旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

首里より那覇へ

2024-02-23 20:00:00 | 

首里城 白銀門 (沖縄県那覇市首里当蔵町)

令和6年1月27日土曜日。首里城公園の有料区域を訪れている。白銀門をくぐり東のアザナヘ登る。


東のアザナより東方を望む

太平洋・中城湾まで見えるか。ズームでよってみる。


右は知念半島として、真ん中の細長い陸地は久高島か


正殿(復元工事中)を望む






東シナ海を望む

慶良間諸島が見える。






寝廟殿

東のアザナより降る。




湯屋

ここは女官たちの浴場で国王のお風呂は別にあったそう。





この門を抜けると有料区域から出るのだが気付かない。


淑順門

国王やその家族に仕える女官らが御内原へ入るときにくぐった門だそう。平成22年の復元。




こちらはまだ来た事がなかった




ガマ遺構


東のアザナ

東のアザナの外側を昇り降りする道がある。結構な高低差で、戻ってくる事は考えたくない。


美福門

この辺りは観光客の姿は少ない。階段に草も生えている。


美福

次の門の外は住宅街のようである。昔の役人の衣装を着た門番(女性スタッフ)がおられるのだが、一旦外に出ていいか尋ねると出入り自由だとの事。ようやく有料区域を出ていた事を知る。では遠慮なく門外へ。


継世門

継世門は修復工事中だった。




継世門の門前の様子 (沖縄県那覇市首里赤田町・崎山町)



再び継世門をくぐり、門番さんに声を掛けて城内に戻る。




やはり昇り降りは疲れる


リュウキュウバライチゴ バラ科


ガジュマル クワ科


リュウキュウマツ


淑順門

淑順門まで帰ってきた。順路に戻る。


淑順




右掖門

戦災で焼失していたが、平成4年に櫓から下の城壁部が復元、平成12年に櫓が復元された。


右掖






寒水川樋川


この門をくぐり城外へ




久慶門

首里駅からやって来て最初に見た門。まだ駅には向かわず公園内を散策する。






重修天女橋碑記

円鑑池の中島にある弁天堂に架けられた天女橋。乾隆9年(1744)に橋を改修した時に建立した石碑が後に倒壊して嘉慶3年(1798)に新たに石碑が建てられた。その石碑が昭和20年に戦災にて破壊され、拓本・写真などから復元されたのがこの石碑である。百年以上前からありそうに見える。


円鑑池

円鑑池は西暦1968年の復元。




首里城公園の猫ちゃん


それより見慣れぬ鳥が…

後日調べたところ、バリケンという鳥で、南米原産のノバリケンを家禽化したものだそう。


龍潭



長虹堤と同じく国相懐機が造った人工池。






円鑑池と弁財天堂

天女橋が架かる。


史跡 円覚寺跡

国指定史跡
昭和47年5月15日指定

 円覚寺は琉球における臨済宗の総本山で、山号を天徳山と称した。第二尚氏王統の菩提寺であり、琉球随一の寺院であった。
 尚真王が父王尚円を祀るため、1492年から3年がかりで建立したと伝えられる。開山住持は京都南禅寺の芥隠禅師である。建築の手法は、鎌倉の円覚寺にならった禅宗七堂伽藍の形式を備えており、寺域は約3,560m²であった。伽藍は西面し、前面中央に総門を開き、その左右に掖門を備えていた。総門を入ると放生池があり、放生橋、山門、仏殿、龍淵殿が一線上に配置されていた。
 昭和8年に円覚寺伽藍として国宝に指定され、総門前庭の円鑑池やハンタン山の緑に映えて荘厳な寺院であったが、去る大戦でほとんど破壊された。
 現在の総門(県指定有形文化財)と左右の掖門は昭和43年に復元されたものである。放生橋(重要文化財)は昭和42年に修復された。橋の勾欄羽目の彫刻は精緻を極め、沖縄の石彫美術の最高傑作であると言われている。
 沖縄県教育委員会 (説明板より)

