朝礼での学び 「かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと」大田 堯氏より
本日のテーマ:「学問→教学→教育への転化=明治政府の対応」から
★著書より★
1. 「教育」という言葉が、法律の名として登場するのは、一八七九年(明治一二年)の「教育令」が最初。
2. 元田永孚 の起草といわれる「教学聖旨」(教学大旨)の公布。「学問」にかわって「教学」がとり上げられることになり、これが「教育勅語」に通底し、「教育」に対する人びとの一定通念として、一九四五年の敗戦に及ぶことになる。
3. これに先立つ文明開化時期には、一八七二年(明治五年)には「学制序文」(学事奨励に関する被仰出書 )が発布された。
4. この「学制序文」には「教育」という言葉はまったく用いられていない。「学問」ないし「学」が繰り返し用いられている。
5. その「学問は身を立てるの財本 とも言うべきものにして人たるもの誰 か学ばすして可ならんや」
6.士人 (さむらい)の身分以上のものの中には、学問のことを「国家の為にすると唱え、身を立てるの基 たるを知らず」
7. 福沢諭吉もまた、自ら、『学問のすすめ』を世に問い、学問を通じての一身の独立を軸に、国家の独立を説いた。
8. その後、「学問」は「教学」を介して「教育」へと転用されることになる。
9. 教育と学問との関係を制度上明らかにしたのは、初代文部大臣森有礼 である。
学問:勉学すること、学芸を修めること。
教学:教えることと学ぶこと、教育と学問。
教育:教え育てること。人を教えて知能をつけること。人間に他から意図を持って働きかけ、望ましい社会の姿に変化させ、価値を実現する活動。
■私の学び■
明治初期の「学問」は、自らが社会人として自立するために学ぶということと、国家の独立のために学ぶという、崇高な目的がありました。
現代では、「学ぶ」ということはほとんど意識されず、「教育」という言葉が漠然と存在しているように見受けられます。といいますのは、教育基本法が、具現化されているとは考えにくいからです。
旧教育基本法の一部を掲載します。
われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。
(教育の目的)
第1条 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
(教育の方針)
第2条 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。
改正教育基本法の一部を掲載します。
教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)の全部を改正する。
我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
ここに、我々は、日本国憲法 の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。
第一章 教育の目的及び理念
(教育の目的)
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
(教育の目標)
第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
(生涯学習の理念)
第三条 国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。
とあります。いかがでしょうか?
このようなことが、教育を通じて実現できているでしょうか?
意味すら取れないところがあるのが、本音ではないでしょうか?
一番重要なことは、社会をよくするために、自らが自主的に一生懸命学ぶことです。特に、仕事を通じて、知識だけではなく、他人と調和をして全体の質を上げていくことが、重要だと思います。
子どもたちにも、教育基本法が何のためにあるのか、そしてそれはなにを目指しているのか、ぐらいは親や教師そして経営者として教える義務があるのではないでしょうか。
教育基本法には、日本人が生きて暮らしをするなかで、人としてどうあるべきかが示されていると思います。せっかくよいものがあるのに、それが自由やお金やモノに価値を見出し、人間としての美しさが損なわれています。
私たちは、今一度、精神の美しさを取り戻す必要があるのではないでしょうか?
本日のテーマ:「学問→教学→教育への転化=明治政府の対応」から
★著書より★
1. 「教育」という言葉が、法律の名として登場するのは、一八七九年(明治一二年)の「教育令」が最初。
2. 元田
3. これに先立つ文明開化時期には、一八七二年(明治五年)には「学制序文」(学事奨励に関する
4. この「学制序文」には「教育」という言葉はまったく用いられていない。「学問」ないし「学」が繰り返し用いられている。
5. その「学問は身を立てるの
6.
7. 福沢諭吉もまた、自ら、『学問のすすめ』を世に問い、学問を通じての一身の独立を軸に、国家の独立を説いた。
8. その後、「学問」は「教学」を介して「教育」へと転用されることになる。
9. 教育と学問との関係を制度上明らかにしたのは、初代文部大臣森
学問:勉学すること、学芸を修めること。
教学:教えることと学ぶこと、教育と学問。
教育:教え育てること。人を教えて知能をつけること。人間に他から意図を持って働きかけ、望ましい社会の姿に変化させ、価値を実現する活動。
■私の学び■
明治初期の「学問」は、自らが社会人として自立するために学ぶということと、国家の独立のために学ぶという、崇高な目的がありました。
現代では、「学ぶ」ということはほとんど意識されず、「教育」という言葉が漠然と存在しているように見受けられます。といいますのは、教育基本法が、具現化されているとは考えにくいからです。
旧教育基本法の一部を掲載します。
われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。
(教育の目的)
第1条 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
(教育の方針)
第2条 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。
改正教育基本法の一部を掲載します。
教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)の全部を改正する。
我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
ここに、我々は、日本国憲法 の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。
第一章 教育の目的及び理念
(教育の目的)
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
(教育の目標)
第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
(生涯学習の理念)
第三条 国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。
とあります。いかがでしょうか?
このようなことが、教育を通じて実現できているでしょうか?
意味すら取れないところがあるのが、本音ではないでしょうか?
一番重要なことは、社会をよくするために、自らが自主的に一生懸命学ぶことです。特に、仕事を通じて、知識だけではなく、他人と調和をして全体の質を上げていくことが、重要だと思います。
子どもたちにも、教育基本法が何のためにあるのか、そしてそれはなにを目指しているのか、ぐらいは親や教師そして経営者として教える義務があるのではないでしょうか。
教育基本法には、日本人が生きて暮らしをするなかで、人としてどうあるべきかが示されていると思います。せっかくよいものがあるのに、それが自由やお金やモノに価値を見出し、人間としての美しさが損なわれています。
私たちは、今一度、精神の美しさを取り戻す必要があるのではないでしょうか?