勝浦中央海水浴場(千葉県勝浦市)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
不運と幸運。
なんで交互にやってくるのでしょうか?
私は最近、「波の満ち引き理論」で、
この説明がつくのでは!?と考えています。
どうゆうことかと言うと…、
ツキがあることが続くと、
ちょっとやそっとの「ツキ」では嬉しいと思えなくなり、
やがては感覚が麻痺して「ツキ」そのものすら感じなくなる
→「ツキに見放されたこと」が目につきやすくなり、
アンラッキーモードへ。
…で、こんどは、です。
ツキがないことが続くと、
ちょっとやそっとの「ツキのなさ」ではガッカリしなくなり、
やがては感覚が麻痺して「ツキのなさ」そのものすら感じなくなる
→「ツキ」が目につきやすくなり、
ラッキーモードへ。
例えるなら、道端で100円を拾ったらラッキーですが、
それが毎日ずっと続くなら、
逆にうすら寒いし、たまたま拾わなかった日ですらアンラッキーだと思うようになってしまう、
こんな具合です。
だから、アンラッキーだと思う皆さん。
意識的に、ラッキーなことを探してみて下さい。
ラッキーなことを感じやすくなっているからです。
私も御神籤で「大吉」を引いて嬉しくもありがたくも感じたりするのは、
やはりツキに見放されがちなときです。
なにかのヒントになれば幸いです。
こんにちは。
今日もありがとうございます。
不運と幸運。
なんで交互にやってくるのでしょうか?
私は最近、「波の満ち引き理論」で、
この説明がつくのでは!?と考えています。
どうゆうことかと言うと…、
ツキがあることが続くと、
ちょっとやそっとの「ツキ」では嬉しいと思えなくなり、
やがては感覚が麻痺して「ツキ」そのものすら感じなくなる
→「ツキに見放されたこと」が目につきやすくなり、
アンラッキーモードへ。
…で、こんどは、です。
ツキがないことが続くと、
ちょっとやそっとの「ツキのなさ」ではガッカリしなくなり、
やがては感覚が麻痺して「ツキのなさ」そのものすら感じなくなる
→「ツキ」が目につきやすくなり、
ラッキーモードへ。
例えるなら、道端で100円を拾ったらラッキーですが、
それが毎日ずっと続くなら、
逆にうすら寒いし、たまたま拾わなかった日ですらアンラッキーだと思うようになってしまう、
こんな具合です。
だから、アンラッキーだと思う皆さん。
意識的に、ラッキーなことを探してみて下さい。
ラッキーなことを感じやすくなっているからです。
私も御神籤で「大吉」を引いて嬉しくもありがたくも感じたりするのは、
やはりツキに見放されがちなときです。
なにかのヒントになれば幸いです。
環状8号線より(東京都大田区)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
突然の方針転換。
いきなり作戦やポリシーを変える、
あるいは180°ガラッと正反対にすること。
これを「朝令暮改」といいます。
なにも国語や故事成語のお勉強をしましょう、という訳ではありません。
お勉強すべきは、むしろ自分についてです。
自分は「〇〇でいく!」という表の形は二の次。
最終的に達成したいこと、守りたいもの、
これらがブレていないかかを、
点検してみませんか?ということです。
例えば、カップルの喧嘩。
前にああ言ったこう言った、
言い争いに勝った負けた、
こんなことが優先になってしまうことが多いです。
でも、最も大切なことは、
よい関係を続けていくことですよね。
わかりやすい例をあげましたが、
「やっぱりああだ」、
「いや、こうかもしれない」、
こんな風に右往左往することをどうこう思ったとき。
周りをめちゃくちゃに振り回すのはよくないと思いますが、
多少の「朝令暮改」は誰にでもあることだ、と思ってもよいと思います。
むしろ、それよりも最終的な目的がどうなっているのかを考える必要がある、と思いませんか?
私も幸せについて、考えてみたいと思います。
こんにちは。
今日もありがとうございます。
突然の方針転換。
いきなり作戦やポリシーを変える、
あるいは180°ガラッと正反対にすること。
これを「朝令暮改」といいます。
なにも国語や故事成語のお勉強をしましょう、という訳ではありません。
お勉強すべきは、むしろ自分についてです。
自分は「〇〇でいく!」という表の形は二の次。
最終的に達成したいこと、守りたいもの、
これらがブレていないかかを、
点検してみませんか?ということです。
例えば、カップルの喧嘩。
前にああ言ったこう言った、
言い争いに勝った負けた、
こんなことが優先になってしまうことが多いです。
でも、最も大切なことは、
よい関係を続けていくことですよね。
わかりやすい例をあげましたが、
「やっぱりああだ」、
「いや、こうかもしれない」、
こんな風に右往左往することをどうこう思ったとき。
周りをめちゃくちゃに振り回すのはよくないと思いますが、
多少の「朝令暮改」は誰にでもあることだ、と思ってもよいと思います。
むしろ、それよりも最終的な目的がどうなっているのかを考える必要がある、と思いませんか?
私も幸せについて、考えてみたいと思います。