔、長男が通っていた幼稚園への送り迎えに、毎日、母親と一緒に行っていた
上娘は、その幼稚園(特に先生)が気に入ったようで、本人は迷わずその園を
選びました。もうその時から、“幼稚園の先生になりたい” と思っていたようで、
大学(短大)もその目標を外さないセレクトをしていましたので、長男とは違い、
反対はもちろん意見することもありませんでした。そして昨日、その学校をどうやら
卒業したようです。
( 言い方が冷たい?入れたのですから普通にやってれば出れるでしょ! )
父親といえば、父親参観に行くことが精一杯だった時代もありましたが、昨今では
卒業式や入学式は当然で、普通の行事でも参加される方が増えているようです。
わが家の父親(私)は昔の人?で、できる限り参加しない派です。ということで、
昨日も母親(嫁さん)に卒業式へ行ってもらいました。あくまでも主役は本人だと
考えていますので、今では否定されるかもしれませんが、父親という存在は子ども
たちが困った時にだけ活躍すれば良いという考えです。それが学校の進路であれ、
人生の岐路であれ ・・・
( 私が娘なら、卒業式は母親だけでいいと思いますので行きませんでした。)
上娘は、保育園ではなく幼稚園にこだわって就職先も決定しました。
その娘に、父親というより先輩から一言、苦言を呈しておいきたいと思います。
“誰もできない事に取り組むのは難しいものです。しかし、誰にでもできる事は、
やろうと思えばすぐにできるはずです。まず、それを後回しにせず、即行動!”
今、人のことが言える状況に私自身はないのですが、それにしても余りにもヒドイ
娘の生活態度 ・・・ 園児の皆さんにも見せてあげたい(笑)。
( 就職を機に、先生として女性として恥ずかしくない生活行動をしてほしい! )
昨日は言えませんでしたが、
なにわともあれ、“卒業、おめでとう!”
「卒業式おつかれさん!」
昨日、もう一つ卒業式がありました。末娘の中学校の卒業式です。偶然、上娘と
重なってしまったわけです。末娘は2年生ですので卒業生を送る側なのですが、
その卒業式で、在校生代表で送辞を述べるらしく、その姿も見に行ってやりたい
と、母親(嫁さん)はどちらへ参加しようか随分悩んでいたようですが ・・・
結局、最後の卒業式ということで、上の娘の方を選んだようです。
( “お父さん行ってやって!” と嫁さんに言われましたが、丁重にお断りしました。 )
またまた、なにわともあれ、
お嬢様、大役、ご苦労様でした!
「ホワイトデーに便乗?仕事?」
バレンタインデーに嫁さんと末娘からはチョコをもらっていましたので、外へ出た
ついでに、そのお返しにケーキを買って帰ることにしました。そして、ブーイングが
出るのは覚悟の上で、上の娘の卒業祝い?も、このケーキで ・・・ 。もちろん、
ケーキで済すわけないのですが、ちゃんとしたお祝いは、“そのうち” ということで
お許しを ・・・ 。ということで、ケーキを3つ ・・・ 私も食べたいので4つ ・・・ 息子が
すねると困るので ・・・ 5つ。ちょっと小さめのケーキでしたので、シュークリームと
プリンを追加 ・・・ これまた、いつものわが家の悪いパターンです。
( そりゃ、みんな太るわなぁ~ )
「看板屋のおばちゃん?の親戚のジュンちゃんというオッサン?のお店!?」
ケーキは、大阪市内に1月下旬にオープンした綺麗なお店で買わせて頂きました。
いかにもケーキ屋さんという印象のファサードでした。店内も清潔感があり、開店
したばかりの初々しさがあります。厨房内に見えるオーナーシェフは、頭にタオル?
顔に不精髭?で、そこそこ個性的です。見た目のオッサン体系は私と同系列です。
お世辞にもケーキ屋さんのパティシエらしい風貌とは言い難く ・・・ (笑)
さて、肝心のケーキですが、意外とシンプルな面構え、そして、頑固で融通がきか
ないというほどではありませんが、基本を押さえた “修業先の味” という印象で、
一本筋が通った職人だと感じます。ただ、試食させてもらったロールケーキは、
今風の軽いスポンジに軽いクリームという流れとは違い、また、ホール・カットの
ケーキとも違い、少し異端児な感じがするオリジナルな食感と味のケーキです。
ある意味、本能的に組み立てのできる料理人かもしれません。個人的には興味を
持ちました。( 次回、必ず購入したいと思います。 )
また、追加で買ったプリンやシュークリームもケーキとは色合いが少し違います。
商品の方向性が少し見えにくい気がします。まだ手探りで店の方向性が決まって
いないのかもしれません。私がアドバイスするとすれば、やはり、早目にお店の
方向性(特にターゲット層とウリの商品、そして、その購買シーンの訴求方法等)を
ハッキリさせて、ドンドンお店を打って出る(アピールする)べきだということです。
“生もの” を扱うケーキ屋さんは最初の数ヶ月が勝負!一度ニオイが付くと、
なかなか消せないものですから ・・・ 。
「こんたく堵」
酒屋の大将と話をした
酒屋の今が少しわかった
大将のことも少しわかった
大将は私のことを少しでも
わかったのだろうか?
