旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

台湾のりもの紀行 いよいよ高鐵 左營→台北

2007-12-31 22:00:17 | 台湾日記

いよいよ700T型の車内へ!
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車内に入ると、そこは新幹線だった。気付いた違いは表示が中文である事はもちろんだが、大きな手荷物を置くスペースがあったり、デッキと客室との扉はボタンを押して開けるようになっていたりする。閉まるのは勝手に閉まります。日本でも寒冷地の列車の扉は押しボタン(または手動)で開閉するが、台湾の場合は暑さ対策らしい。そもそも欧州の高速鉄道導入の予定のところ、日本製の新幹線がここ台湾の地を走っていることに感慨を覚える。


デッキもお手洗いも新幹線!


扉を開けるのは押しボタンで!

台北-左營間は339.283キロ(JTB時刻表による)。途中、板橋と台中に停車する列車が96分、各駅停車で120分で走破。これを日本の新幹線と比較してみる。東京-名古屋間の営業キロは366キロ(実キロはこれより短い)。途中、品川と新横浜に停車する〔のぞみ1号〕もまた96分で到達している。各駅停車の〔こだま〕は通過待ちが多くて、2時間50分くらい要しているが。台北-左營間を標準車廂(普通車に相当)の利用で1,490元(カード会社換算後の利用金額は5,069円)。一方の東京-名古屋間の〔のぞみ〕の普通車の運賃+料金(通常期)は10,780円である。高鐵はJRの半額程度に価格設定している。


テーブルも新幹線仕様


7-ELEVENの御弁当と台湾啤酒


車内販売のメニュー

綜合壽司沙拉組(寿司、サラダ)と總匯三明治沙拉組(サンドイッチ、サラダ)は各100元で車内販売しているらしい。ちょっと高い気がする。発車時刻が近づき、パラパラと乗客は乗ってきたが、はっきり言って空いている。各駅停車だからか。ノートPCをテーブルに載せて、何やらしている二人連れのビジネスマンがいる。日本人かと思ったが、そうではない。正午、414車次は定刻に左營を発車した。さっそく台湾啤酒を飲み始める。黒胡椒豬排は思っていた程ではなかったが、美味しくいただく。腸詰と煮卵は旨かった。


黒胡椒豬排便當(65元)
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しかし、ひとつ失敗をした。茉莉蔳茶(ジャスミン茶)なのだが、砂糖が入っているのだ。紅茶以外のお茶に砂糖を入れる習慣がないのに。しかし台湾ではこれが一般的なのだろう。無糖のお茶を買うよう気をつけるべきだったが、忘れていた。列車の乗り心地は申し分なく、ビールに弁当と、ここまでは良かったが、お茶を口にするとつらい。


座席はもちろん窗邊(窓側)

すぐに台南に到着。駅の周りは何にもない。高鐵の台南站は臺鐵の台南站とはかなり離れた場所で、台南縣ではあるが台南市ではない。それでも月台には列車を待つ人がいる。各駅停車のみ1時間に2本が停車する。前の席にやってきた男性は背広をフックに掛け、席を倒して、さっそく寝る体制である。日本人じゃないかと思ったが、そうではない。停車時間は日本のように短くない。計ってないが2分くらい停まっている気がする。

椰子の木も見える平野を高架で走ってゆく。時折、速度が表示されるが、時速300kmは見落としたのか見掛けなかった。次の嘉義も嘉義市ではなく、嘉義縣太保市にあり、臺鐵站とは離れている。台北との中間の台中に到着。ここまで1時間である。ここも台中市ではなく、台中縣烏日郷だが、台中市に隣接しており、臺鐵との乗換駅になっている。車内も次第に席が埋まってきた、といっても空席は多い。通路を歩いて席に向かう乗客のコツコツという足音も新幹線と同じである(当たり前)。日本にいるんじゃないかと思う。

席を立ち、用を足しに行く。山間部となりトンネルも多くなってきた。車窓は山陽新幹線か、東北新幹線かのようだ。地形は日本に似ている。しかし、家屋の様式や、特にお墓となると全く違う。やはり異国にいるのだ。またも新竹市になく新竹縣竹北市にある新竹に停車。ここは駅の周りが開発されていた。そして次は桃園國際機場の最寄駅、桃園に停車。航空機の運航を考慮して地下駅となっている。桃園縣桃園市ではなく、桃園縣中壢市にある。もういいか。


中山高速公路と交差 (板橋-桃園間)

空港と市内とを結ぶバスの車内から眺めた高架橋を通過する。やがて臺鐵と並走し、ここから終点まで地下区間となって板橋着。ここは臺鐵の板橋站と接続。あとは暗闇をゆっくり走り、終点の台北に14時に到着した。乗ってきた列車を写真に撮り、改札階へ上がった。女性駅員に切符を記念に欲しいと言うが、何のことはない。改札機に切符を入れると出てくる。切符は持ち帰るシステムなのだ。女性駅員と書いたが、航空会社を意識しており、地上スタッフなのだろうと思う。こうして念願の高鐵乗車を果たした。 (つづく)


定刻に到着 (台北)
いずれも民國96年11月26日撮影
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