道端鈴成

エッセイと書評など

科学の厳しさ

2006年03月27日 | 書評・作品評
  以前、たかじんのそこまで言って委員会で、地震予知の特集があった。ややトンデモがかった地震雲の研究がネタにされていた。ゲストのアメリカ人の地震学者が、エピソード的な地震雲の研究を正面から批判をし、鼻から息が出るような、歯が抜けたような脱力感のある日本語で「科学と言うふのふぁきびしぃいものでふ」とかいい味を出していた。たかじんに「先生それわかっとりまんがな」とつっこまれていたが。
  Wolframと言うと、高校時代に量子力学の論文を書いた早熟の才人で、20台でCellular Automataを四クラスに分類する論文を書き、Cellular Automataに関する優れたアンソロジーを出している。もう15年ほど前になるだろう、20台か30台そこそこの浅田彰がテレビ番組でノイマンの研究から始めて、WolframまでCellular Automata研究を実に手際よく解説していたことを記憶している。(プリブラムとの対談やニューサイエンス批判を行った頃の浅田彰はBrilliantだった。)Wolframはその後、数式処理ソフトの定番であるMathematicaを開発し、そのCEOとして巨万の富も手にした。
  そのWolframがCellular Automataを中心に科学の新しいアプローチを書いた大著を準備中という情報があって、大いに期待していた。2002年になって出版された本のタイトルは、A New Kind of Scienceで、1200 ページにもなる大著だった。Cellular Automataによるシミュレーションを武器にガリレオにも匹敵する新しい科学の革新への道をしめすものとうたわれていた。大仰だなと思ったし、物理学者で厳しい評価をしている人の情報もあった。ただ、8000円程度でページ数とグラフィックの美しさと比較するとお得感もあったので、Cellular Automataの参考書にもなるかと購入した。直接の必要がなかったこともあってなかなか読めないで、結局、つんどくになってしまった。
  ひさしぶりにAmazonのサイトをのぞいてみたら、手厳しい批評が沢山寄せられていた。"The Emperor's New Kind of Clothes"(February 28, 2003)では、単純なCellular Automataが計算万能である事はすでに何十年も前に示されていて、計算科学としてWolframは何も新しい貢献をしていないと詳細に批判している。"He's got it all wrong"(May 22, 2002)では、WolframはCellular Automataで自然現象と似たパターンを収集しているが、これの領域はすでに1940年代のKolmogorovらの研究、1980年代のフラクタル以来研究されているもので、Wolframの方法は自然科学に新たな寄与はもたらしていないと指摘し、もっと地道な研究をすれば何らかの科学的貢献も可能だったかもしれないが、CEOとしてYes Manに囲まれてスポイルされてしまったなどと手厳しい。高い評価もあるが、門外漢からのものが多いようだ。
  計算科学や自然科学としてWolframの貢献を直接に評価する能力は私にはないし、複雑系に関する研究には、新しい科学としての可能性の喧伝からホーガンらによる皮肉の科学という全否定まで、科学としての評価に、確定しにくい部分が残っているのも事実だと思う。評価は個々の領域や個別のモデルについて行う必要がある。しかし、A New Kind of Scienceについては、種々の評価を読む限り、誇大宣伝として、厳しい評価の方が妥当と思わざるを得ない。いくら才能に富み、CEOで、千頁を越す大著を著しても、真の新奇性がなく、検証に耐えなければ科学としてはダメである。まさに、「科学と言うふのふぁきびしぃいものでふ」。

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