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岩井海水浴場(千葉県南房総市)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
言うまでもなく、いくつも記事を投稿しているように、
私はこうやってブログを楽しんでいますが、
たまにブログを書くのが怖くなる時があります。
こうやって人間心理や恋愛論、自分の信念を語っていると、
必ず矛盾やボロ、さらには「付け込む人」が出て来るわけです。
なによりも、「この記事は自分に宛てた記事なんじゃないか!?」みたいに傷つく人がいたら、
もう本当に申し訳ない気持ちになるんです。
ちなみに最近、どこかで書いた気がするんですが、
ここで「特定の誰かの悪行を念頭に書く」場合、
それはストレス発散のために書いたり、
「そかそか、辛かったんだねえ、よしよしよいコだねえ」などと構ってもらいたいから…ではありません。
届くかどうかはさておいて、
本人に悔い改めてもらうために、心で涙を流しながら書いているんですね。
あとはまあ、自分に腹が立った場合、それを戒める目的で厳しい記事を書いたりもします。
…と、「男らしくねえぞ!」とかケチがつけられそうな言い訳を書き連ねてきたわけです(笑)
でも、これは偽らざる私の気持ちですし、
なによりも、どうしても前置きが欲しかったんです。
ブログに限らず、人と交わるということは、
沢山の地雷を巻くことになりかねないというか、言い換えれば、必ずリスクが発生するわけです。
不用意な発言が人に深い傷を与えたり、
相手を思ってした行為が裏目に出たり、
「してほしいこと」を読み違えてしまったり。
あるいは、「口約」が「公約」になって後から追求されたり、
「自分の長所」がたいして役に立っていなかったり。
つまり、正が負になる危険やリスク、
これがどこまでも付き纏うのが、
「人間関係」というもののです。
しかし。
たとえば怪我をした人がいたとして、
「どうせお節介になるから」と無視を決め込むことも、
あるいは素直になって、その人に優しく手を差し延べることも、
どちらの選択肢も、相手の気持ちを考えている点では正解です。
しかし、「どちらがより相手のためになるか!?」という場合、
それは当然、手を差し延べてあげるほうが、
より相手の身や心に響くものですよね。
このように、人と人が関わるということは、
いくらリスクが付き纏うと言えど、
自分が持てる力を出すことで、助かったり幸せになってくれる人だって、
どこかにいることはあるのです。
私達人間というのは、
100%の悪玉、100%の善玉であるということはありません。
だからこそ、
自分の価値が生きないハズはないと自分を押し売りする、
卑下して力を持てる価値を発揮しにいかない、
どちらに偏るのも違います。
どちらも正解にも間違えにもなりえるのが、本当のところではないでしょうか。
しかも、「TPOによって、その基準が移ろい、変わっていく」というのがまた、現実なのです。
私が言いたいのは、「この事実を受け入れましょう」ということ。
押し売りや尻込みが間違えだどうだというのではなく、
「人間心理の正解は変わっていく」ということを、
ただただ、頭に入れておくこと。
そして、愛情や良心を持って、自分なりのベストを尽くし続けること。
このことを知っていれば、
たとえ自分のとった行為が間違えであった時も、
いちはやくリカバリーに回れると思うのです。
そう、エラーが防げないのなら、「リカバリー」が大切になってくるのです。
このことを心に刻める人が、すなわち「人の気持ちがわかる、器の大きい人」と言うのではないでしょうか。
ちなみに。
ブログの話に戻りますが、
書いていくと当然、誰かの地雷を踏んでしまう可能性は否めません。
でもその一方で、待っている人がいるのかもしれない、
確信はありませんが、
こういう人だって、どこかにいるのかもしれません。
それを信じて、これからも更新を続けていこうと思います。
こんにちは。
今日もありがとうございます。
言うまでもなく、いくつも記事を投稿しているように、
私はこうやってブログを楽しんでいますが、
たまにブログを書くのが怖くなる時があります。
こうやって人間心理や恋愛論、自分の信念を語っていると、
必ず矛盾やボロ、さらには「付け込む人」が出て来るわけです。
なによりも、「この記事は自分に宛てた記事なんじゃないか!?」みたいに傷つく人がいたら、
もう本当に申し訳ない気持ちになるんです。
ちなみに最近、どこかで書いた気がするんですが、
ここで「特定の誰かの悪行を念頭に書く」場合、
それはストレス発散のために書いたり、
「そかそか、辛かったんだねえ、よしよしよいコだねえ」などと構ってもらいたいから…ではありません。
届くかどうかはさておいて、
本人に悔い改めてもらうために、心で涙を流しながら書いているんですね。
あとはまあ、自分に腹が立った場合、それを戒める目的で厳しい記事を書いたりもします。
…と、「男らしくねえぞ!」とかケチがつけられそうな言い訳を書き連ねてきたわけです(笑)
でも、これは偽らざる私の気持ちですし、
なによりも、どうしても前置きが欲しかったんです。
ブログに限らず、人と交わるということは、
沢山の地雷を巻くことになりかねないというか、言い換えれば、必ずリスクが発生するわけです。
不用意な発言が人に深い傷を与えたり、
相手を思ってした行為が裏目に出たり、
「してほしいこと」を読み違えてしまったり。
あるいは、「口約」が「公約」になって後から追求されたり、
「自分の長所」がたいして役に立っていなかったり。
つまり、正が負になる危険やリスク、
これがどこまでも付き纏うのが、
「人間関係」というもののです。
しかし。
たとえば怪我をした人がいたとして、
「どうせお節介になるから」と無視を決め込むことも、
あるいは素直になって、その人に優しく手を差し延べることも、
どちらの選択肢も、相手の気持ちを考えている点では正解です。
しかし、「どちらがより相手のためになるか!?」という場合、
それは当然、手を差し延べてあげるほうが、
より相手の身や心に響くものですよね。
このように、人と人が関わるということは、
いくらリスクが付き纏うと言えど、
自分が持てる力を出すことで、助かったり幸せになってくれる人だって、
どこかにいることはあるのです。
私達人間というのは、
100%の悪玉、100%の善玉であるということはありません。
だからこそ、
自分の価値が生きないハズはないと自分を押し売りする、
卑下して力を持てる価値を発揮しにいかない、
どちらに偏るのも違います。
どちらも正解にも間違えにもなりえるのが、本当のところではないでしょうか。
しかも、「TPOによって、その基準が移ろい、変わっていく」というのがまた、現実なのです。
私が言いたいのは、「この事実を受け入れましょう」ということ。
押し売りや尻込みが間違えだどうだというのではなく、
「人間心理の正解は変わっていく」ということを、
ただただ、頭に入れておくこと。
そして、愛情や良心を持って、自分なりのベストを尽くし続けること。
このことを知っていれば、
たとえ自分のとった行為が間違えであった時も、
いちはやくリカバリーに回れると思うのです。
そう、エラーが防げないのなら、「リカバリー」が大切になってくるのです。
このことを心に刻める人が、すなわち「人の気持ちがわかる、器の大きい人」と言うのではないでしょうか。
ちなみに。
ブログの話に戻りますが、
書いていくと当然、誰かの地雷を踏んでしまう可能性は否めません。
でもその一方で、待っている人がいるのかもしれない、
確信はありませんが、
こういう人だって、どこかにいるのかもしれません。
それを信じて、これからも更新を続けていこうと思います。
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