私が何屋なのか ・・・
第五大成丸
「March 3」
3月3日は、
ひな祭りです。そして、末娘の誕生日でもあります。
毎年、バースデーケーキを注文するか、ひな祭りバージョンのケーキにするか
嫁さんは迷っているようですが、ここ数年は、どうやらひな祭り用のケーキに
バースデープレートのチョコを付けてもらうパターンに収まっているようです。
雛祭は、雛壇に雛人形を飾り、調度品を具え、菱餅・白酒・桃の花などを供えて
娘(女児)の成長や幸福を祈るお祭りですが、わが家では小さな雛人形を数週間
前に押し入れから出してきて、雛あられを飾り、当日はケーキでお祝い ・・・
という程度のお祭りです。まあ、外に出て神輿を担ぐお祭りではありませんので、
形より “成長と幸福を祈る” 気持ちがあれば良いと思っています。
今年、上の娘が成人式を迎えました。“幸福” の有無はまだまだわかりませんが、
ありがたいことに、娘二人とも大きな病気や怪我はなく “成長” してくれています。
それだけで親としては嬉しく思うものです。これからの娘たちの “幸福” を祈りつつ
オヤジはケーキを頬張るのです ・・・ 。( ちょっと痛風再発を気にしながら ・・・ )
「こんたく堵」
“幸せ入荷しました!”
お店で売ってたらみんな買うはず。
でも、幸せがそんな簡単に
見つかるものでも、掴めるものでもない。
そんなこと、誰もが知ってるはず。
でも、人間というヤツは、
幸せになりたい!幸せを掴みたい!
できれば、人よりも幸せになりたい!
懲りない動物なのですよね。
・・・ たら、・・・ れば、
でも ・・・ でも ・・・ ね。
第五大成丸
「バレンタインデー」
不景気な世の中です。
甘い状況ではないはずですが、今週はどこの百貨店でも特設コーナーを設けて
販売合戦を繰り広げていたようです。 “ 不景気だから 「チョコ」 ぐらいは ・・・ ”
という向きが多かったようです。そして、またまたチョコレート業界の策略なのか、
今年は 「逆チョコ」 という言葉がメジャーになってしまいましたねぇ。
( 女性陣殿、唯一、男が優越感に浸れる日まで奪う気なのでしょうか ・・・ ? )
テレビニュースのインタビューで、女性レポーターがチョコを買っている男性に
“なぜ(誰に)、チョコレートを買っているのですか?” と質問したところ、笑いながら
“毎年、チョコを貰えないから、こちらから(誰かに)あげようかなぁ~と思って” と
答えておりました。何と情けないことか ・・・
( こんなヤツがおるから、あとあと、男性陣は苦労するねん ・・・ !? )
まあ、うちは 「順チョコ」 です。「逆チョコ」 は基本的にありえませんから ・・・
ということで、今年も 「不二家(FUJIYA)のハートチョコレート10入」 とその他
諸々のチョコとクッキーを嫁さんと末娘から頂きました。 ありがとぅさん!
( 上の娘とは喧嘩中で、ここ数日、口もきいておりません ・・・ ハァ~。 )
来年も “順チョコ” が届きますように ・・・
「こんたく堵」
友達が恋のキューピット
“人に託す” 時代があり
バレンタインデーにチョコ
“物に託す” 時代となり
今や、
男性には何も “託せない”
女性の時代なのか ・・・
第五大成丸
昨年のバレンタインデー
「節分の行事」
本来は季節の移り変わり(立春・立夏・立秋・立冬)の前日すべての称ですが、
やはり、豆まきをする立春の前日が 「節分」 という認識が大方ではないでしょうか。
柊の枝に鰯の頭を刺したものを戸口に立て、鬼打豆と称して炒った大豆を撒く
習慣(≒追儺)が伝わっています。また、その年の恵方(吉方)を向いて、目を閉じ
喋らず願い事を思い浮かべながら、太巻きを丸かぶりする 「恵方巻き(恵方寿司)」
は、メジャーな慣わしなのでしょうか ・・・ 。( 関西ベース?まさか寿司屋の戦略??? )
「日本の風習」
今年もわが家は全てクリアしました。( 写真左:豆があちこち散乱しています! )
末娘の話では、昨日、学校で先生が “節分に豆まきをしている人はいますか?”
