すんけい ぶろぐ

雑感や書評など

野村芳太郎「砂の器」

2005-09-05 08:48:14 | 映画評
中居正広のテレビ版の原作は、小説「砂の器」じゃなくて映画「砂の器」だな


映画の「砂の器」を見ました。

昭和49年公開という、けっこう古い作品です。
感想としては、傑作…………とは言えずとも、良作と言っていいでしょう。


小説どころか、中居正広のテレビ版も見ていますから、都合三度目の「砂の器」体験。
もうネタは知り尽くしているので、途中までは、
「二時間に収めるには、あれを削って、これをつなげて、それでまとめちゃうんだぁ~」
と、明らかに斜めから作品を見ていました。


が、終盤の父と子が放浪する場面、つまりは、和賀の犯行の遠因を解説する場面では、僕が酒を飲んでいたこともあって、ちょっとウルウルと来るものがありました。

小説だと、この親子二人だけの放浪場面は皆無だし、中居正広のテレビ版では、ちょっとくど過ぎ(そもそも村八分で、全国を放浪することになったなんて、ちょっと理由としては、…………ねぇ?)。
しかし映画だと、しっかりと、らい病という過酷な現実が描かれていて、まさしく「宿命」という言葉が、しっくりと来るようになっています(エンディングの言葉は、いかにも付け足しだけど)。


ミステリー映画と言いますと、ネタバレのシーンで「あぁ? …………はいはい」と、げんなりすることが多々ありますが、この作品は、それを犯人の悲しい経歴と結びつけることで、最後までテンションを落とさずにまとめていました(ネタを知っていても)。


小説版における「砂の器」という言葉に、単なる犯罪者の浅はかな努力という意味しかなかったのに比べて、映画版には人間存在の悲しみというニュアンスを加えることに成功していると思います。

原作を、うまーく食っているという意味でも、良作でした。


ちなみに小説の感想。
「砂の器 (上)」我は砂の器なり
「砂の器 (下)」犯人が分かっていると、面白さが半減するなぁ

Wikipediaの「砂の器」の項を見たら、同じようなことが書かれていました。(当然のことながら、あっちの方がしっかりまとまっているけど)


砂の器 デジタルリマスター版

松竹

このアイテムの詳細を見る