道端鈴成

エッセイと書評など

エリオットの教訓

2005年03月31日 | 心理学
 不安や恐怖、抑鬱などの感情は苦しいものです。また怒りや憎しみによる行動は危険な時があります。このような否定的感情はなくなったほうが良いと思うかもしれません。痛みの感覚もなくなったらどんなにいいでしょうか。しかし、痛みの感覚や、否定的感情は、環境に適応していく進化のなかで形成されたもので、生きていくための大切な役割があります。痛みの感覚を持たない無痛症の人がいますが、常に体中傷だらけだそうです。脳の障害により恐怖や不安、怒りなどの感情が生じなかった人も知られています。(ダマジオ「生存する脳 : 心と脳と身体の神秘」講談社)に紹介されているエリオットの症例。神秘など邦題にはありますが、原題は Descartes' error : emotion, reason, and the human brain. です。)。エリオットは、知能がきわめて高かったにも関わらず、仕事で信用のできない人間に騙され、同じ失敗をくりかえし、生活が破綻してしまったそうです。(破綻しても、淡々と人ごとのように受け取っていたそうですが。)ギャンブル中毒になる人には、恐怖の中枢の働きが弱いという研究もあります。恐怖や不安、怒りなどの否定的感情は、危険を避け、障害を除去するためになくてはならないものです。
 西欧の思想では伝統的に、感情を理性による合理的判断と対比させ、感情を合理的思考による問題解決をする上での障害と見なすのが通例でした。一般でも「感情的」というのは、非合理的と同義につかわれることが多いようです。しかし、最近の認知科学では、感情的反応における合理性を見直しつつあります。今日の認知科学における感情研究の主流である感情の認知的評価理論では、人間の種々の感情を、出来事の一連の評価にもとづき行動を導き、他者に伝達するしくみとして、とらえています。先にあげたダマジオは、感情における身体的反応のモニターが、日常生活における問題解決で重要な役割をしていることを、ソマティックマーカー仮説により一般化してとらえ、しめしました。Jesse J. Prinz(2004) による、「Gut Reactions: A Perceptual Theory of Emotion 」 Oxford Univ Press.は、若手の哲学者による、ソマティックマーカー仮説と認知的評価理論の統合の試みで、最新の研究の進展をおさえつつ多面的な感情の全体像をとらえる手腕には感心しました。Prinzは現在、「The Emotional Basis of Morals」という本を準備中だそうです。前に、PinkerのThe Blank Slateでの、標準的社会科学における人間観批判にすこし言及しましたが、心の科学(こちらはまっとうな科学になりつつあります)による今日の主流派の社会科学批判につながるものとして、Prinzの仕事も興味津々です。
 もちろん、合理的な問題の吟味にもとづく、感情との対話、感情の適正化は必用です。しかし、感情とくに否定的感情がないふりをしたり、無視したり、他人にそれを要求するのは、有益ではないと思います。もともと感情的反応が欠けていたエリオットになにが起こったのか、エリオットの教訓を知るべきです。感情がないふりをしたり、無視したりすれば、エリオットならぬ常人では変態化した感情が潜行するだけです。これは、個人だけではなく、社会や国でも言えることだと思います。わかりにくい抽象論の前置きが長くなってしまいました。具体的な話しは、また、おいおい書いていきたいと思います。