青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

つくづく癒されますね

2011年02月09日 23時34分31秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 先日ご紹介した、友達からの誕生日プレゼント。
 部屋をわざと暗くしてイルミネーションの写真をボーッと見ていると、
 とても癒されるんです。

 ホントにありがたいものをいただいたものですヾ(*^▽^*)o

フェルトのパーカー

2011年02月09日 21時52分25秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 昨日、ようやく見つけました。
 前々から保温性に優れたフェルトのパーカーが欲しかったのですが、
 まさか近所のスーパーで売っていたとは…

 見た目はそんなによくないのでコートの中に着込む感じなのですが、
 ありがたいことに、着ていてホントにあったかいですヾ(*^▽^*)o
 まだまだ寒い時期、お世話になろうと思います。

「どうせ自分なんて」。

2011年02月09日 20時37分14秒 | 青裸々日記。
亀戸天満宮の梅(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 「結局、自分にはよいことが…」
 「どうせこんな自分なんか…」
 こんな弱音を吐いている人を見て、よい気分になる人はいません。
 そしてまた、人が離れていきますから、
 結果として「どうせ…」という人は、本当にろくでもない現実を実現してしまうのです。



 おしまい。


 …って、嘘ですよ、嘘(笑)
 ここからがメインのお話です。

 「弱音を吐くな」
 「泣き言を聞きたくないのではやめて下さい」
 こんなことを簡単です。
 しかし、わざわざ必要が不愉快になり、去っていく言葉を吐くきらいはありません。
 そんな嫌なこと、本人だって本当は言いたくて言っているのではないハズです。
 そのへんをきちんとわきまえていないと、
 励ましどころかかえって前向きさを奪い、逆効果なってしまうのです。


 さて。

 なんでもそうですが、物事には因果というものがあります。
 あたかも自分を見捨て、あきらめるような台詞を言うのも、
 それなりの理由があってのこと。
 本人なりに破れかぶれで頑張って、でも力尽きてしまったり、
 あるいは無限の無価値感や罪悪感に心が支配されてしまったり、
 ネガティブの度が過ぎてしまったり。
 できれば元気でいられることを言っていればよいのに、それをしない。
 つまり、「重たいことを言うのにも、みんなそれなりの理由があって出てきている」と考えるのが自然です。


 ところで皆さん、生ゴミを見て、「どうにかしてこれを食べられるようにしよう」と、
 普通は思いませんよね。
 ゴミになった姿を見て、残念とも思わないでしょう。
 それと同じように、わざわざ「どうせ自分なんて…」と繰り返すのは、
 無意識では「本当は自分も価値がある」とわかっているから
なんです。
 本当にダメで無価値だったら、生ゴミと同様、あきらめるのも厭わないハズですし、
 そもそも自分のことを考えようとも思いませんよね。
 それを悔しいとか惜しいと思えるのは、
 潜在的に自分の価値をわかっているからに他ならないのです。


 生きていれば、挫折もあれば、限界を見ることもあります。
 しかし覚えておきたいのは、人間は「七転び八起き」の生き物だということ。
 転んでからすぐに立ち上がるのは、もしかしたらツラいかもしれない。
 でも、休み休みでも、立ち上がる限り可能性が再生するのもまた、事実です。

 「苦しいけど本当は自分を捨てたくない」。
 泣き言の中もこんな自覚ができた時、
 きっと立ち上がれていると思うのです。

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