昭和47年5月15日は沖縄の復帰した日である。


沖縄師範學校跡

今は県立芸術大学が建っている。




首里城公園を後にする


沖縄県道49号 終点 End 那覇市 Naha City 首里 Shuri 当蔵町 Tonokuracho

公園内の道だと思っていたが車両通行禁止となっているだけで守礼門の下の道も県道49号だった。




沖縄県道29号 那覇北中城線 当蔵一丁目

県道を渡って住宅街を抜けて儀保駅に行った方が少し近い。以前はそうしたが今日は首里駅に戻る。






鳥堀交差点

駅まで戻ってきた。


沖縄都市モノレール 沖縄都市モノレール線 首里駅 (沖縄県那覇市首里汀良町)

一日乗車券で入場する。




沖縄都市モノレール 沖縄都市モノレール線 普通列車 [1000形] (首里)

3両編成がやって来た。乗車する。


metro ゆいレールで首里を出発symbol6


沖縄都市モノレール 沖縄都市モノレール線 普通列車 [1000形] (県庁前)

県庁前で下車する。県庁には用はない。


metro ゆいレールで県庁前に到着symbol6

沖縄都市モノレール線 普通 首里(13:31)→県庁前(13:48) 1232 一日乗車券利用






沖縄都市モノレール 沖縄都市モノレール線 県庁前駅 (沖縄県那覇市久茂地)




県庁北口交差点

県庁前駅で下車したのは国際通りに行くため。旅行四日目にしてようやく訪れる。写真左のみずほ銀行と中央のA&Wとの間が国際通り。三日連続でA&Wに入店する。


Root Beer ルートビア S(200円)

すっかり気に入ったルートビア。ただ黒松沙士との違いが判らなくなってきた。ところで、気に入ったのになぜ一番小さいSサイズなのかというと、店内では毎日おかわり無料なのだ。昨日、一昨日もおかわりすればよかった。この味が何ともいえない。サロンパスじゃないよ。


The A&W Burger The A&Wバーガー(790円)

食べにくく、そして旨い。ルートビアによく合う。個人的にはシンプルで肉多目がいいのでダブルバーガーがあればいいのだがない。パティ2枚のメニューはいくつかあるのでそれもよかったが、お店の名前を冠しているので食べてみたかったのだ。


ルートビア、おかわり

素晴らしいサービス。そしてやっぱり旨い。20年以上前に Los Angeles International AirportLAX KLAX)にあるハンバーガー店を利用した時、紙コップを渡されドリンクバーのように自分で入れるようになっていた。まだ日本でドリンクバー導入も多くなかったのでアメリカでは飲み放題なのかと感心したのだが、Small Sizeのカップが日本のLarge Sizeくらいあるので1杯で充分だった。沖縄のA&Wさんではルートビアに限られるがおわかり出来るのは嬉しい。ごちそうさまでした。


A&W 国際通り松尾店 (沖縄県那覇市松尾) いずれも令和6年1月27日撮影

ここは都市部にある店舗で小さかったが、ドライブインのあるような店舗にもまた行きたい。
(つづく)


首里城

2024-02-21 20:00:00 | 

沖縄都市モノレール 沖縄都市モノレール線 普通列車 [1000形] (那覇空港)

令和6年1月27日土曜日。那覇空港に来ている。


metro ゆいレールで那覇空港を出発symbol6


車窓に首里城を望む (儀保-首里)




沖縄都市モノレール 沖縄都市モノレール線 普通列車 [1000形] (首里)


metro ゆいレールで首里に到着symbol6

沖縄都市モノレール線 普通 那覇空港(11:18)→首里(11:47) 1121 一日乗車券利用




琉球泡盛 めんそーれ 泡盛の邦へ


改札口


沖縄都市モノレール 沖縄都市モノレール線 首里駅 (沖縄県那覇市首里汀良町)

平成15年に那覇空港首里間が開業。終点だった首里駅だが、令和元年に首里てだこ浦西間が延伸開業して中間駅となった。





琉球の都だった首里。かつては首里市だったが西暦1954年に那覇市に合併している。


国王頌徳碑

 「国王頌徳碑」は琉球王国時代の1543年(嘉靖22)に建立された石碑である。碑文の内容は首里城から、古来より崇拝された弁ヶ嶽(後に久高島・斎場御嶽)の遥拝所として整備される。那覇市内最高所。標高165m)への道を石畳道にし、周辺に松樹を植えるなど参道を整備した国王尚清の徳を讃えたもので、表は平仮名文、裏は漢文で刻まれている。また首里城から東に延びる丘陵「上の毛」の東端部を「かたのはな」といい、この地先に建立されたため別名「かたのはなの碑」ともいう。
 石碑が建立された一帯は「碑文の毛」(後に「碑文の前」)と呼ばれ、広場となっていたが、1935年(昭和10)に首里と那覇を結ぶ首里市営バスの発着場となった。
 1945(昭和20)の沖縄戦で石碑は破壊されたが、碑の一部が沖縄県立博物館に残されている。本碑は碑の一部や建立年の近い石碑を参考にし、石碑建立地に隣接する現在地に新たに復元したものである。 (説明文より)


