青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

いい湯だな

2011年02月24日 23時47分43秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 久しぶりに、近所のスーパー銭湯に行ってきました。
 普段よく行っている所には及ばないのですが、
 湯舟に浸かり、リラックス出来ました。


 そういえば、地元のスーパー銭湯なんて3か月ぶり位だあ。
 なんか懐かしいような気がしたわけです(笑)

螺旋階段。

2011年02月24日 19時40分35秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 前の投稿で「わかりやすく言えなきゃダメなんだよ!!」と書いていますが、
 うーん、一年前の投稿を読むにつけ、実感させられたりもします。

 書いている人間の哲学が同じ以上、
 ・自慢話やひけらかしはみっともないからやめよう
 ・無理な前向きさは、実はポジティブでもなんでもない
 ・恋愛に酔うと人を傷つけることも多くなるから、そこは気をつけて
 …など、話の展開や結論が似てきてしまうことがあります。
 しかし、一年前の私の話を読んでいると、同じような内容でも、幼稚でむず痒くなることがあるんです。

 ただまあ、逆に考えれば、「一年前のレベル」と「現在のレベル」が同じなら、
 それはそれで、成長しているか疑わしいと思うんですね。
 「昔もよかったかもしれないが、現在はもっと良い」と言えてはじめて、
 完成度の高いブログになってくると思うんです。


 このブログは熱心に読んで下さる方が多いのか、
 その証拠にPV数が爆発する日があって、
 そういう方がいらっしゃると思えばこそ、こういう話もしなきゃなあ、と思って。


 付き合うのが疲れるような投稿にもめげずに一生懸命読んで下さる皆さんに、
 心から感謝しています。

わかりやすさ。

2011年02月24日 17時23分57秒 | 青裸々日記。
池上梅園の梅(東京都大田区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 とっつきにくい言葉が多く、難しい話。
 日常会話とは掛け離れた言葉が使われている話。
 眠気を誘発したいのか!?と言いたくなるような話。

 「良薬、口に苦し」と言えど、
 こういう苦さは願い下げですよね。


 基本的に、「難しい話」とは、「伝わりにくい話」の代名詞だったりします。
 話は伝わりにくければ意味がありません。
 したがって、話をするだけで満足するのか、
 相手にしっかりと伝わって、なんらかの力になったり、心を打ってはじめて話をした意味を認めるのか、
 このどちらかで、わかりやすく話をする必要性が、断然違ってくるのです。


 たとえば、料理は初心者だという人に、作り方を教える時。
 「この玉ねぎを細かくスライスして、あのブラックペッパーを…」と言うか、
 「この玉ねぎを細かく切って、あの水色の瓶に入っている調味料を…」と言うか、
 このどちらだと理解してくれるかなんて、
 もはや言うまでもないと思うんですね。


 実は。

 人にものを説明する時に「わかりやすい言葉」で語れないという場合、
 本人も「自分が説明したいこと」を理解できていないことが、えてして多いのです。
 もちろん、「体で覚えた」とか「言葉よりニュアンスで伝えたい」ということは、
 あるにはあるでしょう。
 しかし、話を頭に入れてもらうことを考えれば、「かみ砕いて言える」に越したことはないのです。
 こういうわけで、人にものを言う場合、
 「まずは自分がしっかりと理解していること」が大切になるわけです。

 逆に言えば、わざとらしい位に難しい話をしてくる人など、
 無理に相手にする必要はないのです。
 話を理解しようとする優しさや積極性は素晴らしいし、褒められる態度に違いはないのですが、
 そもそも説明をする当の本人がわかっていないのであれば、
 結局、話の末に身になることは、なにもないのではないでしょうか。


 私はなにも、「自分の意思や信念、精通していることを全てわかりやすく説明すべき」と言いたいのではありません。
 しかし、前もって「なんか話さなきゃマズそうだぞ」とか、
 「これは教えてあげたほうが良さそうだ」ということがわかっている場合、
 あらかじめ「復習」しておいたり、より簡単な言葉に置き換えて話ができないか、
 自分の言いたいことをしっかりなぞってみる必要があります。