“恵方巻きは食べる?” “鰯の頭は?” と質問があったそうです。私は近所を見る
限り、やっていない家庭が多いと思っていたのですが、豆まきと恵方巻きはほとんど
の生徒が手を挙げたようです。さすがに、柊の枝に焼いた鰯の頭を付けて玄関に
かざしているのは、わが家だけだったようですが ・・・ 。( 写真右:赤丸の中です。 )
「歳の数だけ食べる豆」
末娘が私の豆を見て一言 ・・・ “ お父さん、ぎょうさん食べれてエエなぁ~っ ”
私から末娘にお返しの一言 ・・・ “ 来年は歳の数と違ごて、体重にしたら ・・・ ??? ”
「写真の表札」
ちなみに、
屋久杉の大きな表札の文字は、小夏さん(文字屋もんじや) に書いてもらいました。
※ 個人情報保護法の関係で名前はモザイクとさせて頂いております。あしからず。
「こんたく堵」
“日本古来の風習の残す”
そんな大それた考えはいらない
一緒に楽しめる行事があれば
できるだけ皆でやっておきたい
経験や体験が家族それぞれの
人生に少し残ればそれでいい
第五大成丸
昨年の節分
「16年前の手紙」
前職場のK女史が会社に残っていた私宛の郵便物を持って来てくれました。
年賀状や暑中見舞に混じって、私の前に事業部長をしていたM氏からの手紙が
ありました。ずっと、家にあるものだと思っていたのですが ・・・ 実はその手紙、
16年前にマレーシアのクランタン州コタ・バルから届いたエアメールでした。
「話せば長いM氏との関係」
前職場(飲食店運営)には、約24年ほど前、一般社員の募集に応募して採用され、
店舗のオープニング厨房スタッフとして勤務したのが最初でした。その頃の私には
飲食業に対して理想の姿があり、その目指していたものと現場にギャップを感じて
1ヶ月余りで早々に退職しました。ただ、その開店時、ヘルプに来られていた業界
A社事業部のM氏と初めて出会いました。
その頃の私は、カラダ一つであちこち飲食店を渡り歩いていたのですが、
その現場を辞めた後に、M氏の事業部が居酒屋をプロデュースするということで、
お話を頂いて立ち上げにも携わりました。その後もお世話になっていたのですが、
丁度その年、実家の仕事が忙しく(人手が足りなく)なり、1年間という期限付きの
約束で、家業を手伝う為に地元へ一時帰ることに ・・・ そして、約束の1年が経過
して家業も落ち着いたので、私はまた大阪に戻ることにしました。
ただ流石に、その時にはもう子どもが二人に増えていましたので、そろそろ腰を
据えて取り組める仕事(職場)を探そうかと ・・・ まず、昔の同僚や友人に声を
掛けました。そこそこの仕事はあったのですが、やはり、1年前に戻るような内容が
多かったので少し悩み(凹み)ました。自分自身、これから何をすべきなのか ・・・
M氏に相談を兼ねて電話をしてみました。
“Mさん、何かええ仕事ないですか?” と私は尋ねました。“ええ仕事があるねん。
こっち(大阪)にまた出ておいでや!” とM氏は言いました。待ち合わせした場所は、
奇しくも私が1ヶ月で辞めた店舗でした。会って事情を聞くと、M氏はA社を退社して、
今はこの会社で事業部長をしているとのことでした。“それで、自分(私)に振って
もらえる仕事ってどこですか?” と聞くと、“ここ!” とM氏はほくそ笑みました。
一度辞めた会社なので、また ・・・ という不安が私にはありました。いきなり家族で
動くことに戸惑いもあり、とりあえず、単身で大阪に戻ることになりました。そして、
M氏(事業部長)に誘われるまま現場への初日 ・・・ 私はM部長に尋ねました。
“(私の仕事は)厨房ですか?” M部長は “店長やってや!” と軽く言うのです。
“店長なんかやったことないですよ!・・・” と私は困惑した表情になっていました。
“イケるよ。やってみて!” と、またM部長はほくそ笑むのです。
“(今までの)店長はどうしたんですか?” と聞くと、“自分(君)が今日から来るから
もう一つの店舗に異動させた” と平然と言い放ちました。私は唖然とするしかあり
ません。その後、私を呼び寄せた理由は、次の展開で惣菜店(デリカテッセン)を
M部長が開店させる計画があり、居酒屋部門(2店舗)の面倒を見れる人材を探して
いたということを知ったわけです。
ただ、何の実績もない私を店長にすることは、やはり無謀です。何せ、マネジメント
云々以前に、それまで、ほとんどの店舗で厨房担当でしたので、まともに接客を
したことがなかったのです。と言いつつ、計画を打ち明けられて期待された以上、
そして、何度もお世話になっているM部長と、以前、1ヶ月で辞めてしまい、結果、
ご迷惑をお掛けした社長や企画室長にも恩がありましたので引き受けました。
ビジネスホテルと店舗を行き来する生活が始まりました。当たり前ですが、全てが
一からです。店長業務をM部長が書き出してくれます。数日はホテルにも帰らず、
店舗で寝泊まりしながら自分なりに業務を消化し、1週間後、ようやく店舗全体と
店長業務の基本的な部分は把握できました。その間、M部長は揚げ場や洗い場に
入りながら、新米店長である私のサポートをしてくれました。
お客様やスタッフとの信頼関係に戸惑いながらも、何とか私の店長職も落ち着き、
もう1店舗の面倒も徐々に見れるようになってきました。そして、いよいよ、M部長が
惣菜屋(デリカテッセン)の立ち上げに着手する段階になったのです。実は、惣菜屋
を開店し、軌道に乗って数店舗を展開できる目途が立てば、採算ベースに達して
いなかった居酒屋部門を閉鎖する予定でした。私の仕事はそれまでの繋ぎであり、
落ち着けば次の職場へまた動くつもりでした。
開店の数日前、明らかにM部長の顔色が悪くなっていました。思ったような人材が
集まらず、全てをひとりで抱え込んで開店準備を進めていました。私と料理長は
その日から居酒屋の閉店後に手伝いに行くようになったのですが、その頃から
