私がお手伝いをしているパレスチナ子供のキャンペーンの
「ガザの戦争は終わっていない」映画と最新情報報告会があり、行ってきました。
上映された映画は「ガーダ パレスチナの詩」
以前からとても見たかった映画です。
ひとりの女性ジャーナリスト古居みずえさんは1998年からが戦火のパレスチナで取材をはじめました。
その中で出会った、パレスチナの女性ガーダ。
そのドキュメンタリー映画です。
そのガーダの生活を通して、パレスチナ社会のさまざまなことを
そして、人間が生きていくということ、勇気、希望を持つこと
あきらめないこと、そういうことを、私たちに教えてくれます。
彼女を始めとしたガザのパレスチナ人。
おじいちゃんと、おばあちゃんと
お母さんと、お父さんと、
子供たち。
走り回る子供たちを、叱り飛ばすお母さん。
微笑んで見つめる、おばあちゃん。
日本でも昔からある、家族の風景。
そこに、違いを見つけるとすれば、
イスラエルに土地を追われ、支配され、職を奪われ、
銃撃、爆撃の恐怖にさらされているということ。
日本にいる私たちには、ここの部分が理解しにくい部分だと思います。
でも、現実に、それは起こっていることで、
それも、60年という長きにわたって、続いていること。
ここ最近、どんどん状況が悪くなっていると言うこと。
イスラエルの入植地から、わけもなく
(まさに、ブドウ畑の鳥を追い払うように)
銃弾が降ってきて、それは、昼も夜もなく続き、
映画を観ている私でさえ、しんどい音であります。
映画の中で、戦車に向かって、
若者や、子供たちが投げているもの。
なんだと思いますか?
石です。石なんですよ!!
それに対して銃口が向く。
そして撃たれ、亡くなる若者。子供。
危なくて、見ていられない。
そういう状況なのに、そうまでしても、
危険に実をさらして、石を投げざるを得ない、
彼らの憤り、怒り。
どうしたら・・・・。と考えながらも
涙を流すしかない自分。
そうした状況の中でも
おじいちゃん、おばあちゃんは、歌います。
愛の歌を歌います。
パレスチナの人たちは、農業の合間にいつも歌を歌うのだそうです。
今は、土地を奪われ、農業も出来ない。
どんなことがあっても、ここは私たちの故郷で
私たちは、故郷に生き、故郷で死んでいくのだと、そうおっしゃっていました。
ガーダは古居さんと出会ったことで、パレスチナの古老たちから、1948年のイスラエルの建国によって、
故郷を奪われたパレスチナ人の体験と暮らしについて、聞き書きをするということをはじめました。
自分たちの歴史、文化、アイデンティティを次の世代に残していくことを目指して。
それが、彼女なりの戦い。
一日も早く、彼女の戦いが終わること、祈ります。
昨年末~、今年にかけての大きなガザへの攻撃が終わった後も
イスラエルの締めつけ、ガザの封鎖は解除されていません。
建築用の重機や、建築物資もほとんど入らないため、
破壊された、建物のがれきの撤去もままならず、
人々は、テント生活や、親戚への寄宿を余儀なくされています。
日本では、ほとんど報道も無くなっていますが、
まだまだ、ガザは大変です。
それをどうぞ知ってください。
「ガザの戦争は終わっていない」映画と最新情報報告会があり、行ってきました。
上映された映画は「ガーダ パレスチナの詩」
以前からとても見たかった映画です。
ひとりの女性ジャーナリスト古居みずえさんは1998年からが戦火のパレスチナで取材をはじめました。
その中で出会った、パレスチナの女性ガーダ。
そのドキュメンタリー映画です。
そのガーダの生活を通して、パレスチナ社会のさまざまなことを
そして、人間が生きていくということ、勇気、希望を持つこと
あきらめないこと、そういうことを、私たちに教えてくれます。
彼女を始めとしたガザのパレスチナ人。
おじいちゃんと、おばあちゃんと
お母さんと、お父さんと、
子供たち。
走り回る子供たちを、叱り飛ばすお母さん。
微笑んで見つめる、おばあちゃん。
日本でも昔からある、家族の風景。
そこに、違いを見つけるとすれば、
イスラエルに土地を追われ、支配され、職を奪われ、
銃撃、爆撃の恐怖にさらされているということ。
日本にいる私たちには、ここの部分が理解しにくい部分だと思います。
でも、現実に、それは起こっていることで、
それも、60年という長きにわたって、続いていること。
ここ最近、どんどん状況が悪くなっていると言うこと。
イスラエルの入植地から、わけもなく
(まさに、ブドウ畑の鳥を追い払うように)
銃弾が降ってきて、それは、昼も夜もなく続き、
映画を観ている私でさえ、しんどい音であります。
映画の中で、戦車に向かって、
若者や、子供たちが投げているもの。
なんだと思いますか?
石です。石なんですよ!!
それに対して銃口が向く。
そして撃たれ、亡くなる若者。子供。
危なくて、見ていられない。
そういう状況なのに、そうまでしても、
危険に実をさらして、石を投げざるを得ない、
彼らの憤り、怒り。
どうしたら・・・・。と考えながらも
涙を流すしかない自分。
そうした状況の中でも
おじいちゃん、おばあちゃんは、歌います。
愛の歌を歌います。
パレスチナの人たちは、農業の合間にいつも歌を歌うのだそうです。
今は、土地を奪われ、農業も出来ない。
どんなことがあっても、ここは私たちの故郷で
私たちは、故郷に生き、故郷で死んでいくのだと、そうおっしゃっていました。
ガーダは古居さんと出会ったことで、パレスチナの古老たちから、1948年のイスラエルの建国によって、
故郷を奪われたパレスチナ人の体験と暮らしについて、聞き書きをするということをはじめました。
自分たちの歴史、文化、アイデンティティを次の世代に残していくことを目指して。
それが、彼女なりの戦い。
一日も早く、彼女の戦いが終わること、祈ります。
昨年末~、今年にかけての大きなガザへの攻撃が終わった後も
イスラエルの締めつけ、ガザの封鎖は解除されていません。
建築用の重機や、建築物資もほとんど入らないため、
破壊された、建物のがれきの撤去もままならず、
人々は、テント生活や、親戚への寄宿を余儀なくされています。
日本では、ほとんど報道も無くなっていますが、
まだまだ、ガザは大変です。
それをどうぞ知ってください。