王妃ラクシュミー 大英帝国と戦ったインドのジャンヌ・ダルク | |
ジョイス・チャップマン リーブラ | |
彩流社 |
ラクシュミー・バーイーは、マラータ族の出身であるが、
幼少の頃の話はハッキリとしていないらしい。
ガイド氏の説明によると・・・・
マハラジャ・ビール・スィン・デオと結婚したのが
1842年、30歳と言う事だったが・・・それが本当だとすると、
ラクシュミーの生まれは1812年となる。
しかし1858年に戦死した時、23歳だったと言う説もあり、
どうも謎が多い。これが正しいとすると・・・
1835年生まれ、結婚した時にはわずか7歳である。
昔のインドは幼児婚だったため、これも無いとは言えない。
さて・・・デオとの間には男子が生まれたそうだが、
亡くなってしまい跡継ぎがいなかったそうだ。
1954年にジャンシー最後のマハラジャであるデオが病死し、
イギリスがジャンシーを統合しようとした時、
ラクシュミーは女子の騎馬隊を率い、
男装して先頭に立って勇敢に戦ったことから、
「インドのジャンヌ・ダルク」と称される。
しかし・・・ ジャンヌ・ダルクを知っているインド人は少ない。
上部写真はジャンシー要塞(城)へ向かう途中にあった、
ラクシュミー・バーイー・・・うん、ジャンヌ・ダルクのようだ。
と思ったら・・・・なんと
台座には「マーターの女神、アヒリャー・バーイー」
(1725~1795年)との文字が。
インドのジャンヌ・ダルクは何人もいたと言うことか
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