居酒屋の方は業績が上向いてきていましたので、惣菜屋の方に十分な支援が
できないまま開店の日を迎えました。M部長の疲労はピークに達していました。
料理長と私は早朝から入り、(居酒屋の仕込等の)時間の許す限り手伝いました。
惣菜屋を甘く見ていたわけではありませんが、予定(予測)と違うことの連続です。
売上の結果より、一つ一つの作業工程や仕込みのボリューム、タイミング、そして
商品やスタッフ管理などなど、今までの 「飲食」 のノウハウでは到底まかなえない
ような事例の連続です。その結果、居酒屋の何倍もの労力が要求される割りに、
収益性は非常に低く、運営状態は日に日に後退していきました。店舗撤退の判断
に時間は掛かりませんでした。ただ、私から提案する訳にはいきませんでした。
M部長は一人、責任をとる形で退社(退職)することを決めていました。私は毎日
のように、M部長と飲みに出掛けていました。そして、今後のことも話したのですが、
“俺のことは心配せんでええから、居酒屋の方とスタッフのこと頼むわ!” と残る
私たちのことばかり心配していました。そして、M部長は惣菜屋が成功した暁の
夢であったはずの海外移住(余生を過ごす)へ少しフライングで出発することに ・・・
数ヶ月後、マレーシアから私宛に手紙が届きました。その内容は、惣菜屋の件で、
私やスタッフに迷惑を掛けたことの謝罪、会社関係の方々にはまだ連絡ができて
いないでいること、そして、今の近況が綴られていました。当時のM氏とほぼ同じ
状態にある今の私が、この16年前に届いた手紙を16年ぶりに読み返しています。
当時には無かった感情が私の中に芽生えています。もちろん、当時も一生懸命に
仕事に打ち込んでおられた方で、確かに結果は出なかったのですが、私はM部長が
一人で責任を負う必要はないと個人的に感じ発言していました。しかし、そのものの
見方や言い方が如何に客観的で他人事だったことか ・・・ 。
そして、“あの時、居酒屋よりもっと惣菜屋に自分自身も真剣に向き合い、もっと力
を注いでいれば、もう少し、M部長をサポートできたのではないのか ・・・ ” という
自責の念が大きくなっています。確かに私の役割は居酒屋の面倒を見ることだった
かもしれませんが、お世話になった方をここ一番で助けることができなかったという
後悔が今になって膨らんでいます。何のために 「人と関わる仕事」 である飲食業を
選んだのかと ・・・ 。
M氏の手紙の文面を一部抜粋させて頂きます。
「ボンヤリした日々を過ごしながら、当地(マレー)の人々と片言で会話をしていると
本当に自分が何の意味もない存在であり、又、意味づけをする為に言葉や理屈を
駆使して自分を支える必要もない事がよくわかります。本当に問われているのは
自身の本質であり、自我や自尊心がすごくシンプルになっていく感があります。」
裏返せば、日本で、仕事で、生きていく為、仕事で認められる為、に意味づけや
理由づけをしてやり過ごしてきた自分自身がいたということだと思います。もちろん、
私もそうだったと感じます。それが何も無くなった時、大した意味を持たないものだ
と気づくものです。特に、自分の存在意義や存在価値が、日本では社会(仕事)
の中において、立場や地位で知らず知らず本人像が勝手に作られているという
ことです。そして、その立場や地位から退いた途端、周りは皆、今までその存在
自体が無かったかのような対応 ・・・ 冷たく薄っぺらい社会なのです。
今、自分は早めに直面していますが、たぶん、普通のサラリーマンの場合には、
「定年退職」 の時、初めて味わうのだと思います。いかに、自分を取り囲んでいた
ものが上辺だったかを ・・・ 。だからと言って、私は仕事中心の日本の社会から
出ようとは思いません。M氏が言うように問われているのは 「自身の本質」 です。
その本質さえあれば、どこでも同じだということだと思います。自ら作られていた
立場や地位から離れ、本当の自分の位置をしっかりと作ってみたいものです。
M氏に何とか連絡を取って話したい ・・・ 空振りに終わるかもしれませんが、
16年前の所在地に手紙を出してみようと思います。まず、私は謝らなければ ・・・
そして、出会ったことを感謝。
「こんたく堵」
この16年という時間で
私が無くしたものは大きい
そして、この16年前の手紙が
私に与えたものはもっと大きい
ありがとうございます!
第五大成丸
「スキー場だより」
冬になると、自分が行かなくても、スキー場の積雪量が気になります。
各スキー場はクリスマス前後から “スキー場開き” を行い、お客様をお迎えする
のですが、特にここ近年、地球温暖化の影響なのでしょうか ・・・ 年が明けても
積雪が無いスキー場もあったりします。昔、鳥取県の大山にある宿(宿坊)で
スキーを楽しむお客様を温かく迎える地元の人々と触れ合った経験があります。
積雪がなければ、その多くの関係者に大きな影響が出ます(死活問題です)ので、
非常に気になります。今シーズンはクリスマス直前から寒くなりましたので、
ほとんどのゲレンデでは大きな影響は出ずに運営されていると思います。が、
ただ、気候やゲレンデ状態が良いのに、昨秋から世界的に起こっている様々な
問題による景気後退(経済恐慌)の寒波 ・・・ なかなかうまくはいかないものですね。
製造業大手企業による生産ライン縮小、休止、そして派遣切り ・・・ 等々、連日、
メディアを賑わせています。また、政治が機能せず景気対策がまったく進まない。
どうなるのか? ・・・ ( どうもならない!なるようにしかならない!)
今、各々にできることは? ・・・ ( 労働する?消費する?それとも悩む ??? )
タイトルから大きく外れていきそうですのでこの辺で ・・・
「こんたく堵」
時間とお金に余裕のある方は、
週末、スキーやスノーボードを
クルマに乗っけてゲレンデへ!
