カレーなる日々 / शानदार दिन

インドの日常を中心に日々を綴っています。

ラクシュミー・バーイー。

2012年01月30日 22時42分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA
王妃ラクシュミー
大英帝国と戦ったインドのジャンヌ・ダルク
ジョイス・チャップマン リーブラ
彩流社


 ラクシュミー・バーイーは、マラータ族の出身であるが、
幼少の頃の話はハッキリとしていないらしい。

ガイド氏の説明によると・・・・
マハラジャ・ビール・スィン・デオと結婚したのが
1842年、30歳と言う事だったが・・・それが本当だとすると、
ラクシュミーの生まれは1812年となる。

 しかし1858年に戦死した時、23歳だったと言う説もあり、
どうも謎が多い。これが正しいとすると・・・
1835年生まれ、結婚した時にはわずか7歳である。
昔のインドは幼児婚だったため、これも無いとは言えない。

さて・・・デオとの間には男子が生まれたそうだが、
亡くなってしまい跡継ぎがいなかったそうだ。

1954年にジャンシー最後のマハラジャであるデオが病死し、
イギリスがジャンシーを統合しようとした時、
 ラクシュミーは女子の騎馬隊を率い、
男装して先頭に立って勇敢に戦ったことから、
「インドのジャンヌ・ダルク」と称される。

しかし・・・ ジャンヌ・ダルクを知っているインド人は少ない。



 上部写真はジャンシー要塞(城)へ向かう途中にあった、
ラクシュミー・バーイー・・・うん、ジャンヌ・ダルクのようだ。
と思ったら・・・・なんと 
台座には「マーターの女神、アヒリャー・バーイー」
(1725~1795年)との文字が。

インドのジャンヌ・ダルクは何人もいたと言うことか

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