躰道シーラカンスの整体体操

躰道を人生の道連にできるよう、健康体力の保持を願い「谷式健康体操」は、45年前初代祝嶺先生より許可、考案 20年で集大成

躰道シーラカンス 徒然なるままに(4)

2019-04-26 | 躰道
三代目宗家祝嶺修道氏の委託を受け、玄制流本部が実施した、平成最後の昇段審査会となりました。
皆様お疲れ様でした。又ご家族やご父兄の方々全員でのご宗家の墓参り、創始祝嶺先生も喜んでいることと想います。
受審した皆さんの段位の証状は、平成最後の記念すべき重みのあるものと思います。
又、令和元年を先取りしており一層の精進あらんことを心より祈念いたします。
平成の時代を振り返ると、私にとって、
別れの多い出来事が多く、
師と仰ぐ尊師の方々との別れ、
同じ武の道を歩んだ弟子達との別れ、
東日本大震災での姉弟と兄弟の別れ。
全日本躰道選手権大会、埼玉県躰道
優勝大会等で、心を込めた追悼や
鎮魂の特別演武を行ないました。
数日後には「令 和」元年、5月1日から新しい元号が使われます。
新時代は国と国、人と人が争うことの無い、相手を思いやる世界であることを願いたい。
武道の奥義と言われるものは、この道に到達し実践することであると考えております。
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躰道シーラカンス 徒然なるままに(3)

2019-04-20 | 躰道
躰道創設 1周年記念 草創期を思い起こす。昭和41429日、中野区中野事務所前の蓬莱屋さん。
写真はブレているが希望に満ち溢れた 1年でした。
祝嶺最高師範の隣りに座すは山田晴康先生、師範会峯村会長。
当日、祝嶺先生より頂いた表彰状は日本空手武道協会、玄制琉空手道から躰道協会に変遷の中で、2年間余り使用した協会名、貴重な資料になりました。
当日、決定した中では、躰道創立記念式典を123日とすることが含まれたと記憶しております。
当初から10年間は指導局次長として、その任に当たり躰道の発展と拡充に努めました。
躰道は一日で出来たような言い方をする自己保身的な輩も多くなったが「ローマは一日で成らず」は、皆さん知っておりますよね、そのルーツを想い起こすまま書き記したい。
私的なことですが、空手に先手なし伊東市在住、故山田晴康先生からの5年間、最高師範祝嶺先生5年間の徹底した玄制流、受け技の教えは、私の武道に対する修練と修得法の基礎となりました。
しかし、10年の日々自己研鑽するも、体が小さく軟弱な私の身体では、受け技にも限界を感じることも多く、手技から運足と体技へと変化するに至っていた。
ところで話は変わりますが、我々の世代、日本國が経験したことのない侮辱的な敗戦、戦前の無謀な行動を一身に受けななければならない年代の若者達の集まりでした。
したがって創意工夫を合わせもつ気質の者が多い時代でした。
大戦後の食料難、食べ盛りの8歳から10年間は、生き抜くために、明日の食糧確保を考え、行動を起こさなければ生きて行けない、創造性は必然的に身に付いたものと思います。
腹一杯白米の飯を食べられたのは自衛隊に入隊してからです。
因みにそのような環境を経験しなければ、実体験と浅い知識のみで、40年来続けている現在の「谷式健康体操」の考案と集大成は出来なかったと思います。
本題に戻るが、玄制流空手道設立時から躰道に変わるまでの15年余り、新空手道教範が発刊される前夜、又全日本空手道連盟が、1964年第1回東京オリンピックデモストレーション競技種目として、出場できるか否かの時代でした。
あまり知る人の少ない玄制流、他流の四大流派を追い抜こうとする、若い指導者達の勢いがあっての躰技の創造だったと思います。
体技から躰技に変え「躰道は皆んなで創るんだ」の最高師範の一言を信じ、約3分の一余りの指導者達により、日本躰道協会が設立された。
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躰道シーラカンス 徒然なるままに(2)

2019-04-11 | 躰道
 
 
現在、躰道にたづさわっている者は、躰道に代わる初期からか、又躰道に代わった後の会員達であり、スポーツ競技優先の教育を受けた者達ですが、願わくば自在に動く身体に、感謝と幸福感を感じられる躰道修錬者であって欲しい。
81歳の現在、身体的に限界を感じながも、真の躰道の在り方を追求して行かなければならない。
何故ならば、身体の道には無限の可能性を秘めているからです。
躰道の技法はあくまで護身、体育、生命を保持することを意図とし、内功と外功を駆使し3次元の空間での動きを検証し調和を図った躰技である。
しからば何故、3次元の武道を志たのか、躰道の真理を探究する考え方、思考法を3次元的に求める。
先ずは運足(思考と行動)から、直線的、かつ感情的な真っ向勝負(ガッンコ対決)的な考えや行動を戒めたものであります。
創造創作を旨として、社会に貢献できる人材を育成することが目標の躰道であった。
しかし、53年を経た現在、その目的が形を守ることのみに変わり、躰技や竸技法には創造性が見られない。型から法形に変えた意味もなく情けなさを感じる。
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