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熱田神宮の梅(愛知県名古屋市熱田区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「釣った魚に餌はやらない」
こんな言葉、聞いたことはないでしょうか!?
雑誌や映画、音楽などで、華やかな「恋愛」がもてはやされる影で、
恋愛に関するトラブルが軽視されている節が、私は気になっています。
形は「恋愛」でも、心の歪みを抱えたまま人と付き合うと、冒頭の「釣った魚に餌はやらない」といった不幸やトラブルになりやすい。
つまり、「恋愛」の影に潜んでいるリスクを見落とすことが多いのです。
たとえば、恋人から散々という位に人格否定されても、「私にはこの人がいないと」としがみつき、心を病む人がいます。
一方、その「人格否定をする人」も、ひどい劣等感があり、恋人を傷つけることでなんとか心の均衡を保っている。
だからこれ、「恋愛関係」のみならず「心を病み合う関係」でもあるわけです。
そして、この関係に終止符が打たれる時は、お互いに疲弊し切る時ではないでしょうか。
そう、お互いに「幸せ」から離れているわけです。
最初だけチヤホヤして、あとは利用し合っているだけ。
こんな恋愛なら、しないほうがまだマシです。
こんな例は極端かもしれませんが、私が言いたいのは「いくら恋愛が素晴らしいと言っても、恋愛ならなんでもいいのか」ということ。
もちろん、そんなことはありませんよね。
これを踏まえて。
あくまで私の意見ではありますが、
恋愛というのは、責任を果たした人だけが楽しめるものではないかと思うのですね。
この「責任」とは、「お互いに相手を幸せにすること」です。
相手を傷つけたり、心から幸せを願わなかったり、我欲だけで二人の関係を考えたり。
あるいは、相手に過大な期待、ひどい場合は完璧を望み、
理想通りでないと激しく攻撃したり、陰口を言ったり。
こういうことをする人達は、まだ本気で恋愛をしているとは言えないのです。
言い換えれば、我欲に走るとか重い期待を背負わせるというのは、責任から逃げ出しているだけのことです。
我欲に走るのも、重い期待を背負わせるのも、結局は自分が勝手にやっているだけのことだからです。
チヤホヤされないと恋愛できないなんて、甘すぎです。
相手の幸せも考えられない人達には、同じように自分も幸せを味わえない、
ここがわからない限り、永遠に幸せな恋愛は無理です。
こういうようなこともわからずに恋愛を繰り返しても、結局は傷つけ合うだけで終わるのです。
だから、「恋愛は素晴らしいものです。どんどん恋愛しましょう」という、無条件に恋愛を勧めるような文句には、嫌気がさすのです。
「責任」という部分を無視して恋愛を勧めるなど、本当は不幸への案内と同じです。
甘い言葉や煽り文句に乗せられる理由など、どこにもないのです。
さて。
ここまであえて毒を吐いてきましたが、それも不幸を未然に防ぐためのもの。
重い話で終わらせるのも心が痛みますから、最後にちょっと希望の持てることをお話しします。
結論から言うと、どうせ恋愛するなら、「この人のために重い責任を背負うのなら本望だ」と言える人と付き合うことに限ります。
恋愛は枯らせるものではなく、咲かすもの。
お互いがお互いに責任を果たすなら、それこそが本当の幸せになるからです。
相手の幸せが自分の幸せになり、自分の幸せが相手の幸せになる。
つまり、責任を全うすれば、恋愛の本当のおもしろさがわかるのです。
「責任」というといかにも理屈っぽいのですが、
結局は「この人なら…」という気持ちの問題です。
心あたりのある皆さん、傷つけ合うだけの恋愛から、卒業してみませんか。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「釣った魚に餌はやらない」
こんな言葉、聞いたことはないでしょうか!?
雑誌や映画、音楽などで、華やかな「恋愛」がもてはやされる影で、
恋愛に関するトラブルが軽視されている節が、私は気になっています。
形は「恋愛」でも、心の歪みを抱えたまま人と付き合うと、冒頭の「釣った魚に餌はやらない」といった不幸やトラブルになりやすい。
つまり、「恋愛」の影に潜んでいるリスクを見落とすことが多いのです。
たとえば、恋人から散々という位に人格否定されても、「私にはこの人がいないと」としがみつき、心を病む人がいます。
一方、その「人格否定をする人」も、ひどい劣等感があり、恋人を傷つけることでなんとか心の均衡を保っている。
だからこれ、「恋愛関係」のみならず「心を病み合う関係」でもあるわけです。
そして、この関係に終止符が打たれる時は、お互いに疲弊し切る時ではないでしょうか。
そう、お互いに「幸せ」から離れているわけです。
最初だけチヤホヤして、あとは利用し合っているだけ。
こんな恋愛なら、しないほうがまだマシです。
こんな例は極端かもしれませんが、私が言いたいのは「いくら恋愛が素晴らしいと言っても、恋愛ならなんでもいいのか」ということ。
もちろん、そんなことはありませんよね。
これを踏まえて。
あくまで私の意見ではありますが、
恋愛というのは、責任を果たした人だけが楽しめるものではないかと思うのですね。
この「責任」とは、「お互いに相手を幸せにすること」です。
相手を傷つけたり、心から幸せを願わなかったり、我欲だけで二人の関係を考えたり。
あるいは、相手に過大な期待、ひどい場合は完璧を望み、
理想通りでないと激しく攻撃したり、陰口を言ったり。
こういうことをする人達は、まだ本気で恋愛をしているとは言えないのです。
言い換えれば、我欲に走るとか重い期待を背負わせるというのは、責任から逃げ出しているだけのことです。
我欲に走るのも、重い期待を背負わせるのも、結局は自分が勝手にやっているだけのことだからです。
チヤホヤされないと恋愛できないなんて、甘すぎです。
相手の幸せも考えられない人達には、同じように自分も幸せを味わえない、
ここがわからない限り、永遠に幸せな恋愛は無理です。
こういうようなこともわからずに恋愛を繰り返しても、結局は傷つけ合うだけで終わるのです。
だから、「恋愛は素晴らしいものです。どんどん恋愛しましょう」という、無条件に恋愛を勧めるような文句には、嫌気がさすのです。
「責任」という部分を無視して恋愛を勧めるなど、本当は不幸への案内と同じです。
甘い言葉や煽り文句に乗せられる理由など、どこにもないのです。
さて。
ここまであえて毒を吐いてきましたが、それも不幸を未然に防ぐためのもの。
重い話で終わらせるのも心が痛みますから、最後にちょっと希望の持てることをお話しします。
結論から言うと、どうせ恋愛するなら、「この人のために重い責任を背負うのなら本望だ」と言える人と付き合うことに限ります。
恋愛は枯らせるものではなく、咲かすもの。
お互いがお互いに責任を果たすなら、それこそが本当の幸せになるからです。
相手の幸せが自分の幸せになり、自分の幸せが相手の幸せになる。
つまり、責任を全うすれば、恋愛の本当のおもしろさがわかるのです。
「責任」というといかにも理屈っぽいのですが、
結局は「この人なら…」という気持ちの問題です。
心あたりのある皆さん、傷つけ合うだけの恋愛から、卒業してみませんか。
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