道端鈴成

エッセイと書評など

ワイドショー政治とヒトラーの大衆観

2007年09月06日 | 時事
河端「鬱陶しい天気だな。」
道端「そうですね、台風のせいでしょう。モンゴルの草原と青い空で秋を感じたいですね。」
河端「おまえ朝青龍か。」
道端「日本のジャー鳴りずむの方々ですが、モンゴルで何をやっているのでしょうか。朝青龍と鬼ごっこでしょうか。」
河端「日朝交渉もモンゴルでやっているらしいな。前向きの話ができたとか、日本側の大使のうれしそうな顔をテレビで見たが。」
道端「そうですね、北朝鮮はアメリカのテロ指定国解除を目的に、日本との関係改善が進んでいる印象を与えたい、そのための友好的な雰囲気の演出で、日本側の大使もその程度は分かっているのでしょうが。どうも、」
河端「なんだかモンゴルの話も鬱陶しいな。」
道端「ところで、安倍第二次内閣ですが。相変わらず、政治と金の問題で、ごたごた続きです。5万円とか200万円とか、しょぼすぎでなさけないです。政治家小沢氏(個人小澤氏とは別人とのことですが)が蓄財した10億円の不動産とは格が違います。」
河端「たしかに政治家は金にルーズではいけない。しかし、マスコミが集中的に報じて、世論が騒ぎ、引責辞任のくりかえしというのも、恣意的でよろしくないな。安倍内閣になって急に金に関わる問題のある大臣が増えたとも思えん。マスコミ・世論のスパイラルとは別に、どこまで責任があるのか、同じ基準を一律に適用しての、冷静で公平な審査をするしくみが必要だろうな。マスコミ・世論の集中砲火が裁くという事態は好ましいことではない。道端君が書いていた、ワイドショー政治批判は、そのとおりだと思うよ。」
道端「ヒトラーは選挙で政権を獲得しました。「我が闘争」では、こう書いてます。」

「いかなる宣伝も大衆の好まれるものでなければならず、その知的水準は宣伝の対象相手となる大衆のうちの最低レベルの人々が理解できるように調整されねばならない。それだけでなく、獲得すべき大衆の数が多くなるにつれ、宣伝の純粋の知的程度はますます低く抑えねばならない。」

「大衆の受容能力はきわめて狭量であり、理解力は小さい代わりに忘却力は大きい。この事実からすれば、全ての効果的な宣伝は、要点をできるだけしぼり、それをスローガンのように継続しなければならない。この原則を犠牲にして、様々なことを取り入れようとするなら、宣伝の効果はたちまち消え失せる。というのは、大衆に提供された素材を消化することも記憶することもできないからである。」

「大衆の圧倒的多数は、冷静な熟慮でなく、むしろ感情的な感覚で考えや行動を決めるという、女性的な素質と態度の持ち主である。だが、この感情は複雑なものではなく、非常に単純で閉鎖的なものなのだ。そこには、物事の差異を識別するのではなく、肯定か否定か、愛か憎しみか、正義か悪か、真実か嘘かだけが存在するのであり、半分は正しく、半分は違うなどということは決してあり得ないのである。」

河端「ヒトラーを持ち出したか。たしかに、冷徹な洞察ではあるな。中途半端なディベートしかできないぼっちゃん首相にはおよびもつかないところだろうな。マスコミ・世論のスパイラルは、ワイドショーの舞台で燃え上がって、政策をゆがめたり、国政の沈滞をまねき、国民生活に結果として、大きな損害を与えることはあるだろう。しかし、以前のファシズムのように社会をおおってしまうことはないと思うよ。」
道端「はい。大衆をバカだというのはタブーのようですが、やはりバカはバカだと思います。」
河端「道端君は違うのか。」
道端「いえ。いろんなタイプのバカがいて、自分もあるタイプのバカなんだろうと思います。バカは無知に関連していて、無知自体はある種の欠如ですから、自分には見えにくいのが特徴です。誰もがバカと無縁でないのは、可謬主義からすれば当然の帰結です。ただバカが全身を覆っているような人もいれば、愛嬌程度の人まで、程度は様々です。ですから、自らのバカさを自覚しようとせず、相互のバカさの指摘を抑制するのは危険です。まあ、政治家は大衆におべっかをつかわないと選挙で落ちてしまいますが、他の人までそれに同調する必要はありません。ホヤのようにすったばかりのマスコミの意見をそのままはき出すホヤマスコミバカ、さらにはマスコミに感情的にのせられてくすぶるボヤマスコミバカ、」
河端「とマスコミをボヤクバカか。」
道端「すみません。それで、さらにマスコミにあおられまくって、めらめら燃え上がる火焔マスコミバカでしょうか。また、特定のイデオロギーにこり固まって事実の見えないイデオロギーバカ、狭い自分の専門からしか問題の見えない専門バカ、」
河端「人をすぐにバカ呼ばわりをして顰蹙をかう罵倒バカ。」
道端「うー。実は、私、性善説、性悪説に代わる第三の人間観として、性アホ説をかんがえているのです。これは、可謬主義の認識論に対応する人間観です。実は、色々予定しているライフワークの一つとして「無知学大全:スンマ・イグノランチア」を準備しているところです。で、これは、」
河端「あ、そうか。なんかオクシモロンな話だな。寸間でも大全でも無知のかぎりに書いてくれ。「新時間否定論」のような迷著になることを期待しているよ。でも、まあ、今日のところは、ややこしそうな話は、遠慮しておこう。」
道端「はい。わかりました。」

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