明国の年号が見える

明嘉靖22年は天文12年。室町時代である。それにしては新しいなと思ったら碑は復元だった。



18世紀頃の首里古地図にモノレールの路線などを加えたものが。モノレールが首里駅止まりになっている。気になるのはそこか。


上の毛 ウィーヌモー

元東急線利用者なので大井町線上野毛駅から「かみのげ」と読んでしまう。野原の意。沖縄では eiou となるから「うえの」を「うぃーぬ」と読むのだろう。「もう」は「もー」のままか。


うぃーぬもーは通らず、まずは守礼門を目指す






正殿は復元工事中

令和元年10月31日未明に発生した火災により正殿等9つの主要施設が焼失している。




首里城 久慶門 (沖縄県那覇市首里当蔵町)

昭和58年復元。首里城の通用門であったが、現在順路の都合で出口となっている。後で通る。










守礼門

平成4年に正殿が復元される前の昭和の沖縄観光のイメージはここ。昭和にも平成にも沖縄に来た事はなかったのだが。もっと早く訪れるべきだった。



もとの門は昭和8年に国宝に指定されていたが沖縄戦で破壊された。現在の門は西暦1958年復元。


守禮之邦

咸豐3年(1853)、米国のマシュー・カルブレイス・ペリー提督 Commodore Matthew Calbraith Perry は守礼門を通り首里城を訪れている。清咸豐3年は嘉永6年。ペリー提督は琉球を離れて相州浦賀沖に現れた。黒船来航である。


園比屋武御嶽石門

扁額に「正德十四年八月二十八日」(1519)とあり、尚真王の時代の創建と判明している。昭和8年に国宝に指定。沖縄戦で一部破壊されたが西暦1957年に復元。国指定重要文化財となっている。この「正德」は明国の年号(1506-1521)で、日本の江戸期の「正德」(1711-1716)ではない。




歡會門

歓会門。首里城の城郭へ入る第一の正門だそう。創建はやはり尚真王の時代。戦災で焼失したが昭和49年に復元された。




門の両側には一対のシーサー




瑞泉門



ここも戦災で焼失。平成4年の復元。


瑞泉

扁額をアップで撮るのを忘れた。拡大で画質が悪くて申し訳ない。


瑞泉門を入る前に…

首里城には湧水がある。


龍樋

瑞泉門の名はここにちなむ。龍の彫刻は約500年前のもので明国からもたらされたそう。


中山第一

冊封七碑という石碑。清国より遣わされた冊封使が龍樋を詠んだ漢詩、題字を石碑にしていた。戦災で破壊されてしまったが、拓本から復元されている。もっとも古いのが康熙58年(1719)、冊封副使徐葆光の「中山第一」。「泉の水量は、水質は琉球第一の泉である」の意。


活潑潑地

嘉慶13年(1808)、冊封正使斉鯤の「活潑潑地」。「魚がはねるように水の勢いが極めて活発な泉である」の意。全部で七つあるとは知らず、二つしか写真に撮っていない。


歡會門を望む


瑞泉門にも一対の石獅子

「獅子」を「シーサー」と読む。






漏刻門


漏刻

漏刻とは水時計。時の記念日の由来で漏刻が出てくる。天智天皇10年(671)4月25日に本邦で初めて漏刻を用いる。この日をグレゴリオ暦にすると6月10日で、大正9年に時の記念日が制定された。首里城の漏刻門には漏刻が設置され大鐘を打って城の内外に時刻を知らせていたという。


廣福門


廣福

創建年は不明。明治末期頃に撤去され、平成4年に復元された。


随分高いところまで登ってきた






首里城 奉神門 (沖縄県那覇市首里金城町)

