ライム藩

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遠軽

2014年09月04日 | 交通関連

6月下旬に北海道を大人の休日倶楽部キップで訪問した時、遠軽にもお寄りさせて頂きました。
ここにお住まいの方には失礼な話かもしれませんが、もしかしたら…ここが日本の最果ての街なのかと思う私です。

嘗ては名寄本線経由で名寄に、勇網線経由で網走に行く事も出来その分岐駅でもありました。遠軽は鉄道が敷設された順序より現在の駅の場所が決まり廃線が進み今日では意味不明とも言えるスイッチバック駅となりました(苦笑い)。 

旭川から遠軽への道のりも結構厳しく蒸気機関車時代の苦労が偲ばれます。この途中駅などは一日数本しか列車が止まらないようですね。これを秘境駅と喜ぶマニアもいるようで…確かに民家など見当たりませんでした。
この途中駅もタブレット閉塞・テコによる分岐機の操作の時代は駅員が常駐し腕木信号も操作されていたのですね。夜行急行「大雪」がオロハネ10をつないでこの駅を通過し駅員さんのタブレット扱いがキビキビと行われていたのは遠い昔になってしまいました。

遠軽の公園に静態保存されているD51、デフのマークが邪魔ですが…しかし半戦時型のD51が保存されているのは初めて拝見致しました。もしかしたらギースルエジェクタのD51も探せば見つかるかも(私はギースルエジェクタのD51は現役時代に室蘭本線で1回見ただけです)。 

遠軽に郷土資料館があり「遠軽共同軌道」というナローの森林鉄道があった事を昔の地図で知りました。残念ながら、その詳細は知る事は出来ませんでした。

遠軽は開拓移民の街だった事やハッカの栽培が行われていた事なども知りました。内地から移民を誘致する際に住宅付きとの事でしたが竹+藁の小屋で雨漏り多数だった事も教えていただきました。移民の方々が瞰望岩を心の支えにし開拓され今の遠軽の街がある事もね(資料館の方が館内を案内して下さいました。大変恐縮です)。

2枚目の駅の案内の写真は資料館にあったものなんですよ。そして遠軽に限った事ではありませんが、こんなラジオで放送を聴いておられたのですね。どんな放送内容だったのでしょうか?

 

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