カレーなる日々 / शानदार दिन

インドの日常を中心に日々を綴っています。

「戦艦武蔵ノート」吉村昭

2024年06月21日 21時39分59秒 | 本 / BOOKS

吉村昭によって1966年に発表された「戦艦武蔵」は、
純文学指向からドキュメンタリー小説に変わる分岐点になった。

「戦艦武蔵」を書くきっかけとなったのは病気療養する事になった、
友人からの話を聞いたからだった。
相当の資料がそろっておりそれを見た吉村氏がやってみようと・・・。

「戦艦武蔵」を読む前に取材日記のように吉村氏が書き溜めた
ノートを読んでみる事にした。

戦争が終わってから20年後である。
戦艦武蔵はどういういきさつで造られる事になって、
どんな人々がどうやって造り上げたのか。
そしてどんな風に沈んで行ったのか。

私が共感を覚えたのは、吉村氏が自分の足で関係者を訪ね、
直接話を聞き、メモを取り、絵を描き、また関係者を紹介してもらい、
聞いた事を調べ、疑問に思った事や辻褄の合わない事は、
徹底的に解明していく様子だった。

自分が得た情報と全く違った事を書いた関係者の手記に対して、
痛烈に批判している所に驚いた。その作り上げられて手記を
うのみにして(自分で調査せずに)引用している作家たちの事も、
そんなに批判していいのかな・・・と思うほどに。

 私も同じで、インドに行った事もないのにさも行ったように話したり、
 ネットで得た見ず知らずの人の情報を事実のように言ったり、
 経験もないのに、裏付けも取らずに話している人は嫌いである。

それてしまったが、
吉村氏は軍関係も造船関係も飲食関係やその他の人々にも
必要と思えば会いに行って話を聞いている。
真実を追い詰めて行く物凄い執念である。

さて戦艦武蔵は、戦艦大和が有名すぎて(アニメもあるし)
いまいちよく知らなかったのだが、日本帝国海軍の大和型戦艦の二番艦で、
最後の戦艦である。

三菱重工長崎造船所で極秘裏に製造され、
携わる人は優秀である事もそうであるが、、
身元や思想など徹底的に調べられて、
秘密を洩らさないと言う誓約書に署名し、
自分が携わる部分しか知ってはならないので、
他の部分については一切知らない。
それだけに全部を知るために相当な数の人に会う必要があったわけだ。

戦艦武蔵は1944年10月24日にアメリカ軍の集中攻撃を受け、
フィリピンのシブヤン海に沈没した。
乗員2399名のうち1023名が死亡し、
生き残った船員たちも他の戦地に赴き大半が玉砕している。
数少ない生き残りも戦後20年で死去している人もいたわけで、
取材は大変だったろう。

製造中は全長263m、全幅38.9mの巨大な姿を、
シュロで編んだむしろのようなもので隠していたという。

このノートを読んで少し知識を得たので、
いよいよ「戦艦武蔵」に取り掛かろうと思う。

コメント
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