しょく日記。

三河地方をこよなく愛するしょくが、ささいな出来事から温泉レポ、旅日記、親バカ奮闘記などをつづった日記です。

墨俣一夜城

2010年10月20日 | 歴史

 日記@BlogRanking   

こんばんわ。しょくです。

歴史好きなしょくは、また歴史を勉強しにお城へ行ってしまった。

それも、ものすごく雨の降った土曜日の出来事です。


今回ご覧いただくのは、岐阜県大垣市にある墨俣城。



後の太閤殿下、豊臣秀吉が1日で築いた一夜城のお話が有名です。

 

こちら、豊臣秀吉さんの昔の名前、木下藤吉郎です。

顔がさるに似ていたため、当時仕えていた織田信長に「さる」と言われました。

その後、名前を羽柴秀吉、豊臣秀吉になりました。

羽柴秀吉の羽柴性は、当時織田信長の重臣である「丹長秀」と「田勝家」の

二人の名字を頂き、羽柴としました。


この墨俣城は、木下藤吉郎が大出世のきっかけを作るお城です。



しょく独自の解説で申し訳ありませんが、

当時としては画期的なプレハブ建築で、一夜のうちに城を建てた人物です。

っていっても、当時のお城は天守閣もなくいわば砦という感じのお城でした。



こちらが、当時の墨俣城。

木下藤吉郎は、中洲にあるこの地を利用して、城を立てました。

材木は川の上流である木曽谷より切り出し、筏を組んで川を使って運び

途中の中洲で材木を上げ、寸法を測って材木を加工、

加工品で筏を組み、川を使って闇夜のうちに墨俣の地に運びました。



その解説をして頂いたのがこちらのマシンです。

さすがにプレハブ住宅ならぬプレハブ城とは言ってませんが・・・。

分かりやすく言うため、しょく独自の言い回しなので、
真似しないようにお願いします。



それ以外の階も、こんな感じです。



とてもい綺麗ですし、いい資料館ですね。



こちらが天守閣。小いさかったんです。

今まで見てきたお城の中で、これはかなり小さい方に入りますね。
 



天守閣からの眺めです。

長良川が良く見えますね。





入館料も安く、
大人が200円、高校生以下は無料です。


ただ、駐車場が見当たらないのが難点かな。

この上の写真右側の堤防に車を止めるのがBestでしょう。


では。

 

BlogRankingに参加してます。

日記@BlogRanking 

       

  みんな応援(クリックで投票)してね。



最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
しょくさんこんばんは~ (萩尾花)
2010-10-21 00:53:44
毎度毎度、よくこんなに違った城を見つけてくるなぁと感心しています(笑)

今回は秀吉の一夜城ですか!
話にはよく聞く存在ですけど、今現在その地にお城が建っているとは考えたこともありませんでした。
だってほら、とりえず急いで適当に建てたみたいだから、しばらくしたら用がなくなって消えたのかなと思っていたので。

今の姿を見ると随分ちゃんとしていますね。
一応これ、再現なんですよね?
後に立派なのを建てたってことなのでしょうか?


羽柴秀吉の名前の由来は初めて知りました!
秀吉さんは名前を頂いたお二人のことをどう思っていたのでしょうね。
よく知らないので、このあたりの話を知りたくなってしまいました。
大河ドラマ見とけばよかったかな
返信する
しょくさん、こんばんわ。 (Nao)
2010-10-21 21:31:36
一夜城の跡にお城の形の資料館が建っているんですね。
形は当時のとは違うのでしょうが・・・。
一夜にして築いたお城ということで、きっと‘張りぼて’みたいな感じだったんじゃないかな~とは思いますが、力を見せつけるのには十分だったでしょうね。

入場料も安くていいな、と思いますけど・・・・駐車場が無いのは不便ですね。
っていうか、無いのが不思議。

あと、地理や歴史の事は現役の中高生に聞くのが一番早いんでしょうけどね。
うちの娘はあまりアテにならないんですよね~(笑)。
抜けている部分が多いので・・・。
これが今の成績に影響しまくりで・・・。悩みどころです(泣);
返信する
そうなんです。 (しょく)
2010-10-22 00:38:46
花さん、こんばんわ。

花さんが言うとおり、とりえず急いで適当に建てました。
しばらくは使っていたのですが、美濃稲葉山城攻略と共に不必要になり廃城になったとか
川の中州に立てた為、木曽三川の大氾濫で砦ごと流されたという説もあります。

この墨俣一夜城ですが、竹下内閣の「ふるさと創生論」にて
(花さんはまだ子供の時期で、こういうばらまきがあった事知らないよね?
日帰り温泉施設建設で成功した市町村もありますので、賛否は問いません。)
全国の各市町村に配布された税金1億円を資金とし
「墨俣一夜城歴史資料館」を建てたそうです。
なので、まったく史実と違います。
史実は上の写真のジオラマです。

羽柴性の件、最初は信長の重臣である「丹羽長秀」と「柴田勝家」を尊敬していたようですが、両極端な結果になります。
秀吉は信長の妹、お市が好きだったようですが、
お市は最初浅井長政と結婚しましたが、
その後浅井長政の裏切りもあり死別。
秀吉は未亡人となったお市を狙ってたのですが、
お市は秀吉がさる似で農民上がりだったせいで大嫌いだったようです。
さらに信長が本能寺の変で殺された後の家督争いの影響もあり、
信長の兄弟の勧めもあり柴田勝家と再婚。そこに争いの種が・・・。
最終的には、柴田勝家、お市は秀吉の攻められ自害。(賤ヶ岳の戦い)
お市の連れ子(3人の娘を生む。浅井三姉妹と言われる。)を秀吉が引き取り、
長女の茶々(のちの淀君)を側室として手に入れる結果に。
茶々が一番お市に似ていたらしい。
来年のNHK大河ドラマはこの浅井三姉妹の末っ子、
お江(おごう)が主人公のドラマがありますので見てください。

一方の丹羽長秀は、秀吉に取り込まれ、家臣になっています。

長く打ってしまったけど、すみません。本来ならばもっと語りたいのですが(笑)。

返信する
違います。 (しょく)
2010-10-22 00:47:05
Naoさん、こんばんわ。

花さんのコメントにも書きましたんで、
史実との違いはそちらで確認してください。
もう打てませんし、コピペ技もやりません。すみません。

墨俣城、前行った時は、ちゃんと駐車場があった気がしたのですが、
たぶん堤防の修復等で、それらしい場所に行けれなかったし、
雨がとにかくすごかったんで、しっかり探せなかったこともあります。
ちなみにナビには駐車場出ませんでした。
でもあったとしても、分かりにくいところにあったのかも?
田舎故、近くの堤防でも問題ありませんでしたよ。

かわいい中高生さん達は、海外暮らしの影響ですかね?
まっ、そこはしょうがないかと。
Naoさんも一緒に勉強、勉強。
戦国時代の日本史限定なら、解説しますよ(笑)。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。