 いくら心が通じ合っていても、
 人間の主なコミュニケーションの手段が言語である以上、
 「言葉の力」は無視できません。

 私もたまに不器用な言葉の使い方をしてしまいますが、
 上手く通じない場合ほど、「やっぱり言葉はわかりやすいほうが良いな」と思うのです。

春牡丹が楽しみです

2011年02月24日 11時53分27秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 春になるとソメイヨシノが咲きますが、
 牡丹も楽しみなんですよねえ。
 実はあんまり撮ってまわれなかったので、
 あのダイナミックな花びらをまた撮ってみたいな、なーんて思っています。

 「写真好き=かなりの確率でお花が好き」といわれてますが、
 なんか本当にそんな気がします。

ごぜんさま

2011年02月24日 00時15分53秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 所用と野暮用で、てっぺんを回ってしまいました(笑)
 ちょっとブックオフで探したい本があったんですが、
 うーん、勢いで寄らずに大人しくブログを書いておけばよかったです。

 とりあえず、また例によってボロボロの手をどうにかします。
 おやすみなさい。

器量のそだてかた。

2011年02月24日 00時08分41秒 | 青裸々日記。
池上梅園の梅(東京都大田区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 「あの人は器が大きい」
 「さすがだ、〇〇さんは器量がある」

 誰しも一度は言われてみたい言葉ですよね。
 この「器」や「器量」というのはよく使われる言葉ですが、ここでおさらいしておきましょう。
 「器が大きい」というのは、要は「余裕を持って、相手のすることに寛大に対処をする」ということです。
 相手がどんな手で来ようと、あるいは過ちを犯そうと、
 それを許したり、受け止たり、受け流せるのであれば、
 相手は安心して接してくれるし、打ち解けてくれやすくもなるわけです。


 さて。

 「器量」というのは人と上手く付き合うための強力なツールには違いありませんが、自分がどちらの側になるかで、「器量」の意味合いが全く違うものになってさまいまし。

 人間関係を築き上げる場合、どちらかが「器量」を提供する側を引き受けなければ、
 基本的に上手くいかないんですね。
 なぜなら、人には個性というものがありますから、
 たとえどんなに仲が良くても、意見が分かれることはたくさんあるからです。
 そこで、相手の意思を受け止める余裕、つまり器量があればこそ、
 摩擦や衝突を避けることが出来るわけです。

 さて、意見が分かれた瞬間、自分の態度が試されるのです。

 「これくらいなら許してくれるだろう」
 「きっとわかってくれるハズだ」
 …と、相手に対してなんの配慮もなく、甘えた態度丸出しで接したら、
 どんな空気になってしまうでしょうか!?
 そう、かなりの確率で、険悪になること請け合いです。
 「甘える側」を逆にした場合も同じです。
 意見が分かれた時、無遠慮に言いたいことを相手に言われたら、
 きっと我慢ならなくなる時が来てしまうハズですよね。


 こういうわけで、「器量なんていうものは、相手に求めるものではない」ということが、
 おわかりいただけると思うんです。
 あるいは、「相手に器量を求めない心が器量を産む」とも、言えると思うんです。


 ただし、我慢は禁物です。
 せっかくの関係を築き上げたい相手、幸せになってほしい相手だからこそ、
 積極的に「器量」を引き受ける、あるいは発揮することが大切になってくるし、
 また喜んで「器の大きい人」になれる
のです。
 こちらに対して、譲れないことを平気で貶める人や、
 全く理解や歩み寄りの態度がない人、
 こういう人に、遠慮は要りません。


 要は、「器を大きくしたい」にしても、
 ただ無目的に漫然と我慢を重ねるだけでは、
 誰も幸せにならないのです。


 器を大きくすること。
 その器の大きさで、どんな人に幸せになってもらいたいかを漠然とでも考えてみること。

 この2つがあって、器量はメキメキとついてきます。
 これが分かれば、少しは楽になる関係もあるのではないでしょうか!?

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