2024年の作品、原作タイトルは「行方不明の女たち」。
ボリウッド映画界のスーパースター:アーミル・カーンのプロデュース。
インドの結婚事情や田舎の事などがわかっていたほうが、
うなずけるところが多いとは思うけど、まぁ知らなくても、
そう言うものかと知ってもらう事は出来るかなぁと思う。
インドの田舎では未だにお見合い結婚が主流で、
結婚したら夫を神と思い仕える事が常識とされている。
嫁入りには持参金(現金、金銀宝石、不動産、車、家畜など)を
持って行くの事が期待されている。
この作品では、それほど強く描かれていないが、
それに対して柔らかく意見している感じ。
<ストーリー>
2001年のニルマル・プラデシュ州(架空の州)が舞台。
登場人物の話や映像から恐らくビハール州あたりの農村と考えれば、
納得できる事が多かった。
ディーパック(サパルシュ・シュリバスタブ)は花嫁プール
(ニタン・ゴエル)の家での結婚式を終え一緒に実家へ向かう。
小舟に乗り、バスに乗り、列車に乗り・・・と半端ない田舎。
インドでは大安吉日に結婚式を挙げる人が多く、
列車の中には花嫁衣裳を身に着けたカップルが大勢乗っていた。
夜、下車駅が近づきディーパックはトイレに行って戻って来ると、
プールの手を引いて急いで下車する。ところがトイレに行った間に、
花嫁の位置が他の花嫁と変わっていたため、ディーパックは間違えて
別の女性ジャヤ(プラティヴァ・ランタ)と下車してしまう。
インドでは花嫁は顔を見せないようベールで覆っているのと、
みな同じような赤い衣装のため、ありうる話。
別人と気づかぬままディーパックは実家に戻り花嫁の顔を見て驚き、
警察に行きプール行方不明の届けを出す。署長(ラヴィ・キシャーン)は
お金になりそうな案件には積極的になる性格でディーパックを値踏みする。
一方、プールは名も知らぬ駅でディーパックがいない事に気づくが、
夫の住所も知らないため途方に暮れる。インドではありうる話で、
夫の名前と電話番号を腕に入れ墨で彫っている年配の女性も多い。
プールは家族の恥になるため自分の実家に帰る事もできず、
ホームで茶屋を営むマンジュ(チャーヤ・カダム)に助けられ、
茶屋を手伝いながらディーパックが戻って来るのを待つ。
ジャヤの夫は持参金目当てだったため、ジャヤの捜索願を出す。
それを見た警察署長はお金になると踏んでジャヤの身辺を探る。
ジャヤはディーパックの家で怪しい行動をとり、
単独で市場に行ったりするが署長に探られている事には気づかない。
(後は省略、笑。)
金に汚い署長と怪しいジャヤが悪者であると思わせておいて、
最後にどんでん返しが待っている。
インドのド田舎の農村の日常が描かれており、
なんだかとても懐かしかった。
アーミル・カーンが描きたかった事は・・・
女性も夫に仕えるだけではなく、自分の考えや意見を持ち、
出来れば精神的にも経済的にも自立するべきだ。
持参金という悪しき慣習は捨てすべきだ。
家族も嫁をこき使うのではなく人格を尊重し仲良くすべきだ。
・・・みたいなことかな。
封切り初日の夜に観に行ったのだが、
写真のような狭い劇場でしかも空いていた。
アーミル・カーンと言えば、日本でも「きっとうまくいく」
「PK」「ラガーン」などヒット作も多いんだけど、
自身が出ているわけじゃないし、宣伝もしてないのかな。
ちなみに客層はインドマニアも、にわかマニアもおらず、
なんとも言えない単独客(私もか?)が多かった。