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青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

信じるということ。

2012年10月19日 19時17分07秒 | 青裸々日記。
なでしこの花(東京都千代田区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 異論も多い話でしょうが、聞いてくださると嬉しいです。


 「見捨てられること」や「騙されること」を、異常に怖がる人がいます。

 それはそうですよね。
 自分はなんにも悪いことをしていないのに、見捨てられたり、騙されたりしては、
 たまったものではないと思います。
 罪もないのに、なんで傷つかなきゃいけないんだ!という気になるのも、よくわかります。


 でも。

 もし自分が人に気持ちを預けられた側になったとして、
 「私はこれまで人を騙したことがありません」とか、「人を見捨てたことがありません」と、皆さんは言い切れますか!?

 自分がウソをついただけ、人もウソをついているように見えるものです。
 それと同じように、「見捨てられるかもしれない」と人を疑うのは、
 「自分は人を見捨ててしまわないかな」と、心のどこかで思っている面もあるからではないでしょうか。
 自分が見捨てかねないから、相手がどんなに誠実な人でも、見捨てられるんじゃないかと妄想してしまうわけです。


 ということは。
 「見捨てられるんじゃないか」という不安を、「相手を信じる力」に変えていけば、
 自分がそれだけ強い気持ちを持てるんだから、相手だって同じような意思も持てる

 だから、人を信じてみようかなという心になる
 こんなことも、言えると思うのです。


 だから、まずは、「自分から」信じることで、結局は救われていくのです。


 ところで、「信じる」ことは、「待つ」ことでもあります
 結論がすぐに出たら、信じる瞬間もないでしょう。
 だから、「待つ」ということは、「信じる」ことにも繋がってくるわけです。

 「待つ」といっても、いろいろです。
 文字通り、物理的に人を待つ場合も、もちろんあるでしょう。
 あるいは、「本来の状態や調子、気持ちが戻るまで、相手に自由にさせてあげる」という場合だって、よくあることです。
 また、思いがけない顔が見られたとしても、それを相手の全てとは思わないことだって、
 「信じる」ことの中に入ります。
 そして、いずれも、ただ一点、信じる気持ちと待つ努力さえあれば、いくらでも出来ることなのです



 人を疑う前に、人を信じたい気持ちを強く持ちましょう
 自分から人を裏切る人は、人からも疑われ、結局、自分が裏切られる側に回るのです
 反対に、自分から信じていくことで、人のあるがままを信じられるようになる
 結果として、人に信じてもらえるだけの器ができるので、
 裏切られにくくもなるのです



 信じることは、人を尊重することです。
 もちろん、「信じちゃいけない人」がある程度いるのも事実ですが、
 それでも、出来る限り、どんどん人は信じたほうがいいのです。

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