すんけい ぶろぐ

雑感や書評など

山本周五郎「ながい坂 (下)」

2006-03-27 08:55:04 | 書評
つまりは江戸時代版「プロジェクトX」なんですよ


山本周五郎「ながい坂 (下)」を読み終わりました。
単純に面白かったです。

最後のオチである「成り上がりの主人公」と、そのライバルである「旧権力の御曹司」との合流(「和解」または「融合」、「統一」)というのも、中高生のころだったら「はぁ?」と思ったでしょうが、こうして年を取ってみると、分からないでも。


しかし、この構図「実務家の成り上がり」と「お飾りの権威」って、どこかで見たような?
…………なんのことはない、天皇制のことなんだろうね。

SFは異世界を描きながら、得てして現実を色濃く反映しているように、この作品も時代劇(つまりは異世界)ではあるけれども、高度経済成長の日本がベースになって成立している物語なんだよなぁ。


「人間は環境や遺伝子で自らの運命が決まるわけではなく、自分の努力次第では、出世することもできる」という主人公の生き様は、団塊世代の美しいサラリーマン像なんだろうなぁ。

でも「努力万歳、出世万歳」となっていますが、それによっては「必ずしも金銭的に報われるわけじゃないよ~」と書いてあるところが、日本的。

さらに、事が成就したにもかかわらず、その瞬間に虚脱感に襲われるシーンなんて、外国人には理解し難いものがあるだろうなぁ。
 主水正はまた例の、理由のわからない苦悶におそわれることを感じ、独りになると庭へ出ていった。御新政改廃は、巨大な壁を突きやぶり、周到に固められた地盤を、転覆させることであった。それには非常な危険と困難がともなう筈であった。主水正としては一滴の血も流してはならないということを、念入りにみんなに伝えた。決して騒ぎを起こすなとも。――けれども、計画がこのように事なく終ってみると、ほっとするよりもむしろ、張り詰めた気力の喪失と、避けようのない肉体的な虚脱感にまでとらわれたのである。――昏くなってゆく庭を、いつものようにくぬぎ林までいった主水正は、腰掛へ腰をおろすなり、両手で頭を抱え、暫くのあいだ身動きもしなかった。
「改廃、転覆」と彼は呟いた、「こんなことでなにかが解決するだろうか、御新政は慥かに悪政であった、しかし六条一味には六条一味の考えがあり、主張があったにちがいない、人間のすることに正邪はあるが、人間そのものにそなわった正邪に変りはない、われわれのしたことが本当に善であり、かれらの立場が悪であるということができるだろうか」
 そのとき予感したとおり、苦悶の発作が始まった。これは精神的なものか、それとも肉体的なものか、こんどはつきとめてやるぞと、けんめいに注意力を集中してみたが、いまにも胸の潰れそうな、その烈しい発作には勝つことができず、彼は両手で胸を掴み、膏汗をながして大きく喘ぎながら、叫び声を出すまいとするだけで精いっぱいだった。
「さあ、いくらでも苦しめろ」と主水玉はふるえ声で呟いた、「この発作がなんであるかは知らないが、改廃のおさまりを見るまで、おれは死ぬことはできない、どんなに苦しくともおれは死にはしないぞ」
 苦悶の発作はこのまえよりひどかった。胸の圧迫はたとえようもなく強烈で、呼吸も満足にはできず、吐く息、吸う息のために、全身の力をこめなければならなかった。彼は腰掛から立ち、くぬぎ林の中へはいって、その一本にしがみついた。そのため梢から、枯葉がはらはらと散り落ち、そのうち二枚の黄色くちぢれた葉が、主水正の髪の毛に止まったが、彼はそんなことにはまったく気がつかなかった。
山本周五郎「ながい坂 (下)」441~443頁 新潮文庫
「人間のすることに正邪はあるが、人間そのものにそなわった正邪に変りはない」なんて世界で、他人を排してまで大事を断行しようとすれば、その「後ろ盾」を、どこに求めるか?
……………天皇(権威)を担ぎ出してくるしかないんでしょうな。


他にも中央資本(外資)による地域経済の破壊とか、現在でも通用するネタも多数アリ。
単純に物語としても楽しめましたが、現在への寓話しても、まだまだ力のある作品だと思います。


ながい坂 (下巻)

新潮社

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