こんにちは。
一人の男として。
一人の女の人を守るのに、
一人の力だと120%出るのに、
二人の男の力だと80%しか出せない。
だから、余計なものは要らないんです。
私はこんな理由で、たくさん身を引いてきました。
あるいは、体を張ったりもしました。
無理をするような恋愛は好きではありません。
一人の男として。
一人の女の人を守るのに、
一人の力だと120%出るのに、
二人の男の力だと80%しか出せない。
だから、余計なものは要らないんです。
私はこんな理由で、たくさん身を引いてきました。
あるいは、体を張ったりもしました。
無理をするような恋愛は好きではありません。
こんにちは。
幼い頃、こう教わってきましたよね。
悪いことをしたら「ごめんなさい」、
助けてもらったら「ありがとう」を、
言いなさいよって。
でも。
この二つの言葉は、
本当は同じ重さを持っていると思うんです。
誰かに負担をかけたり、
負担を肩代わりしてもらったり、
軽くしてもらったり。
例えば、誰かに相談に乗ってもらった。
長々×長々と話してしまった。
でも、最後にお礼を言う時には、
「ごめんなさい」も「ありがとう」も、使える場合があると思うんですね。
「話を聞いてくれて、忙しいのにごめんなさい」、
「話を聞いてくれて、忙しいのにありがとうね」、
こんな具合に。
∞ ∞ ∞
だから、思うんです。
人に重大な迷惑をかけてしまったりした場合などは別としても、
「ごめんなさい」と「ありがとう」、
このどちらを使うか、使いたいのか、
そんな考えがあっていいのではないかって。
私はどちらを使ってもいいのであれば、
出来るだけ「ありがとう」を使っていたいです。
でも、現実には「ごめんなさい」、「すいません」を多く使ってしまいます。
だから、「ありがとうを言いたい人が本当はたくさんいるのに、
伝えられてないな…、
上手くいかないもんだなあ…」、
こんな「もどかしさ」を、
頻繁に感じてしまいます。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
普段言えてない分、
ここで言わせてもらいました。
幼い頃、こう教わってきましたよね。
悪いことをしたら「ごめんなさい」、
助けてもらったら「ありがとう」を、
言いなさいよって。
でも。
この二つの言葉は、
本当は同じ重さを持っていると思うんです。
誰かに負担をかけたり、
負担を肩代わりしてもらったり、
軽くしてもらったり。
例えば、誰かに相談に乗ってもらった。
長々×長々と話してしまった。
でも、最後にお礼を言う時には、
「ごめんなさい」も「ありがとう」も、使える場合があると思うんですね。
「話を聞いてくれて、忙しいのにごめんなさい」、
「話を聞いてくれて、忙しいのにありがとうね」、
こんな具合に。
∞ ∞ ∞
だから、思うんです。
人に重大な迷惑をかけてしまったりした場合などは別としても、
「ごめんなさい」と「ありがとう」、
このどちらを使うか、使いたいのか、
そんな考えがあっていいのではないかって。
私はどちらを使ってもいいのであれば、
出来るだけ「ありがとう」を使っていたいです。
でも、現実には「ごめんなさい」、「すいません」を多く使ってしまいます。
だから、「ありがとうを言いたい人が本当はたくさんいるのに、
伝えられてないな…、
上手くいかないもんだなあ…」、
こんな「もどかしさ」を、
頻繁に感じてしまいます。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
普段言えてない分、
ここで言わせてもらいました。
こんにちは。
人が読んで嫌な気分になることは書きたくないんですが、
書くのははばかられるんですが…、
本心を綴っておくことも、時には重要かなと思って。
「心ない好意」に怒っています。
どういうことかと言うとですね、
最近に限らず、普段はあんまり会わないような人に、
激励するためかはわかりませんがテキトーなおべんちゃらを垂れられて、
嬉しさと同時に気分の悪さもわいて来るんですね。
熱心にやっていることだけに、受け流せないんです。
あんまり会わないような人に、いろいろ言っていただくわけですよ。
でもね、私に言わせれば、
「あんまり会ったこともないような人に何がわかって言ってるんだ」、
さらに言うと、「上手くいってなくて散々苦労してるのに調子の良いことを言わないでくれ」、
こんな怒りが沸々とわいてくるわけです。
具体的にはこう。
「あなたは優しいからすぐ恋人が出来るよ」、
→私は不器用です。言われてから未だにできませんが?