第五大成丸
「昭和懐古」
【 鳥取大山 ① 】
【 鳥取大山 ② 】
【 鳥取大山 ③ 】
【 鳥取大山 ④ 】
【 鳥取大山 ⑤ 】
「初詣」
毎年、日時は決まっていませんが、この神社へ初詣に家族で出掛けます。
今年は元日の昼頃で、それなりの人出がありました。ただ、人の数ほどの活気は
感じませんでした。参拝しておられる方々のお顔を見る限り、元気でスッキリという
よりも、少し不安げな気持ちで新年を迎えた方が多いかもしれないと感じました。
まあ、私もその一人かもしれませんが ・・・ 。
私自身、人よりも信心深く神頼みするタイプではけっしてありません。ただ、文化的な
風習は大事にしたいと考えるところがあります。神社に参拝するのもその一つで、
結局、自身のルーツを含めた存在確認なのかもしれません。○○何某、という名前
の存在確認は、社会のある地域で暮らしていたり、仕事をしていることで証明できる
のですが、名前を伏せた時の一人の人間としての存在確認は自分で行わなければ
なりません。そんな時、自身の先祖を含め、古に生きていた方々が育んできた生活
や文化の延長線上に自身を置くことが必要になるはずなのです。
また、悪い癖で小難しい話になってしまいましたが、要は、時には身構えず、自身と
正対する時間を持つことが大事だということです。神様の前で拍手を打って目を瞑り
“昨年一年、無事に暮らせて、今年も元気に参拝できました。” という報告をします。
「おみくじ」
これも家族の慣習になっています。毎年、おみくじを引きます。大吉が出ると
持って帰ります。それ以外は境内の木に結んで帰ります。今年、私以外は皆、
「大吉」 でした。私は 「小吉」 です。いつもなら木に結んで帰るのですが、何となく、
この 「小吉」 を持っておきたくなり、財布に納めました。内容は言えませんが、
今の私に必要な戒めの言葉もあり、持っておきたくなったのです。
毎年、「大吉」 ばかりだと有難味がない気もします。かといって、正月そうそう
「凶」 でも出ようものなら、人によってはその神社に行かなくなる可能性もあります。
ここにも商売があるのかもしれませんね ・・・ 。しかし、「小吉」 はちょっと微妙な
気がします。もしかして、微妙な(難しい)一年になるという暗示なのでしょうか ・・・
まあ、今年は身辺に起る事柄全てを素直に受け入れて、しっかり進もうと思います。
大黒さんのように! ・・・ ???
「元旦の挨拶と食卓」
今年は家族それぞれの事情(仕事・アルバイト・付き合い)で、皆一緒には
行動できなかったのですが、基本的には、毎年、私の実家で新年を迎えます。
そして、元旦には、親父の挨拶とおふくろが用意してくれるおせちがあります。
毎年変わらぬ実家でのお正月風景です。
「こんぴらさんからの贈り物?」
ここ数年、お屠蘇で飲む酒は金粉入りの清酒が基本です。(親父のお気に入り)
ただ今年は、こんぴらさん(金刀比羅宮)からお神酒(写真右)が届きました!?
(親父は仕事柄、毎年、こんぴらさんに参拝しているので贈って戴けたそうです)
ので、お屠蘇として一杯ずつ盃に注いでもらい、親父の音頭で乾杯を ・・・
“あけましておめでとうございます。今年もみな健康で良い年になりますように!”
「重箱じゃ足りない!?」
年々、おふくろも歳を重ね、作るおせちの品数は減っていますが、一品一品の量は
未だに多い家庭です。昔から、正月にお客さんがある時にはお重(重箱)に詰めて
出てくることもあったのですが、家族だけの時の基本は、やはり大皿(大鉢)です。
自分で好きなだけ取って食べるバイキングスタイル?です。無くなれば、また大皿に
盛り直して出てきます。
ここにも、
いつもと変わらぬ実家のお正月風景(食卓)があり、なぜか私はホッとするのです。
今の時代だからこそ、変わらなくてはならないものがあり、逆に、変わらなくてよい
ものもあるということが、私の中で鮮明になってきたような気がします。
今年、
昨年までの自分自身の考えや勘を信じて進めてきたことを見直してみます。
ただ、その上でより一層、周りに流されることなく、自身の考えと勘を信じて進んで
行くつもりです。自分が自分で在り続けるために ・・・ 。(私の基本は変わらない!)
「こんぴら狗」
江戸時代、庶民は旅行を禁止されていましたが、神仏への参拝の場合はその限り
ではありませんでした。数ある神社仏閣のなかでも、伊勢神宮への参拝の旅は特別
で、庶民にとって一生に一度の夢であり、「お伊勢参り」と言われました。それに並び
「丸金か京六か」と言われ、讃岐の金毘羅大権現(今の金刀比羅宮)と、京都六条の
東西本願寺への参拝の旅も人生の一大イベントでした。当時、江戸を中心とした
東日本の各地からこれらの社寺への参拝の旅は大変なことで、当人に代わって旅
慣れた人が代理で参拝に行くことがありました。これを「代参」と言いました。旅を
途中で諦めることにした人が、道中で知り合った旅人に旅費と初穂料(お賽銭)を
託し代参してもらうこともあったようです。金毘羅大権現への代参で有名なのが
森石松です。清水次郎長(山本長五郎)の代わりに参拝し、預かった刀を奉納したと
伝えられています。実は、代参をしたのは“人”だけではなかったのです。「こんぴら
参り」と記した袋を首にかけた犬が、飼い主の代参をすることもあったのです。
袋には、飼い主を記した木札、初穂料、道中の食費などが入っていました。犬は、
旅人から旅人へと連れられ、街道筋の人々に世話をされ、目的地にたどり着いたの
です。金毘羅大権現へたどり着いた犬も、そんなのどかな風習により、立派に務め
を果たしたのでしょう。この「こんぴら参り」の代参をした犬は、特に「こんぴら狗」と
呼ばれたのです。( 「金刀比羅宮」 HPから抜粋 )
昨年の元旦
2009.01.01
あけましておめでとうございます!