奉神門を過ぎると首里城正殿のある御庭。門は明治末に撤去されたが平成4年に外観が復元された。



奉神門から先は有料区域となる。


首里城公園 入場券 モノ割大人(320円)

入場料金は一般大人400円。モノレールの一日乗車券・二日乗車券を利用中の場合、出札口で乗車券を提示すると団体料金が適用されて320円となる。


沖縄都市モノレール線 1日乗車券(800円) ※二次元コードは隠してあります。

昨夜、那覇空港駅の券売機で購入した切符。暦日ではなく発行から24時間有効である。それでは改札で入場券の半券をもぎってもらい有料区域へ。


奉神


木材倉庫の壁に正殿の画が描かれている


漏刻門を望む


硝子越しに復元工事エリアの様子を見学出来る


龍潭を望み、外の階段で上の階へ登ってゆく

エレベータあります。


火災で正殿から焼け落ちたものが展示されている




また硝子越しに工事の様子を見る








完成したら屋根をこの角度から見る事もあるまい








正殿の復元工事現場がすっぽり素屋根に覆われている

平成の復元では正殿にタイワンヒノキが使われていた。今は伐採禁止となっている大変貴重な木材である。首里城を訪れている台湾からの観光客を見掛けたが、何だか申し訳ないような気持になる。


世誇殿

平成31年の外観復元。本殿の裏側、御内原に位置する。平成4年に正殿など復元して開園した首里城公園。ようやく整備が終わり全面開園となったこの年(平成31年・令和元年)に正殿などが火災で焼失したのか。何たる事か。


いずれも令和6年1月27日撮影

やはり平成31年に復元・公開された東のアザナへむかう。 (つづく)


沖縄市・コザより那覇市へ

2024-02-03 23:55:00 | 

沖縄自動車道 沖縄南インターチェンジ 高速バスのりば (沖縄県沖縄市諸見里)

令和6年1月24日水曜日。沖縄県沖縄市に来ている。空港からバスを乗り継いで来たが、次は高速バスを利用する。ローカル路線バスの旅ではないから高速道路を経由する路線バスも利用する。


沖縄県道85号 沖縄環状線


階段を降りたところに停留所が


沖縄南インターチェンジ停留所


沖縄南IC

上り(那覇方面)・下り(名護方面)ともに同じ停留所である。111系統の那覇空港名護バスターミナル間、117系統の那覇空港名護バスターミナル記念公園前【美ら海水族館】オリオンモトブリゾート間の二系統が停車する。


NEXCO西日本九州支社管内というのが不思議な気がする




本線方向

高速道路の向こう側は嘉手納基地である。どれだけ広いのかと思う。そして午後5時になると基地の方からは防災無線のような感じでラッパの音が聞こえてくる。そして国歌君が代、つづいて米国国歌 The U.S. national anthem "The Star-Spangled Banner" が流れる。今のAFNでは知らないが、かつてFENでは午前0時に日米の国歌が流れていたのを思い出した。


沖縄バス 111系統 高速バス (沖縄南インターチェンジ)

少し遅れて那覇空港行のバスが到着。高速バスは出入口は一箇所だが、一般道のバスも運転席横の扉のみ出入口としていた。降車客がいる場合は運転士が乗車客に待つよう呼びかけるが、勢いで乗り込みそうになる。沖縄南IC停留所を出発。本線に入る。交通量は多い。途中、山里BSに停車する。




国道330号と立体交差

沖縄市より中頭郡北中城村に入る。気になっているレストランが見える。喜舎場BSには喜舎場SICが設けられている。那覇方面(上り線)への流入のみ。北中城村より中城村に入る。これらは村といっても人口は多そう。北中城ICを通過する。


沖縄自動車道 中城パーキングエリア(上り線) (沖縄県中頭郡中城村新垣)

本線よりPAに入るが休憩での立ち寄りではない。中城PAにもBSがある。



日本最南端かつ日本最西端のパーキングエリア。高速道路の休憩施設としてはサービスエリアを含めてここが最南端で最西端。沖縄道にはSAとPAが一箇所ずつあり、伊芸SA(国頭郡金武町)は利用した事があるが、ここ中城PAは利用した事がない。中城BSを出発。本線は渋滞はしていないものの詰まってきており、少し速度が低下する箇所も見られる。宜野湾市に入り琉大入口BSに停車する。どの停留所でも利用者が待っている。モノレール以外に鉄道がないので高速バスが都市を結ぶ鉄道の役目を果たしているのだろう。中頭郡西原町に入り西原ICを通過。西原IC料金所は浦添市にあるそうで、本線も浦添市を少し通って西原町に戻る。モノレールの高架が見えて次の停留所に到着する。


