後楽園から(東京都文京区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
基本的に、「手加減」という構え方は、褒められたものではありません。
大切なこと、大事にしたい人に対して、誠意や気持ち、実力を出し惜しみするなんて、
とんでもないことですよね。
しかし。
「手加減」のひとつも出来ないような人も、やっぱり褒められたものではありません。
いきなり話をひっくり返して、すいません。
でも、「手加減を出来たほうがいい」理由があるのです。
まず、一人前かどうかは、最高の力がどれくらいか…というだけでなく、
自分の力の出し方をコントロール出来るかどうかに依る部分が大きいのです。
クルマで言うと、いくら時速300kmで走れるからといって、
「0か300か」しか速度が選べないなら、それは「速いクルマ」かもしれませんが、「いいクルマ」とは言えませんよね。
速さや快適性を、ニーズに合うようにきめ細やかに運転できて、
はじめて「いいクルマだね」と言われるようになるわけです。
つまり、自分をコントロールする力、手加減する力もまた、実力のうちになるのです。
結局、相手のニーズを大切にする力、相手を思いやる気持ちが肝要なのです。
全力を尽くしたほうがいいことが場合が多いのは、間違いないかもしれない。
でも、相手が欲しがっているものは、そんなにキッチリカツカツなものばかりなのかということを、考えたことはありますか!?
たとえば、気軽に軽食で済ませたい人に、わざわざ腕によりを込めて食事を振る舞うことが、果たして本当に最高の思いやりになるのかといえば、
必ずしも、そうではないですよね。
緩くやりたい人に、礼儀が大事だからと固く構えてしまうと、
かえって溝ができたりしますよね(笑)
…というように、そんなこと、本当は誰だってわかっていることだとは思うんです。
「手心」というのは、「手に心を込める」ということ、
つまり、「大切に思う心を、手の動きや力の入れ方にたくす」ということを言うのではないでしょうか。
ただ単に力に任せるのではなく、相手が求めているやり方や強さに合わせてあげる、
このことこそが、手心を加える意義です。
全力でぶつかるのではなく、全力でぶつかり方を考えるから、人を幸せにできるのです。
手加減が上手い人は、全力の出し方が上手い人。
たまには緩めるやり方を考えるのも、悪くはないと思うのです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
基本的に、「手加減」という構え方は、褒められたものではありません。
大切なこと、大事にしたい人に対して、誠意や気持ち、実力を出し惜しみするなんて、
とんでもないことですよね。
しかし。
「手加減」のひとつも出来ないような人も、やっぱり褒められたものではありません。
いきなり話をひっくり返して、すいません。
でも、「手加減を出来たほうがいい」理由があるのです。
まず、一人前かどうかは、最高の力がどれくらいか…というだけでなく、
自分の力の出し方をコントロール出来るかどうかに依る部分が大きいのです。
クルマで言うと、いくら時速300kmで走れるからといって、
「0か300か」しか速度が選べないなら、それは「速いクルマ」かもしれませんが、「いいクルマ」とは言えませんよね。
速さや快適性を、ニーズに合うようにきめ細やかに運転できて、
はじめて「いいクルマだね」と言われるようになるわけです。
つまり、自分をコントロールする力、手加減する力もまた、実力のうちになるのです。
結局、相手のニーズを大切にする力、相手を思いやる気持ちが肝要なのです。
全力を尽くしたほうがいいことが場合が多いのは、間違いないかもしれない。
でも、相手が欲しがっているものは、そんなにキッチリカツカツなものばかりなのかということを、考えたことはありますか!?
たとえば、気軽に軽食で済ませたい人に、わざわざ腕によりを込めて食事を振る舞うことが、果たして本当に最高の思いやりになるのかといえば、
必ずしも、そうではないですよね。
緩くやりたい人に、礼儀が大事だからと固く構えてしまうと、
かえって溝ができたりしますよね(笑)
…というように、そんなこと、本当は誰だってわかっていることだとは思うんです。
「手心」というのは、「手に心を込める」ということ、
つまり、「大切に思う心を、手の動きや力の入れ方にたくす」ということを言うのではないでしょうか。
ただ単に力に任せるのではなく、相手が求めているやり方や強さに合わせてあげる、
このことこそが、手心を加える意義です。
全力でぶつかるのではなく、全力でぶつかり方を考えるから、人を幸せにできるのです。
手加減が上手い人は、全力の出し方が上手い人。
たまには緩めるやり方を考えるのも、悪くはないと思うのです。