今年は、
無駄なく、そつなく、しかもメリハリがあり、ポイントをついた行動を!!
ブログも然り!
いつも長くてクドイ文面、興味のない方にとっては、
非常~に 「めんどくさいブログ」 でしかありません。( 私が一番わかってます! )
時には、
ワクワクハラハラするような内容も楽しいはずですよね ・・・ 頑張ります!
今年も宜しくお願いします!
今年も残り一日となりました。
若い頃のように
“来年こそは○○!” 夢や希望に向かって羽ばたいたり、仕切り直したりは
できにくくなっています。それは、毎年、毎年、何度も、何度も、同じ繰返しで
周りの人々はもちろんですが、自分自身をも裏切っているからでしょうか ・・・
2009年
牛(丑年)ですが、牛歩せずスピードを上げて進みたいと思います。
狼オヤジにはなりたくないですが、もう一度だけ ・・・ “ 来年こそは !!! ”
今年一年
このブログへ訪問して頂き、ありがとうございました!
“2009年が皆様にとって良い一年になりますように!”
“Merry Christmas !! ”
リースの中で
白いクリスマスツリーが描かれているもの(お皿のように見えるもの)は、
モロゾフのチーズケーキ(Xmas version)です。
モロゾフといえば、昔、よくプリンを食べた記憶が ・・・ 懐かしい!
そう言えば、チーズケーキは初めてです。デンマーク産のクリームチーズが
使用されているようですが、残念ながら、私の好みの味ではありませんでした。
( もちろん、けっして不味くはないですよ! )
“前食べたレアチーズの方が美味しかったわ!”
“私、この味大丈夫やでぇ!なんやったら、食べたろか?”
やはり、今年もわが家は、皆、色気より喰気のようです ・・・ 。( ハァ )
1+1=3 CAVA/Brut
■ ワイン 名 : 1+1=3(ウ・メス・ウ・ファン・トレス)/ブリュット
■ 生産者 : ジョセップ・ピニョル
■ 原産国 : スペイン
■ 地 方 : ベネデス
■ 品 種 : チャレッロ45% パレリャーダ30% マカベオ25%
前回の紹介ページ ⇒ 1+1=3
このカヴァ、
なぜか家族にウケがいいのです。( ここ最近で3本飲みました )
嫁さん曰く、“財布にやさしいから美味しい” そうです ・・・ !
色々と、骨身に染みる年の瀬ですわ ~ ???
■ KANPEI EARTH Marathon ■
60年目の人生を迎えようとする
一人のウルトラマラソンランナーが、
これまでの輝かしいキャリアをリセットし、
壮大な夢を実現するため長い旅に出る。
地球をこの足だけで一周したい。
地球はひとつで、地球は丸い。
風力で大海を渡り、己の脚力で大地を蹴り、
このかげがえのない地球を全身全霊で実感する。
朝、太陽が昇る方向に向かって走り出し、
日中、男と頭上ですれ違った太陽は、
男の背中を照らしながら西に沈んでいく。
一日に 50㎞ 東へと進む。
このシンプルな一日をひたすら繰り返すことで
3年後、男はまた同じ場所に戻ってくるだろう。
そして、その間、
この同じ星の住人である人たちと様々な出会いをし、
想像を超えた大自然や
人類の長い歴史が産んだ数々の遺産に触れながら
わたしたち人類がこれからも地球で
暮らし続けるための叡知を感じたい。
この男の前代未聞の挑戦は、
地球を巡礼する旅でもある。
*~* 「間寛平 アースマラソン」 コンセプトより *~*
「なぜ、これほど過酷なトライを ・・・ 」
昨日、タレントの間寛平さんが、世界一周の旅に出ました。
2年半で3万6000キロ、途中帰国なしの長旅 ・・・ ( 男のチャレンジが始まった! )
● ランニング 20,000km ● ヨット 16,000km
大手企業のスポンサーも付き、可能な場所では、テレビ番組のカメラも帯同
するでしょうから、突然、行方不明になったり音信不通になるようなことはない
のでしょうが、それでも非常に過酷なチャレンジであり、危険も伴うかもしれず、
事故やリタイアの可能性も考えておかなければなりません。
( 当然、本人や関係者も分かっているでしょうが ・・・ )
普通なら考えられない、いや、絶対に “考えない” レベルのアクションでしょう。
特に年齢もありますが、それ以上に、仕事では既に大ベテランの域に入り、
居心地の悪いポジションでもあるまいし ・・・ まあ、こういうモノの見方をしてしまう
自分自身の心の狭さがつくづく情けないものに感じる訳ですが ・・・ 。
とにかく、無事に帰還できることを祈ってエールを送りたいと思います。
“気張ってや!寛平さ~ん”
ちなみに、
昨日(初日)は 44km 、今日は 52km 走ったようですね。
⇒ KANPEI EARTH MARATHON
「“市民開放”? 市場まつり」
所用で実家に帰っていました。産業道路(県道62号姫路港線)を走っていると、
「市場まつり」 の文字が ・・・ 「姫路市中央卸売市場」 で、一般の方々に市場内を
開放して感謝祭イベントが開催されているようですので寄ってみました。
( ここは私の仕事観の原点になっている要素がたくさん落ちていた場所です )
「TENT BRANCH」
青空の下、焼物や揚物など多くの出店が並んでおり、家族連れや子どもたちで、