沖縄バス 111系統 高速バス (幸地)

幸地BSに到着。下車する。バスは那覇市街地を経由して空港まで向かうが、ここで乗り換えて那覇市街地に向かう。高速を走行していたので乗車時間に対して運賃が高いように感じてしまう。距離の方はしっかり走っているはずである。

111系統 高速バス 沖縄南IC(17:00)→幸地(17:15) 378 運賃620円




許田方を望む


那覇方を望む


階段を降りて高速道路より出る


幸地停留所(上り線) (沖縄県中頭郡西原町幸地)


こちらは上り線(那覇方面)の停留所

下り線(名護方面)の停留所とは道路を挟んで分かれている。




歩いて最寄りの駅を目指す

バス停から階段を降りたら坂を登ってゆく。


坂の上の道に出たら左へ


道なりに進む

サインは出てないが西原町より浦添市に入る。


モノレールの車止めが見える


沖縄都市モノレール 沖縄都市モノレール線 てだこ浦西駅 (沖縄県浦添市前田)

モノレールの終点、てだこ浦西駅に到着する。バス旅じゃないからモノレールにも乗る。




改札口

バスとは違い、モノレールではOKICAに加えてSuicaPASMOなどの交通系ICカードが利用出来る。Suicaで入場してプラットフォームへ。


沖縄都市モノレール 沖縄都市モノレール線 普通列車 [1000形] (てだこ浦西)

モノレールの愛称はゆいレール。3両編成の列車が出発を待っている。てだこ浦西那覇空港行普通列車。平成15年の開業以来列車は2両編成だったが、昨年8月より3両編成が投入されている。すべての編成が3両になったのではなく、一部編成のみとなる。三年半ぶりの沖縄で偶然に3両編成に当たるとはいいね。


1000形の車内の様子



折角の3両編成だから中間車を撮ればよかったが、既に他のお客さんが乗っていたので貸し切り状態の最後尾の車内を撮影する。


metro ゆいレールでてだこ浦西を出発symbol6


モノレールからの車窓 (経塚-浦添前田)

高い位置からの眺めが最高。バスもいいが、やっぱり鉄道のよさがある。浦添市より那覇市に入る。


沖縄都市モノレール 沖縄都市モノレール線 普通列車 [1000形] (美栄橋)

列車は各駅に停車する。美栄橋で下車する。


metro ゆいレールで美栄橋に到着symbol6

沖縄都市モノレール線 普通 てだこ浦西(17:32)→美栄橋(17:55) 1231 運賃340円


ゆいレール


中間車両


ゆいレールは昨年8月10日で開業20周年

おめでとうございます。




券売機と改札口


駅の中にもシーサーが


今日の移動範囲を地図で確認する




エナジックホテル山市 (沖縄県那覇市牧志)

駅から歩いて今日の宿へ。旅行サイトからの予約で1泊朝食付の料金は4,355円。


客室の様子

お相撲の放送には間に合わなかった。




tv 県域の放送が始まった

昨年春まで首都圏を担当されていたアナウンサーさんが。千葉県にお住まいだったと記憶するが、今日の沖縄の冷え込みに関する事で、ストーブは沖縄には持って来なかった話をしていた。


客室からの眺め



風邪気味なので暖房をつけて寝ていた。目が覚めてファミリーマートへ夜食を買いに行ってくる。昼食で相当お金を使ったし、食べきれない程だったので、軽いものでいいでしょう。ホテルから出ると無灯火、ノーヘルのバイクが1台、信号無視してウロウロ(徘徊?)している。どこの街にもおかしなのはいるものだ。買い出しの途中でいい感じのうどん屋さんがあり気になる。しかし予定通りファミマで夜食を買ってホテルに戻った。