相手を幸せにするスタンスでしかないのでいるいない歴にも執着してませんが??
「いつかは成果が出るよ、努力家だもん」、
→まだまだ成果なんて言えるものは出ませんが?
「あなたはそのままで魅力的じゃない?」、
→そんなに魅力的な人だったら苦労なんてしてませんが?
「頑張り屋さんなあなたを見習わないと」、
→誰がいつ頑張り屋さんになったんですか?
私は努力なんかしてませんが??
もちろん最終的には上手く状況を伝えない私が悪い。
スルー出来ないのも悪い。
未だに子供で、成果が少ないのも悪い。
でもね、それを差し引いても、
あんまり知りもしないような人に対して、
イメージとかだけで簡単に「優しい」とか「魅力がある」とかいう言葉は、
言っていいほど、ぶつけていいほど、軽いものでしょうか??
好意は嬉しいです。
でも、人のことをよく知りもしないで、
簡単におべんちゃらを並べられても、
私はあんまり心には響きません。
直接、私を見たり、
メールなりなんなりで私と関わって、
それではじめて「あなたは〇〇だ」と言われたのであれば、
全く違った受け取り方をすると思います。
好意や激励を頂いた皆さんには申し訳ない気持ちがあるのですが、
受け流せない私が悪いのではありますが、
こんな気持ちを隠すのも嫌なので。
もっと器用に生きていたいです。
人が読んで嫌な気分になることは書きたくないんですが、
書くのははばかられるんですが…、
本心を綴っておくことも、時には重要かなと思って。
「心ない好意」に怒っています。
どういうことかと言うとですね、
最近に限らず、普段はあんまり会わないような人に、
激励するためかはわかりませんがテキトーなおべんちゃらを垂れられて、
嬉しさと同時に気分の悪さもわいて来るんですね。
熱心にやっていることだけに、受け流せないんです。
あんまり会わないような人に、いろいろ言っていただくわけですよ。
でもね、私に言わせれば、
「あんまり会ったこともないような人に何がわかって言ってるんだ」、
さらに言うと、「上手くいってなくて散々苦労してるのに調子の良いことを言わないでくれ」、
こんな怒りが沸々とわいてくるわけです。
具体的にはこう。
「あなたは優しいからすぐ恋人が出来るよ」、
→私は不器用です。言われてから未だにできませんが?
相手を幸せにするスタンスでしかないのでいるいない歴にも執着してませんが??
「いつかは成果が出るよ、努力家だもん」、
→まだまだ成果なんて言えるものは出ませんが?
「あなたはそのままで魅力的じゃない?」、
→そんなに魅力的な人だったら苦労なんてしてませんが?
「頑張り屋さんなあなたを見習わないと」、
→誰がいつ頑張り屋さんになったんですか?
私は努力なんかしてませんが??
もちろん最終的には上手く状況を伝えない私が悪い。
スルー出来ないのも悪い。
未だに子供で、成果が少ないのも悪い。
でもね、それを差し引いても、
あんまり知りもしないような人に対して、
イメージとかだけで簡単に「優しい」とか「魅力がある」とかいう言葉は、
言っていいほど、ぶつけていいほど、軽いものでしょうか??
好意は嬉しいです。
でも、人のことをよく知りもしないで、
簡単におべんちゃらを並べられても、
私はあんまり心には響きません。
直接、私を見たり、
メールなりなんなりで私と関わって、
それではじめて「あなたは〇〇だ」と言われたのであれば、
全く違った受け取り方をすると思います。
好意や激励を頂いた皆さんには申し訳ない気持ちがあるのですが、
受け流せない私が悪いのではありますが、
こんな気持ちを隠すのも嫌なので。
もっと器用に生きていたいです。