人生の謎学

―― あるいは、瞑想と世界

日本の怨霊――井上内親王

2008-07-10 00:10:05 | 怨念と祟り
■井上内親王は光仁天皇の皇后であり、父は聖武天皇、母は県犬養広刀自です。光仁天皇の妃となり、酒人内親王を生み、七七〇年の光仁天皇即位により、五十歳を過ぎて立后しました。
称徳女帝の没後、右大臣吉備真備が天武天皇の血脈をひく文室浄三を皇太子として強く推挙したのに対して、藤原百川は左大臣藤原永手、参議藤原良継らと謀って、宣命の語を偽作してまで白壁王の立太子を強行しました。白壁王は 道鏡を下野薬師寺別当に左遷するなどして、即位した十月に宝亀と改元します。
その二年後、井上内親王は皇太子である息子の他戸親王の即位を願って、天皇を巫蠱・厭魅したと讒言され、このため廃后されてしまうのです。累は他戸親王にも及び、廃太子となった他戸は、井上の実子ではないという説もあります。七二二年、天皇の同母姉難波内親王が没したことが井上内親王の巫蠱と関連づけられ、他戸親王とともに大和国宇智郡に幽閉されます。そして一年半後の宝亀六年四月二十七日に、母子同時に没します。――毒殺説が有力であるとはいえ、自殺の可能性も云々されます。

事件の異常さのため、没後の早い時期からその祟りが恐れられ、井上が現身に竜となって(『愚管抄』)祟ったと信じられ、あるいは死後に、井上はその怨念によって蛇神に転生し、天変地異や疫病をもたらし、百川を呪殺した(『水鏡』)うえ、その周辺の人々にも祟りをなしたとされました。墓は改葬して山陵となり、山部親王(桓武天皇)は后位を追復して吉野皇太后と追称し、また神社や山陵に幣帛や読経の奉納が行われるなどしました。

〈日本の怨霊 井上内親王〉_1

〈日本の怨霊 井上内親王〉_2


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