アサヒ ドライゼロ350ml(160円) ポーク玉子チキナー(275円)※50円値引きで225円

お酒は控えるとしてオリオンビールのノンアルコールのビールテイスト飲料を買おうと思ったが、売り切れなのか見当たらなかったのでアサヒビールのドライゼロを買う。沖縄県外ではSPAMむすびとして売っているポーク玉子おむすび。沖縄限定のチキナーの入ったものを買って来た。


中身はこんな感じ♪ いずれも令和6年1月24日撮影

写真が上手く撮れず申し訳ない。チキナーとはからし菜の事だそう。SPAMと玉子に葉物が入ったおにぎり(おにぎらず?)が旨い。沖縄以外でも販売すればいいのにと思う。軽く食べた後、動画も見られるテレビで旅の動画を楽しむ。市村さんのお天気は沖縄では放送する系列局がなく見られない。そういえば徳光さんの頃、ズームインを見ていると沖縄からは日本テレビが担当していた事を思い出す。今夜は暖かくして就寝する。 (つづく)


嘉手納町より沖縄市・コザへ

2024-02-01 23:00:00 | 

Seaside at Kadena Marina (沖縄県中頭郡嘉手納町兼久)
Kadena, Nakagami District, Okinawa, Japan

令和6年1月24日水曜日。沖縄県中頭郡嘉手納町に来ている。基地の中にある飲食店でステーキを食べてきた。満腹でお店を出る。今度来る時はデザートも食べたい。


野国貝塚群 (沖縄県中頭郡嘉手納町兼久)

お店を出た国道沿い。奥には「甘藷発祥の地 野国いも宣言」の碑が見える。野國總管、本名は不明だそうで、野國(地名)・總管(役職)で、野國の總管さんという事だろう。西暦1605年に明国・福州に渡った際に甘藷(sweet potato)を持ち帰る。碑は甘藷伝来400年の際に建てられたようだ。甘藷は後に沖縄より九州に伝わり、関東に伝わると薩摩芋と呼ばれる。




国道58号 奥まで to Oku 101 km

起点の鹿児島県鹿児島市からではなく、沖縄県における起点、国頭郡国頭村奥からのキロポストになっている。鹿児島市の起点も国頭村の起点も訪れた事がある。


国道は往復6車線

さて、空港から乗ってきたバス停まで戻ってきたが、次の便まで少し時間がある。このまま歩いて嘉手納町の中心まで行く。気温は2桁あるのだろうが風も吹いていて体感気温は低い。フードを被り、マスクをつけ、手袋をして歩く。バスに乗っている時には雨が降る所もあったが、歩いている時にはざあっと降る事はなかった。


ようこそ 嘉手納町へ KADANA TOWN

嘉手納町のキャラクターは「いもっち」。


嘉手納町役場 (沖縄県中頭郡嘉手納町字嘉手納)

町の中心までやって来た。


この辺が嘉手納ロータリーだったところか




嘉手納駅跡地 (沖縄県中頭郡嘉手納町字嘉手納)

嘉手納で訪れたかった嘉手納駅跡。駅の遺構は見当たらない。



 沖縄県営鉄道嘉手納線は1922(大正11)年3月28日に営業を開始し、那覇駅から嘉手納駅までの総延長約23.6Km沖縄県営鉄道の3路線で最も長い路線でした。
 嘉手納地域は嘉手納駅を利用して、沖縄本島中北部地域の農作物等を那覇へ輸送する中継地として栄え、嘉手納駅を中心として比謝橋近くまで続く嘉手納大通りでは、本屋・文具店・理髪店・食堂・医院などが軒を連ね賑わいました。
 また嘉手納駅には、サトウキビを越来・美里・具志川などからはトロッコで、読谷山の比謝・伊良皆などからは荷馬車で運び入れ、そこから側線を使用し沖縄県内最大の製糖工場である沖縄精糖株式会社嘉手納工場へと搬入していました。嘉手納駅の開業により、それまで船による海上輸送であった砂糖製品の運搬が鉄道による陸上輸送に変わるなど、沖縄本島中部地域の産業の発展に大きく寄与しました。
 しかし、1945(昭和20)年の沖縄戦により鉄道設備が破壊され、戦後は多くの土地が米軍施設として接収されたため、沖縄県営鉄道は廃線となりました。
 2011年2月吉日 沖縄県嘉手納町
(説明文より)