“市場まつり” は思った以上に賑わっています。いつから、このような催しをやって
いるのでしょうか ・・・ 30年前、私が働いていた頃には無かったはずですが ・・・ 。
( 閉鎖的だったあの卸売市場が、やっと “市場開放” したのか ・・・ ??? )
「クイズアトラクション」
イベントの一つとして、“ウルトラクイズ” らしきものがフリーアナウンサーの司会で
行なわれていました。“それなり” に盛り上がっていたようですが、いきなり潜入した
私には、催されているイベント内容(時間)が全くワカリマセン! ・・・ (汗)
「せり場」
いつも “せり” が行なわれている、ある意味、神聖な場所です。今日は、即売で
一般の方々も “品定め” ができます。鮮魚、塩干、青果、果実 ・・・ さて、皆さん、
「目利き」 できているのでしょうか ・・・ ちなみに、私は渡り蟹と活海老、それと
小鰈の干物を買いました。( 渡り蟹には、しっかり 「兵庫坊勢漁協」 のタグが ・・・ )
「市場オークション」
“せり” が始まりました。本来の 「朝ぜり」 では、仲買人たちの真剣な眼差しと気迫
で市場内には緊張感があるのですが、一般の方々には “せり気分” を楽しみながら
味わってもらおうという市場関係者の計らいなのでしょうか、市場内には “なごみ感”
が溢れていました
( 初めて “せり” を間近で見た時、その勇ましさにたじろいでしまった記憶が ・・・ )
「市場の空気感」
市場内への潜入は20年ぶりくらいになるでしょうか ・・・ 驚いたのは、市場内の
施設やシステムが、30年前とほとんど変わっていない( 良いのか悪いのか ・・・ )
ことです。そして、仲買人の方々も昔と同じだったことです。歳は重ねていますが、
スタイル(服装やメガネ)は昔のまんまです。余りの変化の無さに “怖い!” です。
「青果部仲卸」
働いていた 「青果部」 の仲卸ブースを回ってみました。
ちょうど、お世話になった大将が店内に居ましたので、少し話をさせて頂きました。
“最近、どうなんですか?” “あんまりええことないわ、どっこも暇やわなぁ~。”
・・・ と言いながらも、元気そうな顔をされていたので、何となくホッとしました。
そのあと、場内をもう一周して、市場を出ました。
■ こんたく堵 ■
“変わらない” ことには
安心感と不安の両面があることに
気づいた ・・・ いや、気づかされた
“変わらない” ものには
変わってほしい、変わるべき、
変わらなければ ・・・ と戸惑いが生じる
“変わらない” そこに居る自分の焦り
第五大成丸
日曜日、
後輩Jの披露宴でオヤッさんの挨拶に感激し、「シリウスの道」 を観て
遠い昔と原作に想いを馳せ、充実した一日を過ごしたのですが、実は
もう一つ、ブログネタが ・・・・・
前職場の
グループ会社(親会社)の東京オフィスで営業をしている N という男がいます。
私と郷里が近い後輩です。私は大阪在住ですので、お互い顔を合わせることは
最近少ないのですが、彼はワインを中心としたブログを持っていて、お互いの
ブログを見ることで近況を知ることができます。その彼のブログで、つい最近
まで登場していた 「伝説の男」 という同僚(後輩)の括りがありました。
「伝説の男(W君)」 の武勇伝?を面白可笑しく綴っていたのですが、どうやら、
W君 が退職?して伝説が途絶えています。私は W君 の隠れファンとして、
また N のブログに 「伝説の男」 として登場してくれることを期待しています。
実は、
私の周りにも 「伝説の男」 が存在していたことを日曜日に気づいたのです。
今まで、特に気にしていなかったのですが、“ヤツ” はそこそこ 「伝説の男」 です。
今日はその “ヤツ” を紹介します。
以前、
このブログで1回登場した後輩の 「P」 という男なのですが、非常に変わった
ヤツです。そう、普通じゃないヤツなのです。 P の風貌といえば、天然パーマを
パンチパーマ風に短めにカットして明るめのブラウンのカラーを入れ、趣味で
集めている色とりどりのグラス(眼鏡)をその日のシーンや自慢のスタイリッシュ?
な服装に合わせてコーディネイトしているという、一瞬、アパレル系の兄ちゃん風
ですが、現場(仕事場)ではバンダナを頭に巻き(天パが撥ねないように)、鼻を
フガフガ鳴らし息を荒げながら仕事をしているヤツです。実は、どんくさいこと
この上ないヤツでもあります。ヤツのエピソード(武勇伝ならぬ不勇伝)をまとめる
と、「伝説の男」 としてトップクラスの “不勇伝” が出来上がるのではないかと ・・・ 。
日曜日、
後輩Jの披露宴のあと、元職場近くで開かれた二次会 ・・・
Jの元同僚や後輩が祝福に訪れたはずです(私は不参加でした)。その中に
この 「P」 は紛れ込んでいたのです。私が家で見ていた 「シリウスの道」 が
終わったのが午後5時40分だったのですが、それから30分ほどして携帯に
着信音が ・・・ 「P」 からです。たぶん、二次会は午後6時過ぎには終わった
のでしょう。
「P」 が電話口で、
“すんません、今終わりました。どうしましょう?どうしたらいいですかっ ・・・ ?”
