ヤマノミ(東京都品川区)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
寝起きの顔を不細工と言われても、
傷つく人はあまりいません。
しかし、「人のために」と思ってよい表情をしているのに不細工と言われれば、
明らかに寝起きの顔をとやかく言われるより、傷つく人は多いハズですよね。
それでは、寝起きでもないのに「不細工」と言われ続けたら、
当の本人は、どんな気持ちになるでしょうか!?
最初は抵抗もするし、反発もする。
しかし、不細工であるとどこかで認めてしまえば、
元の顔の如何に関わらず、顔を綺麗に見せる努力を放棄してしまうものです。
本来、どんなに顔の造りがよかったとしても、
周囲からの評価に疲れないためには、
「とりあえずそんな(負け組の)身分なんだ」と認める他はありません。
これが「負け癖」が出来る過程なのです。
☆、☆ ☆
レッテルやラベリングによって、
増長や萎縮をする人がいます。
一流と言われる学校や組織にいれば「自分は立派だ」と思い、
負け組と言われる地位に成り下がると「私はダメな奴だ」と卑下をする。
「なんと馬鹿な話」と、他人事のように思うのは間違えです。
端から見れば滑稽そのものですが、
「自分はそうではない」というのは、傲慢そのものです。
難関と言われるグループに入ったり認められたりすれば、
優越感に浸るのが、私達というものではないでしょうか。
本来の実力に関係なく、「勝ち組」や「負け組」とラベリングされる地位に慣れてしまうと、
自分の価値や実力を勘違いしてしまうのです。
勝ち組でいるうちは、まあ周りが評価してくれるので、そこそこの努力はするでしょう。
問題は、努力が奏功しなかった時。
たまたま報われたか報われなかったかで、自分の価値や実力をコロコロと変える、
こんな自己認識でいると、腐りやすい人間になるものです。
自分の努力に依存しないものに価値の判断を委ねていると、
結局、努力の価値をないがしろにしてしまい、
結果的に捨て鉢になってしまうからです。
もちろん、身の丈を知ることは大切です。
出来ることから一歩ずつ、というのも本当のこと。
しかし、「自分の価値は最終的に自分が決めてやるんだ」ていう気概の有無が、
一時的な不遇に負けるも勝つも決めるのです。
また、そんな気概があれば、
「人物本位」で人と相対し、レッテルのトリックに引っ掛かることもなくなります。
負け癖を持つも持たないも、個人の自由。
だからこそ、誰もが問われているのです。
「不遇に遭った時の態度」を。
こんにちは。
今日もありがとうございます。
寝起きの顔を不細工と言われても、
傷つく人はあまりいません。
しかし、「人のために」と思ってよい表情をしているのに不細工と言われれば、
明らかに寝起きの顔をとやかく言われるより、傷つく人は多いハズですよね。
それでは、寝起きでもないのに「不細工」と言われ続けたら、
当の本人は、どんな気持ちになるでしょうか!?
最初は抵抗もするし、反発もする。
しかし、不細工であるとどこかで認めてしまえば、
元の顔の如何に関わらず、顔を綺麗に見せる努力を放棄してしまうものです。
本来、どんなに顔の造りがよかったとしても、
周囲からの評価に疲れないためには、
「とりあえずそんな(負け組の)身分なんだ」と認める他はありません。
これが「負け癖」が出来る過程なのです。
☆、☆ ☆
レッテルやラベリングによって、
増長や萎縮をする人がいます。
一流と言われる学校や組織にいれば「自分は立派だ」と思い、
負け組と言われる地位に成り下がると「私はダメな奴だ」と卑下をする。
「なんと馬鹿な話」と、他人事のように思うのは間違えです。
端から見れば滑稽そのものですが、
「自分はそうではない」というのは、傲慢そのものです。
難関と言われるグループに入ったり認められたりすれば、
優越感に浸るのが、私達というものではないでしょうか。
本来の実力に関係なく、「勝ち組」や「負け組」とラベリングされる地位に慣れてしまうと、
自分の価値や実力を勘違いしてしまうのです。
勝ち組でいるうちは、まあ周りが評価してくれるので、そこそこの努力はするでしょう。
問題は、努力が奏功しなかった時。
たまたま報われたか報われなかったかで、自分の価値や実力をコロコロと変える、
こんな自己認識でいると、腐りやすい人間になるものです。
自分の努力に依存しないものに価値の判断を委ねていると、
結局、努力の価値をないがしろにしてしまい、
結果的に捨て鉢になってしまうからです。
もちろん、身の丈を知ることは大切です。
出来ることから一歩ずつ、というのも本当のこと。
しかし、「自分の価値は最終的に自分が決めてやるんだ」ていう気概の有無が、
一時的な不遇に負けるも勝つも決めるのです。
また、そんな気概があれば、
「人物本位」で人と相対し、レッテルのトリックに引っ掛かることもなくなります。
負け癖を持つも持たないも、個人の自由。
だからこそ、誰もが問われているのです。
「不遇に遭った時の態度」を。
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