The Okinawa prefectural rail-road, Kadena Line, started its business on 28 March 1922 (Taisho11). The length of the line from Naha main station was approximately 23.6Km, the longest line of three prefectural lines. The Kadena area had prospered with connection point of transportation of agricultural products or other commercial goods from northern Okinawa to Naha, and Kadena main street which extended to Hija Bridge was crowded with book stores, stationary stores, barber shops, restaurants and/or clinics. The hervested sugar canes were first carried to Kadena station from Misato, Goeku and Gushikawa area in rail-trucks, and from Yomitanzan, Hija and Iramine in horse carts, from where the canes were turned to the Okinawa sugar mill, one of the largest sugar mills of Okinawa. Commencement of business of the Kadena station had greatly contributed to prosperity of productive business of central Okinawa as the transportation method of sugar products was altered from sea to rail-road.
The rail-road facilities were, however, distroyed by the last Okinawa land war in 1945 (Showa 20), and the Okinawa Prefectural rail-road closed its business due to the larger area of island was taken by the U.S. military bases.
(英文の説明文より)



ネットに上がっていた昭和一桁の時刻表の画像を見てみると、那覇嘉手納間は1時間15分を要している。今日、空港から乗ってきたバスの時刻表を見てみると、那覇バスターミナル嘉手納町役場前間の所要時間はやはり1時間15分と令和一桁のバスでも同じだった。今も鉄道が走っていれば乗ってみたかった。ちなみに現在、那覇市と名護市とを結ぶ鉄道の計画はある。




廃止されたロータリーが公園になっている






沖縄防衛局 (沖縄県中頭郡嘉手納町字嘉手納)



国道はロータリーの東側の新道に移り、三叉路の交差点に改められている。




嘉手納停留所 (沖縄県中頭郡嘉手納町字嘉手納)

バス停にやって来た。那覇市に戻るのではなく、沖縄市に向かう。


沖縄県道74号沖縄嘉手納線をコザ方面へ


琉球バス交通 62系統 中部線 (嘉手納)


道の駅かでなの前を通る

屋上の展望台にはカメラを構えた人が多数。さて、千円札を両替しようと信号で停車中に運転席側の両替機へ。しかし運転士さんによると、扉が開いていない時は両替は出来ないので降車時にという事だった。沖縄バスさんでは停車中に両替出来たので琉球バス交通さんとは異なるようだ。とにかく走行中は着席を徹底したいのだろう。県道沿いには両替店が何軒かあり店頭にレートが張り出されている。144円○○銭150円とある。144円○○銭はドルで円を買う時で、ドルを買うにはUSD1.00JPY150という事か。レストランで$38.95払ったので150を掛けると…いやいや考えては駄目だ。バスは沖縄市に入る。

【追記】
クレジットの明細で確認した。
支払額:$38.95 クレジット会社のレート(1月26日):152.0154 日本円の請求額:5,921円 


車窓に嘉手納飛行場(DNA RODN



どれだけ広いのか。東京国際空港(HND RJTT)よりも広いのだそう。県道の両側が基地となる。ゲートから出る事なく県道を挟んだ基地の南側と北側を移動するための歩道橋がある。沖縄自動車道の高架を潜り、ようやく飛行場を離れる。バスに乗った時は貸し切り状態だったが、市街地に入ると乗客が増えてくる。沖縄市は昭和49年にコザ市と中頭郡美里村が合併して発足。片仮名の市町村名は北海道虻田郡ニセコ町(後志管内)と滋賀県高島郡マキノ町の二町のみとなったが、平成15年に山梨県南アルプス市が発足。平成17年にはマキノ町は合併で高島市となり、片仮名市町村は一市一町となっている。なおコザの名称については越來村胡屋、美里村古謝からとも。これらをKOZAと誤って綴ったからという説がある。バスに乗っているとコザ胡屋ともに停留所の名称にあった。


コザ・ミュージックタウンにはカープ坊やが
(沖縄県沖縄市上地)

よく見るとカープ坊やがエイサーしよる。


園田で下車する

行った事はないが競馬場の名前から「そのだ」と読んでしまうが、こちらは「そんだ」と読む。

62系統 中部線 嘉手納(15:39)→園田(16:15) 運賃530円




グラウンド通りを進む→


野球場に到着


コザ運動公園 (沖縄県沖縄市諸見里)

