
ムクゲの花(東京都三鷹市)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「着ていない服を、古着屋さんに売る」というとき。
「古着屋さんに売りに行く」のは、何も1回とは決まっていませんよね。
季節や気候が変わるたびに、着なさそうな服をちょいちょい見つけて、ちょいちょい売っていればいいわけです。
もし、大量に売りたい服があるとしても、そんな多くの服を、1日とか1回とかで全部売りに出したら、
手間も労力もかかってしかたがありませんよね。
「何かをしたいけど、腰が重い」という皆さん。
たいていの場合、「何かを(一気にとか完璧に)やりたい」と思っているほど、
人間、腰が重くなってしまう生き物なのですね(笑)
そしてまた、私達が行動や動作をする時は、必ず「一気」とか「完全」を意識しがちだったりします。
たとえば、
「走る」と聞くと→「走り切る」
「使う」→「フル活用する」
「付き合う」→「四六時中ベッタリする」
こんなニュアンスで考えたりはしないでしょうか!?
そうなんす。
だから、「ちょいちょい始めればいいこと」も、「一気に終わらせるべき!」と、
知らず知らずのうちに自分にプレッシャーをかけてしまいがちになるんです。
気持ちとは裏腹に、自分から達成と遠い方向へ向かってしまうのです。
「やりたいことができない」とか、「理想が遠すぎる」という皆さん。
「なかなか踏み出せない」という、臆病な気持ちが出たら、
そんな自分を許してやって下さい。
「なかなか踏み出せない」のは、「一気には片付かないくらい、目標が高い」からにほかならないからです。
一気に片付かかないから、結果を待たなければならないし、だからこそ、怖くて当たり前なんです。
「完璧じゃなきゃ怖い」という皆さん。
「テキトー」でいいんです。
テキトーでいいじゃないですか。
テキトーを補うものが、先にあるかもしれませんよ。
「物事の重要な2割を押さえれば、8割は解決する」という言葉もあります。
骨組みだけでもおおざっぱにできていれば、そこから始められます。
なんだか熱っぽく語ってしまいましたが、この「ちょいちょい始めればいいこと」の手前で立ち止まってしまうこと、
私達の癖というか、習性なんですね。
こうやって書いている私も、思い当たる節が、あるんです。
「行動は一気にするもの」と考えがちな半面、「テキトーに、小出しにする」という視点は、案外、盲点になりがちなんです。
何をするにしても、一気に、完璧にできなかったとして、それの何が悪いのでしょうか!?
「一気や完璧が無理だから」と、0の地点で止まってしまうほうが苦しくなることも、少なくありません。
出来がいいに越したことはありませんが、
どんなに「完璧」なものも、/U>完璧に完成されるまで過程は一筋縄ではいかないし、
むしろ、不完全な中での地道な積み重ねで完璧になることがほとんどです。
一気にやると、気持ちがいい。
でも、小出しでやっても、ジワジワと達成感が味わえる楽しみがありますよ。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「着ていない服を、古着屋さんに売る」というとき。
「古着屋さんに売りに行く」のは、何も1回とは決まっていませんよね。
季節や気候が変わるたびに、着なさそうな服をちょいちょい見つけて、ちょいちょい売っていればいいわけです。
もし、大量に売りたい服があるとしても、そんな多くの服を、1日とか1回とかで全部売りに出したら、
手間も労力もかかってしかたがありませんよね。
「何かをしたいけど、腰が重い」という皆さん。
たいていの場合、「何かを(一気にとか完璧に)やりたい」と思っているほど、
人間、腰が重くなってしまう生き物なのですね(笑)
そしてまた、私達が行動や動作をする時は、必ず「一気」とか「完全」を意識しがちだったりします。
たとえば、
「走る」と聞くと→「走り切る」
「使う」→「フル活用する」
「付き合う」→「四六時中ベッタリする」
こんなニュアンスで考えたりはしないでしょうか!?
そうなんす。
だから、「ちょいちょい始めればいいこと」も、「一気に終わらせるべき!」と、
知らず知らずのうちに自分にプレッシャーをかけてしまいがちになるんです。
気持ちとは裏腹に、自分から達成と遠い方向へ向かってしまうのです。
「やりたいことができない」とか、「理想が遠すぎる」という皆さん。
「なかなか踏み出せない」という、臆病な気持ちが出たら、
そんな自分を許してやって下さい。
「なかなか踏み出せない」のは、「一気には片付かないくらい、目標が高い」からにほかならないからです。
一気に片付かかないから、結果を待たなければならないし、だからこそ、怖くて当たり前なんです。
「完璧じゃなきゃ怖い」という皆さん。
「テキトー」でいいんです。
テキトーでいいじゃないですか。
テキトーを補うものが、先にあるかもしれませんよ。
「物事の重要な2割を押さえれば、8割は解決する」という言葉もあります。
骨組みだけでもおおざっぱにできていれば、そこから始められます。
なんだか熱っぽく語ってしまいましたが、この「ちょいちょい始めればいいこと」の手前で立ち止まってしまうこと、
私達の癖というか、習性なんですね。
こうやって書いている私も、思い当たる節が、あるんです。
「行動は一気にするもの」と考えがちな半面、「テキトーに、小出しにする」という視点は、案外、盲点になりがちなんです。
何をするにしても、一気に、完璧にできなかったとして、それの何が悪いのでしょうか!?
「一気や完璧が無理だから」と、0の地点で止まってしまうほうが苦しくなることも、少なくありません。
出来がいいに越したことはありませんが、
どんなに「完璧」なものも、/U>完璧に完成されるまで過程は一筋縄ではいかないし、
むしろ、不完全な中での地道な積み重ねで完璧になることがほとんどです。
一気にやると、気持ちがいい。
でも、小出しでやっても、ジワジワと達成感が味わえる楽しみがありますよ。
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