
行船公園の紫陽花(東京都江戸川区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
どんな人にも得手不得手がありますが、たまたま「苦手なこと」がすごく簡単なことだったりする場合があります。
このことを理解すると、人に優しくなれると同時に、
人情として「この人をなんとか助けてあげよう」という気持ちがわき上がってくることがあります。
しかし、結論から言えば「助けを求めるまでは、そっと見守っていてあげる」のがベターな気がします。
少し考えてみましょう。
「苦手なことに挑戦する」というのは、言い換えれば「普通にやっても人並みにはこなせないことをやってみる」ということですよね。
つまり、人一倍やってやっと及ぶか及ばないか、ということにもなります。
ということは、苦手なことに挑戦しているという人は、
例外なく一生懸命に全力を尽くしているものです。
そうやって必死にやっている姿には、心を打たれる人も多い。
しかし、一生懸命であるがために、期待も過剰になりやすいのです。
「一生懸命でも人並みにはできない。しかし、人並みの人が期待する」というのですから、
期待が加熱すればするほど、「その人なりのペース」を越えてものを望んでしまうことになってしまうのです。
ひどい例だと、本人の力が及ばないことを勧めてしまう人までいます。
でも、本人には期待に応えるだけの力がない。
力があったら苦手意識なんか持つわけがありません。
そうなれば、「期待されればされるほど、やる気がなくなっていく」ということにもなりかねないわけです。
おわかりいただけたでしょうか!?
心の中で応援するのはよいことですが、
「これで成長してくれる」
「自分が教えたからうまくいく」
「応援したからには」と、こういう「出来映え」に目を向けるのは、
かえって苦手なことをますます嫌にさせてしまいやすいのです。
成果主義とでも言えばいいのでしょうか、こんな考えで応援されて、
果たして誰が喜ぶでしょうか!?
本当に応援しているなら、○でもペケでも「苦手なことをやったその姿勢」そのものに感動を覚えるものです。
できない人も、苦手なことを抱えている人も、
本人なりに幸せを願って本人なりに努力しているのです。
これ実は、「自分が苦手なことをする」という場合も、
「苦手なことをやっただけエライ」と、自分をねぎらえる考え方でもあるんです。
×でも○でも自分を応援できるなら、きっと挑戦する気も起こりやすくなるハズです。
好きなこと、得意なことだけして生きていられるなら、誰だってそうしています。
あるいは、「楽しいハズのもの」だって、
周りのみんなが楽しんでいても、自分は心が躍らないことだっていくつもあるもの。
そんな時に「実は苦手かもしれないけど、まあいいか」と思えれば、
少しは楽になるかもしれません。
楽になれば、やってみる気持ちもわくことがあります。
これを読んで、少しでも気が晴れる人がいれば幸いです。
一緒にがんばりましょうね。
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
どんな人にも得手不得手がありますが、たまたま「苦手なこと」がすごく簡単なことだったりする場合があります。
このことを理解すると、人に優しくなれると同時に、
人情として「この人をなんとか助けてあげよう」という気持ちがわき上がってくることがあります。
しかし、結論から言えば「助けを求めるまでは、そっと見守っていてあげる」のがベターな気がします。
少し考えてみましょう。
「苦手なことに挑戦する」というのは、言い換えれば「普通にやっても人並みにはこなせないことをやってみる」ということですよね。
つまり、人一倍やってやっと及ぶか及ばないか、ということにもなります。
ということは、苦手なことに挑戦しているという人は、
例外なく一生懸命に全力を尽くしているものです。
そうやって必死にやっている姿には、心を打たれる人も多い。
しかし、一生懸命であるがために、期待も過剰になりやすいのです。
「一生懸命でも人並みにはできない。しかし、人並みの人が期待する」というのですから、
期待が加熱すればするほど、「その人なりのペース」を越えてものを望んでしまうことになってしまうのです。
ひどい例だと、本人の力が及ばないことを勧めてしまう人までいます。
でも、本人には期待に応えるだけの力がない。
力があったら苦手意識なんか持つわけがありません。
そうなれば、「期待されればされるほど、やる気がなくなっていく」ということにもなりかねないわけです。
おわかりいただけたでしょうか!?
心の中で応援するのはよいことですが、
「これで成長してくれる」
「自分が教えたからうまくいく」
「応援したからには」と、こういう「出来映え」に目を向けるのは、
かえって苦手なことをますます嫌にさせてしまいやすいのです。
成果主義とでも言えばいいのでしょうか、こんな考えで応援されて、
果たして誰が喜ぶでしょうか!?
本当に応援しているなら、○でもペケでも「苦手なことをやったその姿勢」そのものに感動を覚えるものです。
できない人も、苦手なことを抱えている人も、
本人なりに幸せを願って本人なりに努力しているのです。
これ実は、「自分が苦手なことをする」という場合も、
「苦手なことをやっただけエライ」と、自分をねぎらえる考え方でもあるんです。
×でも○でも自分を応援できるなら、きっと挑戦する気も起こりやすくなるハズです。
好きなこと、得意なことだけして生きていられるなら、誰だってそうしています。
あるいは、「楽しいハズのもの」だって、
周りのみんなが楽しんでいても、自分は心が躍らないことだっていくつもあるもの。
そんな時に「実は苦手かもしれないけど、まあいいか」と思えれば、
少しは楽になるかもしれません。
楽になれば、やってみる気持ちもわくことがあります。
これを読んで、少しでも気が晴れる人がいれば幸いです。
一緒にがんばりましょうね。
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