一応、二次会が終わったら、どこかで会って酒でも飲もうや、と約束をしていました
ので、突然の電話ではなかったのですが、私は家に帰っていましたので、梅田まで
出るのが億劫になり、「P」 に “梅田まで出るんしんどいから、お前、家に来いや!”
と伝えました。「P」 は “わかりました!伺います。” と素直に返事をくれました。
“着く前に電話入れてーや!駅まで迎え行くわ” と伝え、一旦、電話を切りました。
さて、
家に食べもの(酒の肴)がありません。P を迎えに行くついでにスーパーで
買い物を ・・・ ということで直ぐに家を出ました。二次会が堂島あたりで開かれて
いたということですので、梅田まで歩いて阪急で来るか、地下鉄で千里中央まで
来るのか ・・・ まあ、いずれにせよ1時間は掛からないはずです。
近くなれば電話が入るので、その時に最寄りの駅まで迎えに ・・・ と考えながら
私は急いでスーパーへ向かいました。
スーパーで
買い物をしていると、携帯の着信音が再び ・・・ 「P」 です。
私 : 「 おぉ、早いなあ! もう着いたんか? 」
P : 「 いえ、まだです。 今、門真(かどま)・・・ ですかねぇ。 」
私 : 「 はあーっ! 門真??? なんでや? なんで門真におるんや? 」
P : 「 え~っと、今、モノレールに乗ってます ・・・ 。 」
私 : 「 モノレール? ( ・・・ 乗りたかったんか?) 」
P : 「 ひょっとして、間違ってますか? 」
私 : 「 ハイ、おもいっきり間違ってます!・・・ まあ、ええけどなぁ 。。。 」
地元大阪を反時計回りに大きくカーブ(遠回り)して楽しんでいるようです。
前回、
P が来た時に、“Pの家やったらうちからモノレール1本で帰れるから ・・・” と
教えた日、朝まで飲んで始発で帰ったことがあったのですが、二次会があった
のは堂島あたり(キタ)で、P は北新地でも働いていましたし、現在、P は
阪急電車梅田駅にすこぶる近い堂山のやきとり屋で店長をしています。
私の家は阪急の千里線に乗れば簡単に来れるのです。ひょっとして、ほんまに
P はモノレールに乗りたかっただけなのかも ・・・ ?
( これって、そこそこ不勇伝! 伝説になりますよねぇ ・・・ )
駅前のロータリーに
P が立っていました。横には後輩の “Kちゃん” がいます。誰か連れてくる予感は
ありましたので驚きもしませんが、手ぶらで来たのには驚きました。Kちゃんは
年齢からすれば、P の後輩です。言い方を変えれば、P は Kちゃんより先輩です。
私たちの業界では基本的に先輩を立てます。そしてその分、先輩は先輩なりの
振る舞いで後輩に教えなければなりません。それぞれ一人で来る時には手ぶらでも
私は構いません。ただ、後輩がいる時にはちゃんと先輩としての姿を見せなければ
なりません。缶ビール1本でいいのです。ピーナッツ1袋でいいのです。まあ、私の
今までの指導が足りなかったということでしょう ・・・ 。
( Pの先輩として私が反省しなければなりません )
そうこう考えているうちに、
家に着き、飲み会(三次会?)が始まりました。大したもてなしはできませんが、
あれこれつまみながら酒もそれなりに飲みました。P も Kちゃん も 私も酒は
何でもこい!ですので、家にある酒を端から ・・・ 。飲むとどうしても仕事の話にも
なります。ただ、私の退職の経緯に関しては、デリケートな部分もありますので、
後輩にすべて話す訳にはいきません。申し訳ないとは思いつつ、今は触れずに
流してほしいという空気をつくります。まあ、後輩たちの何人かは私の歳になれば
理解できることもあるでしょう ・・・ 。
さて、
私はまだ無職ですので、明日の朝の心配はいりませんが、P と Kちゃんは
仕事です。あまり長居をさせるわけにはいきません。時計を見ると午前様です。
もう電車のない時間になっていました。とりあえず、外へ出てタクシーを拾うことに
しました。二人は掛けてあった上着を着て家の外へ ・・・ その時です。 P が
“財布がない!どこか忘れたかなぁー、落としたんかなぁー” マンションの通路で
真夜中にわめき出しました。私は、“家に戻って見てこいや!” と声を掛けました。
皆で一旦、家に戻りました。
財布は
ありました。しかも、P 本人のスーツの上着の中に ・・・ これはよくある話です。
メガネを頭の上に掛けているのを忘れて、“ メガネ、メガネ、メガネがない ・・・ ”
と探し回るパターンです。しかし、P はそうではなかったのです。P の財布は
Pのジャケットと共に私の家にあったのです。要は、P は私の礼服のWの上着を
間違えて着たまま帰ろうとしていたのです。私のウエストは P より10cm以上は
大きいはずです。しかも、P のスーツの上着はシングルで私のはダブルです。
なぜ、着た時に気づかないのか ・・・ ???
( この日、2度目の不勇伝!です。 これが 「伝説の男」 たる証拠です。 )
ここに 『 伝説の男 』 誕生!
■ こんたく堵 ■
勇ましい手柄を立てた男の話が
武勇伝として語り継がれ伝説となる
しかし、作られたものも多いはず
どんな時でも自分らしく
素直に行動することで生まれた
“不勇伝” は悪くないものである
私はそんな不勇伝なら好きである
私はそんなヤツが好きである
第五大成丸