道路沿いにはコザしんきんドーム


コザしんきんスタジアム

カープの春季キャンプが行われる。まずは2月1日より日南キャンプ(宮崎県日南市)が行われ、2月15日より27日まで沖縄キャンプが行われる。まだ半月以上先で、それらしい様子は見られない。


公園内の自動販売機


カープ坊やと沖縄市エイサーキャラクターの面々


さんぴん花茶を購入

沖縄に着いてバス代以外で初めて日本円を使い買い物をする。


球場の周りを一巡り

グラウンドを垣間見る。







運動公園とあって走っている人もいれば犬の散歩の人も見掛ける。





一周してきた。お手洗いを借りる。



カープファンとしては近くまで来たので立ち寄りたかった。訪れるのは二度目だが。


鉢植え・プランターにもエイサーキャラクターが


エイ坊

エイ坊はカープファンとの事。ええよ。


サーちゃん


たーくん


さなじぃ



それでは春季キャンプを待つ野球場を後にする。去年は2位だったが、今年は優勝じゃ。




運動公園から沖縄南ICへ


沖縄自動車道 沖縄南インターチェンジ (沖縄県沖縄市諸見里・上地)

交通量は多い。


インターにバス停が設けられている いずれも令和6年1月24日撮影

沖縄南ICから高速バスを利用する。 (つづく)

/iframe>

行田で一泊

2024-01-28 12:00:00 | 

客室の様子

令和6年1月14日日曜日。一泊二日で埼玉県に出掛けてきた。旅行サイトからのホテルの宿泊料金は無料朝食が付いて5,000円。ポイントがあったので500円引となった。





このホテルは昨年に利用した事がある。


tv 総合でお相撲を見る


tv BS103でも放送している

BSP(BS103ch)は昨年放送を終了したが、令和6年能登半島地震によって地上波の視聴出来ない地域があり、金沢局の総合を衛星波を使って放送している。当然、全国で視聴出来る。


tv BSでドラマを見る

お相撲が終わり、大浴場に入ってきた。先日の日帰り温泉併設のホテルと比べればお風呂は小さいけどいい湯だった。部屋に帰ってテレビをつけると食事のシーンに間に合ったようだ。


sun 片山さんのお天気を見て…


北陸のお天気も見て…

改めて、地震お見舞い申し上げます。


台湾料理 福府 (埼玉県行田市佐間)

夕食に出掛けてきた。


ビール 中瓶(550円) ※ソフトドリンク一杯は定食に含まれます。


鶏肉の辛子炒め定食(1,188円)


宮保雞丁のような…

落花生は入っていないのでまた違うのか。麦酒によく合い実に旨い。


ラーメンは醤油を選択 これまで令和6年1月14日撮影

それにしても盛り沢山の定食。満腹である。ごちそうさまでした。ホテルに戻り就寝する。




客室から隣の公園を望む これより令和6年1月15日撮影

令和6年1月15日月曜日。行田のホテルで起床する。


朝食バイキング

こちらのホテルチェーンの朝食は好き。


食後の coffee コーヒーsymbol6 とデザート

ごちそうさまでした。


動画を見る


台北からのニュース

総統選も終了。相当の時間を…(略)。下淡水溪鐵橋(高屏舊鐵橋)について伝えている。下淡水溪(現高屏溪)に架かる屏東線の橋梁で大正2年の竣工。翌3年に開通している。全長1,526mで開通時はアジア最長の橋梁だったそう。民國76年(1987)に上流側に架けられた新橋が開通して民國81年(1992)に廃止されている。百閒先生が列車で通ったのは下淡水溪鐵橋の方である。



旧橋は水害で中間部が流出して途切れているが、残存する部分を歩く事が出来るそう。枕木が腐食しているので後で修繕するという話だろう。





屏東線の新橋から旧橋を眺めた事はあるが、最寄駅から歩くのが億劫で行った事はない。一度、訪れてみたいところである。




週末冷氣團報到轉冷

この時は台湾でそんなに寒くなるのかと思っていました。


旅の動画を見る ※参照 https://www.youtube.com/@tabisuru_porco





そろそろ快適なホテルをチェックアウトする。


行田天然温泉 ハナホテル行田 (埼玉県行田市佐間)